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├2001年6月
└2001年5月
(上)
(下)
海辺のカフカ
【新潮社】
村上春樹
本体 (各)1,600円
2002/9
ISBN-4103534133
ISBN-4103534141
大場 利子
評価:A
カフカが向かう地は、なんで高松なんだ。松山でもいいじゃないか。そういう不満はあるとしても、お気に入りの一文が、例えば「僕らは効率よく、とても無感覚に目的地に運ばれていく」という具合に、簡単に見つけられるくらい、充実した読書時間を過ごせた。
しかし、純粋には楽しめなかった。自らのせいではあるが、公式HPをいたずらに冷やかし過ぎた。発売前から設置されていたHPを更新のあるなしに関わらず、毎日チェックして、常に著者を感じていたせいで、物語中ひっかかる事が起こるたびに、著者の顔色を伺うような気持ちになった。このような解釈でいいのだろうかと。より本書を楽しむためのHPなのに、あだになってしまった。
この本のつまずき→言葉の右横に打たれた点と、太字にされた文章。それは何を示すのか。単なる強調か。
小田嶋 永
評価:A
久方ぶりの村上春樹。テーマやメッセージがどうのと関係なく、感覚で読んでしまう作家の一人なので、客観的に評することは難しい。かつて『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のストーリーと構成にうなってしまったが、この作品も同様に2つの物語が交互に展開する。ただ、最後に2つの世界が融合あるい転換することなく、2つの物語は少しの時間のずれを保ちつつ、一つの点で接し、また離れていく。1つは15歳の「僕」の恋と冒険の、もう1つは記憶を奪われた不思議な力をもつ「ナカタさん」の旅の物語である。「ホシノさん」「なんだい?」 魅力的な脇役である「ナカタさん」と「星野青年」の、この掛け合いは、読者に安らぎを与えてくれる。一方の「僕」の物語は、現在形の文体が、読み手にいっそうの不安定さを感じさせる。この違和感は、「村上春樹の文章って、こんなだったっけ?」と最初は思っていたのだが、実はこの小説のテーマにかかわっているようだ。「この場所では時間というのはそれほど重要な問題ではないのだ。」(本文傍点つき)記憶を失うことが、人にとってかなり恐ろしいこと、人は記憶の中で生き、かつ生かされる、そんなことを考えさせられた。
新冨 麻衣子
評価:C
うーん、むずかしい。細部細部はおもしろいんだけどな。小説にあるべき結末を引き離した作品であると思う。これまで読んだことのないタイプの小説であることは確かだ。ただし私の好みではない。第一に読む者を突き放しすぎる。第二に難しい言葉を使いすぎる。メタファーだのソリッドだの普通に会話に差し込まれていては逃げ出したくなってしまうではないか。エンターテイメント小説として読むことが間違っているのだろうか。巧みなストーリー展開には引き込まれたが、ラストの方になってくると頭の中にクエスチョンマークが飛び交ってしまった。しかし世間的には騒がれていますね。もしかして好みの問題ではないのだろうか・・・と、自分自身の読解力に疑いを抱いてしまう。ほかの人の感想が知りたい!
鈴木 恵美子
評価:AA
メタファーの寄せ木細工は入れ子構造にもなっていて、結構はまってしまう。ペダンティックで懇切丁寧な解説をしてくれる両性具有の美青年もいてサービス満点。もちろん成功して輝きを放つ世界を作り上げているメタファーと消耗品のようなそれが混在しているが、なにしろ「世界の万物はメタファーだ」と言うほどおびただしい数でちりばめられているのだから、それぞれが、数尽きぬ真砂の中からお気に入りの貝殻や小石をよりどりみどり拾い上げ、お宝にして満足するように出来ている。おなじみの喪失を吹く風、とりわけ図書館と森は、奥深く、静かで息苦しいまでに切ない気配に満ち、シェルターであると同時に危険な試練と再生の磁場となっている。この世の重みに耐えかねて地球の裏側ならぬあちらの世界に突き抜けてしまう場所だ。少年は、不吉な予言の運命への抵抗、諦めや、不可解への焦り、愛への渇望、諸々の混沌そのもののような内面迷宮の探索に駆られ、魂の異界、森の奥深く分け入っていく。それを助けるのは影が半分しかなく、猫と言葉を交わし、空から魚やヒルを降らす、「本のない図書館のような」無辜のナカタさんとその弟子ホシノ君の無償の奉仕だ。これってかなり宗教的存在。異界と現実のはざまの波うちよせる海辺のカリスマ。これって可?不可?
松本 かおり
評価:D
私にとって作家の村上氏といえば春樹ではなく龍である。春樹氏の作品は高校時代に読んだのが最後、以後20年間、手にとることもなかった。それはなぜか。もやもやとまわりくどく、ぬるすぎる温泉のようで落ち着かなかったからだ。久しぶりに読んだ今回の作品でも、残念ながら印象は同じ。
「僕」の精神的早熟15歳ぶりはそれなりに魅力的だし、四国で出会う大島
さんの台詞は好きだ。「自由なるものの象徴を手にしていることは、自由さそのものを手にしているよりも幸福なことかもしれない」「僕らはみんな、いろんなものをうしないつづける。大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ」など、この人の存在感は大きい。しかし、延々と続く、魚やヒル、ネコと会話するナカタさん、妙な石などのエピソードには「ふ〜ん……?」としか言いようがなく、少々疲れた。
装丁色は上下刊とも私好み、ページの紙質も厚すぎず薄すぎず、しなやかでめくり心地抜群なのだが、春樹ワールドそのものはいまだ私には遠い。
山崎 雅人
評価:B
悲劇的な予言から逃れられないカフカ少年。神に導かれるナカタさん。運命が交差する時、境界の扉が開く。
中野区、四国、地名までもが、象徴でしかない。言葉も名前も意味を持たない世界。生と死、時空のあちらとこちら、どちらに所属するのかは自分が決めること。
日本が舞台で、具体的な場所まで明記されていても、空想の世界にいるよう。ちょっと現実に近い『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』といった雰囲気だ。
つかみどころがないのか、懐が深いのか。どんな解釈も受け入れてくれるような気がする。読むごとに、深みが増すというより、水平に広がっていく感じ。
一粒で、二度おいしいグリコのような(村上調の比喩のつもり。古くて通じないかも)。
村上春樹にかかると、十五歳も単純で純情なだけではいられない。三年に一度は読み返したいおとぎ話です。
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