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  麦ふみクーツェ 麦ふみクーツェ
  【理論社】
  いしいしんじ
  本体 1,800円
  2002/6
  ISBN-4652077165
 

 
  石井 英和
  評価:E
   童話だからといってその作品を特別に神聖視したりするのはおかしいのだが、そのような持ち上げ方をする人もいて、この作品などはそんな「童話を読むオトナ」としての選良意識を持つ人々相手のム−ドミュ−ジックではないか、なんて思えてきてしまった。いかにも意味ありげに挿入される寓話のあれこれ。そして音楽やら数学やらボクシングやらに関するウンチクらしきもの。どれも神秘めかしてはいるが、その内容は空疎だ。しかもその狭間にブラッドベリが何十年も前に書いた「寂しい恐竜」エピソ−ドなど引っ張り出したりするのだから笑止千万。とにかく、なにもかもが思わせぶりなナイ−ブぶりっこに過ぎない。最近の若者風俗として、路上に座り込んで手垢の付いた人生訓もどきを色紙に書いたりする商売があるが、あれの一種でしょう、要するにこれは。

 
  今井 義男
  評価:C
   レイ・ブラッドベリは過ぎ去った少年の日々を、まるで読者がその場に居合わせているかのような瑞々しい文章で読ませてくれたものだが、決して現在進行で稚気を装ったりはしなかったし、<子ども>や<ファンタジー>をオールマイティのカードかなにかだと勘違いもしていなかった。子どもの読者になにひとつおもねっていないから子どもが読んでも面白かったのである。本は出版社や作者が想定した読者層とは関係なく読まれる運命にある。万人を納得させることなど不可能だが、率直にいって私は子どもをストレートに書いた話のほうが読みやすい。アクをすくいすぎたものも嫌いだ。どこかしらにチクチクさせる要素がないと退屈で仕方ない。子ども時代の記憶がまだ鮮明に残っていて、実際に自分の子どもと接してきた中年男には、この《とん、たたん、とん》の物語はいささか緩く、スリルがない。

 
  阪本 直子
  評価:B
   おや、これは珍しい。所謂ヤングアダルトか? と最初思いました。理論社の本だし、平仮名の多さやルビの使い方を見てもね。しかしじきに印象訂正。「娼婦」「売春宿」なんて言葉が出てくる前から、少年少女向けじゃないことは明らかだ。ほんとの子供向けの物語はこんなに儚げでナイーブじゃない、もっときびきびしてるもんです。
どこでもなく又どこでもあるような作品世界。『天空の城ラピュタ』や『魔女の宅急便』のような。皆どこかが“へんてこ”な登場人物達の呼ばれ方は「用務員さん」とか「ちょうちょおじさん」。唯一の例外である少女の名前は「みどり色」だ。悲惨で滑稽な、突然の暴力的な死。村上春樹のような。予定調和が不快じゃない、大人のための童話です。よく出来てて楽しめたけど、ラストはいまいち。「ねこ」はせっかく“へんてこさに誇りをもてる”ようになったのに、「みにくいあひるの子」落ちにしちゃうのはあんまりだ。

 
  谷家 幸子
  評価:B
   なんだか、誉めるには複雑な気分のするオハナシではある。まあ、複雑なのは私が捻くれているからなんではあろうけれども。
去年、アゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んだ時にも感じたことなのだが、キライと表明するのがはばかられるような気配が濃厚に漂う。やさしいヒト、シンプルでナチュラルなもの、ピュアな心、自分探し、一生懸命、なんてものが大好きな良識派の方々にたいそう好かれそうなたたずまい。こんなものつまらん、などと言ったが最後、「性格悪」の烙印押されそうな圧迫感。なんだかねえ、そういうのがもうたまらんわけです。
しかし。
これは面白いよ。純粋にツクリモノの物語として、非常に良く出来てると思う。とても、楽しんで読んだ。主人公ねこの父親、ねずみ男の最後なんて、悲劇なのにそこはかとない可笑しみがあって秀逸。(その後のエピソードはやや蛇足。)最終章で、ちょっと教訓色が強まってしまってるのが惜しい。とはいえ、こんなピュアではない私が言うのもなんだが、「ひとはなにかをなくせば、なくなったそこからやっていくほかはない」という一文にはヤラレました。

 
  仲田 卓央
  評価:A
   素晴らしい。ここに登場するもの、音楽、料理、言葉、犬、優しさ、死。すべてが素晴らしい。この、ちょっととっつきにくくて、分かりにくい物語の世界は決してみんなが好むものではないだろうし、人によってはさっぱり訳が分からないものかもしれない。しかし、分かる人にとってこの世界は懐かしく、切なく、そして優しい。世の中に自分の居場所はないと思い込んでいる人、明日が来ることが楽しくもなんともない人、休み時間も給食の時間も苦痛の時間でしかなかった人には、たぶん分かる気がする。そして、分かる人は読み終えたときに自分の生きるこの世界もそんなに捨てたものではないと感じるかもしれないし、もしかしたらこの世界には価値があると思えるかもしれない。これはそういう物語である。

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