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  狂王の庭 狂王の庭
  【角川書店】
  小池真理子
  本体 1,700円
  2002/6
  ISBN-4048733753
 

 
  石井 英和
  評価:A
   人の心の中心にどっかと鎮座まします豪奢なエゴに徹底奉仕するべく描かれた罪深き作品だ。エゴが欲するのは果てしない快楽。夫のある身で、妹の婚約者となる男と恋仲になり苦しむのも、実はそれが歪んだ快楽の湧き出る泉だからである。結果、妹を苦しめる事も、その妹を見て罪の意識に見悶えるのもまた、加虐の、そして被虐の快楽の味がする泉の水を飲まんがためである。恋仲となる男が決定的に持っている破滅の要素も、作品全体を覆う滅びの気配も、快楽の味を更に鋭くするための効果的スパイスとして設定されているのだ。ついには終盤、快楽のうちに主人公は、地獄と天国の区別さえ付かなくなって行く。狂った魂の生み出した庭は、飽くなき快楽の追求のためには現実さえも否定し去ろうとするこの物語の、理念の象徴。ここまで徹底されれば、他人が口を挟む余地もない。

 
  今井 義男
  評価:A
   《芸術は爆発だ!》は単なるCMコピーではなかったのか。アトリエで自作のオブジェに囲まれる彼の映像を見てそんな疑問を持った。拡散ではなく収束の印象が強かったのだ。リアリズムもキュービズムも通過点にすぎず、結局彼は岡本太郎イズムに収斂し、やがて我々の棲む三次元宇宙からものの見事に消えた。以後、いかなる追随も模倣も見聞しない。話がどんどん逸れているようだが、生来私はこういう閉じた世界が大好きで、陣内青爾の庭からも同じ匂いを嗅ぎ取ったのである。高等遊民の道楽と揶揄するのは簡単だが、それは彼の行為以上に非生産的で無意味なことだ。人は誰でも<庭>を欲している。庭は人の内面を再現する。なにより純粋な目的ゆえ、彼の創造した庭園にはひとかけらの邪気もなかった。低レベルのサイトで虚栄心を振りまき、安上がりな王の愉悦に浸る小心者とは棲む世界が違うのである。

 
  唐木 幸子
  評価:A
   人妻の許されない恋、などと言われても、たいがいの事には動じなくなっている私だが、本作には引き込まれてしまった。配役の構成はアンナ・カレーニナに似ているし、主人公達の美男美女ぶりは池田理代子の漫画風だし、侯爵家だの庭園だの華麗な夜会だのと、とても私が感情移入など出来ない内容だ。なのに私は、読み終えた日の夜、若かった頃にせつなく遠くから眺めて好きだった人が夢に登場してアワヤということになりそうになった。目が醒めて焦ったなあ、きゃー、恥ずかし。しかし、こういう恋愛小説の場合はもう、話の筋はどうでも良いんだとわかった。ただひたすらに一人の相手を思いつめる気持ち、一体どうしたんだというくらいその人以外は髪の毛一筋も受け入れられない排他的心理、冷静な日常の皮一枚下でハリネズミのように相手に向かって注意を研ぎ澄ます感覚。これらを描いて読者をボーっとさせられれば恋愛小説として一級品である。

 
  阪本 直子
  評価:E
   裕福な上流階級。優雅な夜会で一目惚れする美男美女。外界から隔絶した庭園での逢瀬……これでもかと非現実的極まりない設定だ。生活臭を排除し尽くし、燃える恋そのものだけを描く工夫だろう。不義の恋である上、夫が横暴である等の正当化は何もない。むしろ逆に、この恋がいかに身勝手で破滅的で罪深いかを繰り返し強調する。判っていても尚止められないのが恋なのだ……と言いたいのはよく判るがしかし、説得力がない。主役2人に魅力がなさ過ぎるのだ。特にヒロインは鼻持ちならない。当人は苦しんだつもりでいるが、不倫のスリル以上の何があったというのか。彼女に比べれば男の方が、まだしも本気で苦しんでいる。中味空っぽのバカだけど。そして彼亡き後も彼女1人は何食わぬ顔で安楽に暮らし、思い出を書き残した……という体裁な訳だが、この文体が又頂けない。老婦人の秘密の手記なら、それらしく工夫してよ。これじゃただ一人称小説ってだけでしょう。

 
  仲田 卓央
  評価:B
   このタイトルからして西洋ものかと思ったら、全然違った。舞台は昭和20年代の国分寺。国分寺? 実に微妙である。夫ある身の女が、別の男、それも妹の婚約者を愛してしまう。男はちょっとエキセントリックな芸術家肌の男。昼メロ? これは恋愛小説、というよりはロマンス小説という呼び名がぴったり。もうそれだけで読みたくなくなってしまう人はとても沢山いるだろうが、そして私もその一人なのだが、そこは小池真理子。これが読めてしまうのである。このテーマとモチーフの小説を、飽きを感じさせずに読ませるという事実に小池真理子の凄みを実感する。これはもう、ひとえに技術、異様なまでの熟練。浅田次郎の泣かせのテクニックをあざとさだと感じる私は、小池真理子の技術を小賢しさだと断じることができない。それはこの作家の特色、有無を言わせず自分の世界を貫く、良し悪しは別にしてとても強烈な力によるものだ。この力に、私は驚嘆する。

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