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  滅びのモノクローム 滅びのモノクローム
  【講談社】
  三浦明博
  本体 1,600円
  2002/8
  ISBN-4062114585
 

 
  石井 英和
  評価:B
   ひょんなことから見つかった古い一本のフィルムから、闇から闇へと葬り去られんとしていた歴史の暗部がグイと浮き上がり、白日の元にさらされてゆく過程は手に汗を握るものがあり、著者の捉えたテ-マには、大いに共感させられた。ただ、重大なテ-マを扱っているからすなわち優れた小説である、とは限らないのも事実だ。なにより、小説中において「謎」の提示と事情説明、そしてその展開と解明が、すべて登場人物の説明的台詞の中で行なわれる辺り、どうにかならなかったろうか。全編、どこかにある別の物語の粗筋やら裏話を聞かされているようだ。どうせなら「本編」を読みたいのだから、こちらは。また、後半に現れる<政治フォ-ラム>のシ-ンは、なんだか安手のテレビドラマのようで、ちゃちな印象を受けた。あと、著者のウンチク開示癖はどうにかならないかなあ。

 
  今井 義男
  評価:B
   幕開けは昭和二十年八月の長崎。そして場面は回り舞台さながら一足飛びに平成の時代、北国のひなびた骨董市へ。左遷寸前の広告制作者・日下は商売気のない女から古い釣り竿と錆びたスチール缶を買う。缶の中の16ミリフィルムには一見何の変哲もない釣りの風景が。それは時が封印した悪夢の断片だった。眠りから覚めた映像は、闇にひそむ何者かを呼び寄せ、人知れずフィルムにつきまとう死臭は一歩また一歩と距離を詰めてくる。ヒロイン・花のすっきりした性格とは対照的に事件は底なしの陰鬱さをみせる。上手い。淀みない語り口に導入部からぐんぐん引き込まれる。後半、迫り来る影の正体が明らかになるにつれ脅威が半減してしまうのが唯一の弱点。花や日下に無力感を生じせしめるには少し駒が足りなかった。だが、全編に横溢する不気味さはそれらを補って余りある。

 
  唐木 幸子
  評価:C
   なんなんだろう、このストーリーが繋がらない感じは。【釣り】と【CM業界】と【戦争】と【政治】というテーマの食い合わせが悪いんじゃあないだろうか。並々ならぬ著者の素材への意気込みも感じられるし、この人にしか書けない世界を形作っているように思うのだが、いかんせん、延々としていて、わー面白い!という魅力に欠ける。読んでいて期待するテンポで話が展開しないんだもんなあ。著者が誠実に書き込みすぎるのかも。しかし巻末の江戸川乱歩賞授賞リストを見て今更ながら授賞作家のその後の活躍ぶりのレベルの高さに驚く。この著者も作品を重ねるうちに、読者を唸らせる作家に脱皮して行くのだろうか。ちなみに、小説現代9月号に掲載された著者初めての短編『メドゥサの毛鉤』(やはり釣りが絡むのだ)は、美形の若い女が駅から逃げていく書き出しがなかなか加速が効いていて、著者が一歩、輝かしい世界へ踏み出した雰囲気が感じられた。

 
  阪本 直子
  評価:A
   完璧に構築された論理の美を楽しむ本格推理ではない。生身の血肉を感じさせてくれる人間達が、ふとした偶然からぽっかり現在に浮かび上がってきた過去の秘密を巡って必死に走る。それは太平洋戦争中のある事件だ。所謂“民主主義文学”系以外では結構珍しいと思うのだけれど、ここ数年で次々国会を通過して行った現実の法律への懸念がはっきりと語られもする。最近やけに声の大きい、よく見ろ日本人これが戦争だあ、の世界とは正反対の危機意識をもって。なんて言うと、あっもう判った、じゃ読まなくてもいいよとか言われそうだなあ。何か辛気臭くて情緒的で悲憤慷慨型のアレでしょ、語り継ごう過ちを繰り返すな的な感動の力作ね、はいはい。と思ったそこのあなた! これは何たって乱歩賞受賞作なんですから。ディック・フランシスを思わせる謎と冒険です。危険なフィルムは、何故釣りのリールと同じ柳行李に入っていたのか? さあお立ち会い!

 
  仲田 卓央
  評価:B
   このありがちでお世辞にもセンスあふれるとはいいがたいタイトルから想像するのは難しいのだが、この作品なかなかに面白い。特に脇役陣の人物造形がいい。ちょっと偏っていて、ある種の能力に優れている、そして優れているがゆえさらに屈折してしまう人間。こういうキャラクターが上手に描かれていると、それだけでポイントアップである。そして、それを敢えて脇役に持ってきているところが心憎いではないか。まあ、個性的でいい味の出しすぎの脇役陣に比べて、主役扱いの2人がいまいち魅力的でないのが残念ではある。しかしこの話、相当怖いぞ。いや別にバケモンが出てくるとか呪いだとか、そういう話ではない。この物語の怖さは「自分はどれだけのことを忘れながら、あるいは忘れたフリして暮らしているのか」ということを思い出してしまうことによる怖さである。大なり小なり「ありそうな」話、そして今日もどこかで進行していそうな話である。最後のページに書いてある「この作品はフィクションです」という白々しい但し書きがいっそう怖い。

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