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  アジアンタムブルー アジアンタムブルー
  【角川書店】
  大崎善生
  本体 1,500円
  2002/9
  ISBN-4048734105
 

 
  大場 利子
  評価:B
   帯に、死という漢字を見つけて、また誰か死ぬんだ・・・。
 村上春樹の新刊が発売される事を、インターネットでも新聞でも本屋さんでもいっぱい見かけてしまったせいなのだろう。冒頭から、小さな村上春樹がちらほらと顔をのぞかせる。そんなことはとても小さなことで、嫌いではないから、途中から気にもしなくなる。
 死があることは冒頭から分かっているのに、その場面にぶつかって、劇的変化に自分の中まで反応してくっきり落ち込んだ。「死」に自動的に反応したのではない。完全に持っていかれた。

 この本のつまずき→「アジアンタム」が分からず、検索。よく見かける観用植物だった。カバー写真そのものだった。しかも帯のはしっこに、御丁寧に説明まで。検索不要だった。

 
  小田嶋 永
  評価:B
   愛する人を喪い、退屈で憂鬱な時間をデパートの屋上で過ごす主人公はSM雑誌の編集者。それは、「巻く余地のないゼンマイをきりきりと巻き上げる」ように、喪失を受容する行為であった。そこに忽然と現れる、夫に自殺されたという女性(ただし、深い関係にはならない)。中学時代の万引き事件と高校時代の先輩女子高生との性的体験の心象風景を織り込みながら、仕事に打ち込むことで自分を紛らし、憂鬱から動き始める姿を描く。しおれたアジアンタムが立ち直ることにたとえたのが、タイトルの由来。後半は、愛する人との最期までの日々の回想シーンがメインとなる。難をいえば、最期の切なさ・悲しみには感動したが、死の場面は安らか過ぎるかなあ。それと、悲しい場面に向かう途中で水をさすようで悪いが、主人公が旅先のニースで現地の人と何の苦もなくコミュニケーションをとっている、恐らくはフランス語で話しているんでしょうけど。そういうところの「現実感」は、フィクションであってもクリアしておいてほしい。

 
  新冨 麻衣子
  評価:A
   「愛する人が死を前にしたとき、いったい何ができるのだろう。」この帯に心をつかまれる人は多いのではないかと思う。その言葉ずばり、末期ガンで死を宣告された恋人との、最後の切ない時間を描いた、哀しいストーリーである。誰だって愛する人が死んでしまうという可能性を否定できない。だからこそ苦しい、やりきれない二人の気持ちが、やわらかな言葉でつづられた文章に胸を打たれる。またこれは前作の『パイロット・フィッシュ』からの引用となるが、「記憶が僕の中にある限り、僕はその記憶の君から影響を与え続けられることになる。」というのも、この2作品に共通するテーマである。たとえば私はコンビニで缶チューハイを見ると、それが好きだった死んだ祖母を思い出す。通俗的な言い方だけど、それが、たとえ死んでも二度と会わなくても心の中で生き続けるってことなんだろう。そう思うと、少しだけ死ぬのも怖くなくなる。優しい気持ちになれる一冊です。

 
  鈴木 恵美子
  評価:C
   しめっている。しけているとまでは言うまい。パサパサに乾ききり罅割れが目立つ昨今のご時世には潤いが求められるんだろうなとも思う。でも干天の慈雨なら潤いと言ってもいいだろうが、梅雨の長雨か、秋雨前線みたいに最初から最後までしめってる。彼女が残したアジアンタムに吹きかける水で、彼女が撮した水溜まりで、涙で、雨で、部屋に据え付けた大型水槽を循環する水で、感情過多で…。確かに死は人を激しく打ちのめすし、そこから立ち上がる苦しみも又、曰く言い難いものだ。だからこそ表現する価値もあるのだろうが、その中で一番イージーなのは、自己劇化と死にゆく者への美化だろう。「土踏まずのような女 」地べたを踏みしめても決して汚れないだろう、汚れ無き女という第一印象から美化は始まり、「死ぬのが怖いんじゃない。悔しくもない。隆ちゃんの優しさが嬉しいのよ。」と泣く殺し文句、他にも、ああ、テレビドラマか舞台なんかで見てたら、単純に泣かされるだろうなと思うセリフが多々あるが、なんか小説だとそんな安易でいいのかなと懐疑をはさみたくなる。

 
  松本 かおり
  評価:A
   随所で、不意に泣けて困った。シミジミと、良かった。じぃぃーんと感じ入った。この本、装丁もまたしっとりと美しい。
 愛する人の死を前にして、何ができるか、という問いそのものは珍しくない。この問いからして、結末はおおかたの予想がつくが、陳腐なメロメロドラマに終わらない。著者は、主人公の「僕」と恋人・葉子とのラブラブな毎日よりも、流れ続ける時間の中で「僕」がいかに現実を受け入れていくか、その過程を緻密に追う。
 「僕」は言う。「憂鬱の中からしか生まれてこない、苦しみもがきながら、身をよじるように、体の一部分がねじきれるような痛みの中からしか手にすることのできない優しさこそ本当の優しさ」だと。
 何かが終われば、必ずまた何かが始まる。静かに立ち直っていく「僕」、その優しさの根底にある強さに勇気づけられ、安堵するひとは、きっと多いに違いない。

 
  山内 克也
  評価:B
   自ら望むなら、どんな死を選ぶか―。ノンフィクション作家の柳田邦男は「いろいろ考えて、がんですね」とかつてある雑誌で答えた。柳田は医療ルポで、がん治療や闘病の過酷さを知悉しているはずで、「なぜ、がんなの」と驚いたが、「がんは命の期限を知り得て、自ら振り返る時間と死を受け入れる時間も与える」の言葉になるほどと思った。
 この作品は、がんで死んでいく恋人・葉子の前に、優しさでしか意思表示できない主人公の切なさを描いている。ただ、どうしても、柳田の言葉が頭の中でリフレインし、その視点で読み込んでしまった。分刻みに命の期限を感じる葉子は、「いつまでも優しい人でいてね」と、主人公に出会えた幸せを振り返る。言葉をかけられた主人公は「葉子のために優しさで無敵になれ」と喪失への悔しさを胸へ浸みさせる。「死」を境に去る者と残る者の思いがすれ違う様を淡く描き、泣かせた。

 
  山崎 雅人
  評価:B
   男は感傷的、女は繊細でピュア。お互いの存在だけが、生きている証だった。その命の輝きを知る唯一の存在アジアンタムも、死を目前にしている。
 葉子を失った山崎隆二は、デパートの屋上で憂鬱に身を沈めていた。生きる糧の喪失に耐える日々の中で、幸せであれば心の奥底にしまわれていたであろう過去が、傷を癒し、活力を与え始める。
 葉子の死に向かって、事件が起こる訳でもない。静かに、ゆっくりと死が近づいてくる。彼女の死は美しい。美しいがために、悲しみも深くなる。いっそ無様であれば、傷口も浅くなったであろうか。
 アダルト雑誌の編集者で、純粋な心の男。そのコントラストが、甘い雰囲気を引き立たせている。残念なのは登場人物が平板なこと。やさしく、ものわかりの良い人ばかりである。
 好き嫌いの分かれそうな話だ。愛に飢えている人にはつらいかもしれない。

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