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  家庭の医学 家庭の医学
  【朝日新聞社】
  レベッカ・ブラウン
  本体 1,400円
  2002/10
  ISBN-4022577983
 

 
  大場 利子
  評価:A
   帯に「介護文学」。有吉佐和子「恍惚の人」。ためらう。間違いなく泣く。「体の贈り物」のレベッカ・ブラウン。そうだった。
 私の母を介護する物語。私を含む三人の子供達と遠く離れて暮らす母を介護する物語。 壮絶であったのに、まるでそんな言葉とは無縁のような描かれ方。それ以下でもそれ以上でもない、介護する側と介護される側の心の動静。そのまま、そのまま、介護の物語。
 物語がぜい肉のない形で進めば進むほど、「私」の心は物語全体に行き届き、余計に心かき乱される。どうしたって、「私」と自分を重ねずにはいられなかった。だからこそ、著者は、そのままをそこに。
 この本のつまずき→帯の小川洋子と川上弘美の言葉。何も加えず何も邪魔せず素晴らしい。

 
  小田嶋 永
  評価:B
   「母はもう母のようには見えなかった。」「そこを流れる水が、母を運び去った。」死にゆく者との日々を淡々と語る。こういう客観性が、逆にリアリティを感じさせる。「介護文学」と評されているが、「看取りのケア」の文学というほうがいいだろう。章タイトルに、医学用語を当てはめるという斬新なアイデアや、『体の贈り物』で訳者の柴田元幸が述べているように、「中学英語の範囲に収まるような文章と単語を使って書かれている」にもかかわらず、ノンフィクションなのかフィクションなのかを問うことを超越した、文学的な優秀さを感じる。

 
  新冨 麻衣子
  評価:B
   帯の言葉が「読めそうで、読めなかった待望の『介護文学』」。同じく介護をテーマにし、約1ヶ月前に発行された倉本四郎著『往生日和』を対抗馬に。『家庭の医学』は末期ガンを宣告された母親の死期を、看取る娘からみた「介護」のノンフィクション。家族の死をここまで客観的に描けるものか、と驚くほど冷静に母の病状が悪化していく様を淡々とつづる。「死」に対する人間の無力さ、切なさが浮き彫りにされる。一方で『往生日和』は老衰の父親を引き取った息子とその妻、そして死が迫る父親自身、3つの視点から描かれた「介護」の小説。介護生活を背負った家族や親族の葛藤、介護される「父」自身の心苦しさを描き、介護への不安と「死」への恐怖を薄めるやさしさに満ちている。
 やはり介護はいやというほどに現実であるし、それを経験したからこそ、著者はここまで感情を抜き去って書き上げ、現実を多くの人に知らせたのだろう。だけど一方で、甘えだとわかっていても、『往生日和』のような小説に救われたいなあとも思った。。

 
  鈴木 恵美子
  評価:B
   「死は終(つい)のその一瞬にあらざれば我らは深く長く畏れる」
父が亡くなって六年経った今も、自分の看取りの日々の拙さがありありと思い出されて苦しくなった。肉体的に衰え、やつれ、苦痛を癒すはずの療法が却って苦痛を増し、心萎え、今までの自分らしさを日一日となくしていく末期癌の「死んでいくプロセス」は、理性ではそれを受け入れざるを得ないとわかっていても感情的には受け入れがたいものだった。モルヒネの副作用で見る幻視や幻覚を昼夜分かたず口走られるのにも心穏やかではいられなかった。この本に描かれている母の死に至る日々は、決して感情に溺れたり流されたりすることなく淡々と、「こういう風に人は苦しみ死んでいく」事をわからせてくれる。死について全く無知で無力でいたずらに畏れ、為す術もなく打ちひしがれるばかりだったあの頃にこの本を読んでいたら、 あんなにオタオタせず長い悔いを残さずにすんだのではと悔やまれる。そう言う意味では、実用書的なこのタイトルぴったりかも…。ほとんどAをつけそうになったが、この薄さ、字の大きさ、誰もがジンとくるテーマ。あまりにもベストセラーねらいな感じ。

 
  松本 かおり
  評価:A
   「私は母に、ただ単に終わってほしくなかった。どこか慰めと、恵みと、安らぎのある場所へ行くことで、この人生の果てに訪れた辛さから救われてほしい。そう思った」。そしてある日の深夜、「母は死んでいた」。
 母親に癌が発見され、娘である著者は治療につきあい、最期まで介護を続ける。その著者「私」の目の前で、母親の身体は壊れていく。その痛みも、「私」は彼女の身体反応を通して「見る」しかないのである。母親が自分とは別の肉体であり、実の娘であっても、結局は、ただ祈りつつ見守るしかない現実が胸に迫る。人の死はつまり、徹頭徹尾、本人ひとりで完結してしまうのだ。
 著者は、各章冒頭に「貧血」「嘔吐」などの医学的項目を置き、死への過程を明確にすると同時にエピソードを限定する。遺産相続、医療費問題などは一切登場しない。母親の過去にさえ踏み込まない。それゆえに最期に向かう日々そのものが静かにくっきりと際立つ1冊である。

 
  山内 克也
  評価:A
    身内に末期がん患者を抱えると、家族は、途方もない混乱に陥り、死ぬまでの限られた時間の中で絶望の淵をさまよう。かつて私の祖母も末期の肝臓ガンに冒され、娘となる私の母は仕事を休んで看病で懸命になり、父はがん治療の名医探しで躍起になり、当時、東京の大学にいた私は「丸山ワクチン」なるものを故郷へ運びこんだ。シチュエーション的に同じような設定のこの小説は身につまされたが、抑えた筆致が効き、すんなりと読むことができた。  作中、日々母親はやせ衰え、止めようのない「死んでいくプロセス」を踏む中で、看取る側は「(母親が)今日はマッシュポテトを四口も食べたよ」とささやき、自らを奮い立たせるほんのかすかなきっかけにすがろうとする。逆説的に言うと末期がんの患者の存在とその介護は「家族」というものを一丸にまとめ上げ、その意味の深さを後で省みさせてくれる。

 
  山崎 雅人
  評価:B
   死はいつ訪れるか分からない。突然の死に対してはなす術もない。予告された死の場合、残されたものたちは、死の瞬間までの限りある時間が少しでも幸せであるようにと、祈りながら死と向きあうことになる。
 本書は、予告された死に直面した家族の、終わりの始まりから終わりまでを静かに描いた、介護の物語である。
 医学書のようなタイトルと、医学用語での章構成。癌を宣告された母親の経過を淡々と語り、感情を高ぶらせた表現で必要以上に盛り上げたりもしない文章。
 それが、目前の作業で精一杯という、家族介護の現実を突きつけ、やりきれない思いを増幅している。不謹慎な言回しではあるが、介護には手間と時間がかかる。想い出に浸っている余裕などない。
 最も遭遇する可能性の高い死のかたちを実感させられる、リアルでストレートな一冊だ。心を静めて読みたい。

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