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  コンビニ・ララバイ コンビニ・ララバイ
  【集英社】
  池永陽
  本体 1.600円
  2002/6
  ISBN-4087745864
 

 
  石井 英和
  評価:E
   「人情物」ってこんなに安易でいいのか?手垢の付いた設定とスト−リ−が臆面もなく連発される創造性皆無の作である。それを「優しさだけがあふれる本物の月並み」と自画自賛できる著者のポジティヴ・シンキング(?)には唖然とさせられた。何より不愉快なのは、以前課題本になった「ひらひら」でも伺えた著者のヤクザ称賛の姿勢である。この作品にもその「筋が通った」生き方が得々として描かれているが、いかに恰好を付けようとヤクザは確信犯として社会に害をなしつつ生きる人間のクズなのである。著者はもう一度、彼らの現実の姿を見つめなおすべきだ。そもそも作中に「片々たる一市民のしみったれた生き方よりヤクザの人生の方が立派だ」との価値観をちらつかせる作家が、その一市民達を主人公に据えた人情劇で受けを狙うとは、なんと「筋が通らない」話だろう。

 
  今井 義男
  評価:AA
   いまの時代を切り分けたとき、どう工夫したって見たくないものが見えてくる。振り切れない過去、つかみようのない未来、見果てぬ夢の残滓、人間の数だけそれらはある。普通はそんなややこしいものに誰も関わりたくない。ところがミユキマート店主・幹郎はそうせずにはおれない人物なのだった。イライラとギスギスが飽和状態の世にあってこの驚くべき善人ぶり。そりゃないだろう、と斜めから口をはさみたくなる半面、こんな店があったら、と思わせるほど私たちは渇ききっている。どれもいい話ばかりだが、いつも同じものを買いに来る子どもが泣かせる。人間はかくも俗っぽく、いとおしい生き物だったのだ。自転車で夜中に帰宅するとき、終夜営業のコンビニは説明し難い安心感をもたらしてくれる。幹郎の暖かさはあの明かりによく似ている。

 
  唐木 幸子
  評価:A
   最愛の幼い息子と妻を続けざまに交通事故で亡くした男が営むコンビニが舞台の7つの物語だ。心根の優しいヤクザが主人公だった前作『ひらひら』も良い作品だったが、今回、ぐんと深みが増したように思う。コンビニオーナーの幹郎は相次いだ妻子の死に今も責任を感じており、経営に熱が入らず利益を上げようという気が欠如している。その背景が幹郎の視点で語られる第1話よりも、第2話以降の短編における淡々とした幹郎の姿に心打たれる。コンビニの棚に商品を並べているだけのシーンでも、これが背中で語るわけなのだ。ヤクザに惹かれつつも幹郎に好意を寄せる従業員や、ツケの借金を踏み倒して逃げた女客や、万引きを繰り返す少女の目から見た幹郎の姿は、欲が余りにもないために清潔さがいっぱいで侵せない雰囲気をかもし出す。どれかひとつ、と言えば、栄養堅パン(西原理恵子が貧乏学生時代に食べていたと読んだことがある)を嫌う役者の卵が出てくる第4話【パンの記憶】を挙げたい。この作家、山田太一みたいになるのかな、という気がするが、余り手練れにはならないで欲しいなあ。

 
  阪本 直子
  評価:C
   1話目の途中で前作『ひらひら』を連想してしまった。ヤクザの八坂関係の文章だけ、妙に活き活きしてるのだ。彼に惚れられた治子はヤクザの世界という非日常に戸惑い脅える……と書いてはあるのだが、字面の意味とは裏腹に、作者の筆が特に活気を帯びるのはその非日常を描く時。前作といい、よっぽどヤクザが好きなんだなあ。でも美化するのはもういい加減やめません?
 1軒のコンビニを舞台に7つの人情話が語られる。コンビニだから、訪れる客は年齢も仕事も実に様々。妻子に死なれた心の傷を引きずる店主は、他人の傷にも敏感で優しく……という、練達の書き手が存分に職人芸を発揮すれば、判っていてもジーンとしてしまう世界だ。しかし残念ながらこの作品は、どうも全体にうら寂し過ぎる。悲しい話にだってカタルシスは要るんだよ。
 あと、男性作家だからといってしまえばそれまでですが、ここで書かれる「女の性」には、異論・違和感てんこ盛りです。

 
  谷家 幸子
  評価:B
   困るんだよねえ。読む前に入ってくる雑音が多すぎる。帯文「とっても不器用で素敵なあなたに」でまずトリハダ。私の場合、これでは絶対逆効果、普通ならまず手に取らない。それから、今回は紙版「本の雑誌」で北上次郎氏が大絶賛しているのを先に読んでしまったのもまずかった。先入観つきすぎ。もちろん、通常はそういう「大絶賛書評」でもって読む本をピックアップすることだってあるわけだから、北上氏が悪いとかそういうことではなく、今回はってことなんだけど。ちょっと構えながら読んでしまった。
とはいいつつ、あまりやる気のないコンビニの店長、という主人公の造形はとても魅力的。「冷たい暗さではない、温かい暗さだった。訪れる客に不安感を与えない不思議な暗さだった。」というのは、ものすごく良くわかる気がする。なんでも、明るきゃいいってもんじゃないのだ。そして、その暗さこそが、何かを救い上げることだってある。
でもなあ。なんか、だんだん「水戸黄門」化してないか?「何か苦しいことがあるんだったら話してみませんか」ってそれは光圀公そのものじゃございませんか。オハナシの最後に印籠みたくオチがつくのもどうもねえ。
面白く読んだのだが、ちょっと違和感あり。

 
  中川 大一
  評価:D
   チープな、あまりにチープなストーリー。小説家が読者を泣かせたいとき、まず思いつく手段は? 一つ、登場人物を死なせること、二つ、登場人物の近親者を死なせること。では、小説家が読者を微笑ませたいとき、まず思いつく手段は? 一つ、いたいけな子どもを登場させること、二つ、か弱い年寄りを登場させること。(しつこいけど)次に、小説家が読者を怒らせたいとき、まず思いつく手段は? 馬鹿な若者に、子どもや年寄りをいじめさせることだろう(この手の愚かな若者=悪役という図式は、前作『ひらひら』にも出てきた)。だが、読者はパブロフの犬じゃないぞ。必ずしも、決まり切った道具立てで決まり切った感情が発動されるわけではあるまい。ベルとよだれとの間に、もう一ひねり所望。

 
  仲田 卓央
  評価:B
   優しさに満ちた、そして弱さと鋭さに満ちた小説だ。この物語に登場し、舞台となるコンビニに集うのはみな、心に傷を負った心優しい、そして弱い、つまりはただ一生懸命生きている人々である。優しいから良いとか。弱いから悪いとか、そんなに単純なことではない。私はよく、「善人社会の気色悪さ」ということを口にするが、それは善人だけの社会はありえないから、ということではなく、もちろん善人面が嫌いだからということではなく、人間の善性のみを見て悪性を無視したり、見なかったフリをしたりする無神経さに嫌悪を感じるからだ。例えていうなら「東京物語」の全編に漲る極めて異様な緊張感を無視して、「やっぱり小津だね」などと東京弁で言い放つような人に対するいけ好かなさである。フィクションが価値を持つとき、そこには間違いなく善も悪も含めて人間をがっちりと捉える作家の腕が存在する。そして、池永陽の腕は、今のところそこに届くにはほんのちょっとだけ短い。そして短いからといって、悪いわけでは全くない。

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