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  成功する読書日記 成功する読書日記
  【文藝春秋】
  鹿島茂
  本体 1,429円
  2002/10
  ISBN-4163590102
 

 
  大場 利子
  評価:B
   せいこう?読書に成功?日記に成功?成功って何さ。
 「入門篇」「実践篇」「理想の書斎について」三篇で構成。前後の二遍はどうしても必要だったのか。
 読書日記となる「実践篇」は、一気に物知りに!知らないのはなんて幸せなこと!と大きな勘違いをさせて、気分良くしてくれる、分りやすい要約の数々。「《大東亜/太平洋戦争》論の類型学」の第十四型まで引用したり、「ギルガメシュ叙事詩」からギルガメシュについて教えてくれたり。未知の世界、未読の書籍ばかりなのにまるで自分が端から読んだような気にしてくれる。思わず買いたくなる。これ、まさに、成功する、読書日記。そのコツを、前後ニ篇で御教授願える。ありがたいことだが、頁が勿体ない。「実践篇」が何より面白いのだから。
 この本のつまずき→巻末の付録「読書日記帳」。九ページも必要か。

 
  小田嶋 永
  評価:A
   ぼくも、ホームページ準備中である。永遠に準備中かもしれないが。日記など3日と続いたためしがないのに、やはり「読書(買書?)日記」のページをつくり、読んだ本・買った本についてあれこれ書こうという気持ちがあるのだが…。結局、本のリストとして何とか書きためられている現状である。せめて、印象深い1節でも抜書きしておこうかなと考えていたら、「そう、それでいいのだよ」とありがたいお言葉を得た感じだ。「批評や感想を書くよりも、むしろ、読んだ文章を引用すること」の勧めである。読んだ本の内容を記憶にひっかけるアンカーポイントみたいなものだ。その書の本質的なところを必ずしも当ててはいない。それは、かなり個人的な好みが出てくるが、それでけっこう。「要は、読書をしたら、なにかしら、それを記憶に留める方法を講じたほうがいいということです。」さっそく、実行に移し、今月のコメントに引用が少なからずあるのは、そのためです。

 
  新冨 麻衣子
  評価:A
   おお、これはためになったぞ。「読書のすすめ」ではなく、本好きならつい興味を覚えてしまうだろう「読書日記のすすめ」だ。「飛ばし読みOK」という著者の薦めにより、さっそく本書の核をなす著者自身の読書日記を軽快に読み飛ばし、私自身の読書日記を付けはじめる。これがおもしろいんですね。普通の日記を書けと言われるとしちめんどくさくて三日も持たないけど、本なら読んでも1日に1冊か2冊だから書くのも楽だし、書くのが面倒な日があっても読んだ本は証拠として近くに転がっているので3〜4日分はまとめて書ける。おもしろい本を読んだら、その余韻が残っている内にどういう部分がおもしろかったかを書くのは楽しい作業だ。
 実践してみてとくに勉強になったのは、おもしろいとおもった部分の「引用」だ。ただ読むのと書き写してみるのは全然違う。読んだつもりでも一語一句まできちんと読んでいるわけではないということは、実際に書いてみないとわからない。このサイトを見ている人はきっと本好きでしょう。ぜひ一読、そして読書日記の実践をおすすめします。

 
  鈴木 恵美子
  評価:B
   フツー「成功する」って修飾語は、「投資方」とか、「受験マニュアル」とか、「ラブハント術」とか、すぐ○×式に損得結果が出るプラグマチックな内容にかかると思いこんでいた私めは、初見「成功する」が「読書日記」とミスマッチのような違和感を持ってしまいました。それは「入門編」を読んで、読書日記の多大な実用的価値を諄々と説かれて氷解したものの、じゃあ、「入門編」で説いた自らの理想がいかに実践的成功を収めているか「実践編」でとうとうと自慢されたり、蘊蓄を傾け啓蒙されるのは辟易かも…と思っていたら、これがまた嬉しい大違いで、硬軟取り混ぜ縦横無尽な知的好奇心(「知」にやまいだれがつくことも)に駆られて書の森を渉猟する疲れ知らずの先達のガイドマップといった感じ、思わず引き込まれ楽しめました。勿論「書く」という仕事のために仕入れる知の手段としての読書、つまりメシの種としての読書はさすがプロい。でも最後の付録、蛇足。しかも10頁も。

 
  松本 かおり
  評価:D
   読書日記ハウツー本か、鹿島氏の読書日記紹介本か、氏が自分の読書生活の理想と現実を語りたいのか、意図不明瞭な印象。ハウツーにしてはその解説量が少なくてさびしい。要するに読書日記は読書メモの延長であろうし、「具体的方法」も照明、眼鏡、椅子では当たり前すぎるのでは。
 話の流れに一貫性とパワーがないのも気持ち悪い。たとえば「飛ばし読みOK」が、1ページめくれば「しないに越したことはない」。紛わしい。鹿島氏なりの日記アイディアも、最後の最後に「ここに書いたようなことを守る必要はまったくありません」で興醒め。確かに、日記の書き方なんぞは人それぞれだが、守る必要が「まったく」ないと自ら全否定されるならば、いったい何のための方法紹介なのか。こうなると、「読書術」めいたものを加味したワケは、読書関連本ブームに便乗しやすく売れそうだから、ということか?と余計なことまで勘ぐりたくなる。
 読書日記だけを一気読みしたかった。対象本の種類は多岐にわたり、引用個所から内容把握もある程度可能。興味をそそられた本が数冊あって拾い物。

 
  山内 克也
  評価:C
    活字中毒者なら、読書が「安全な所作」とは思わないだろう。目は疲れるし、固まった姿勢が長時間に及ぶため体の節々は痛くなる。実際、私は書評を受け、いつもの倍集中して読むためか、最近胃がキリリと痛みだし、薬を傍らに置いて読み込む日々が続いている。そう、読書とは、ある種、身を賭した“戦い”なのだ。  本書の大半は「週刊文春」の連載「私の読書日記」を収録した形だが、その幕間の、読書に伴う肉体的な苦痛を和らげる処方を施したエッセイが一番興味を引いた。「椅子」「照明」「眼鏡」。読書環境を整えるには、この3点が重要と著者は説く。「椅子」の章では、柔らかい椅子は前かがみになるため胃や腸に負担がかかる、と指南。著者が推す堅めの椅子で読むが、私の胃はよくはならなかった。もとより神経性なので仕方ないが…。

 
  山崎 雅人
  評価:C
   普段、本を読まない人が読書家になれる本ではない。本に毒されている人が、人生を思い直すか、目を輝かせるか、どちらかである。 本を読むことは、読書日記に始まり、読書日記に終わる、と言い切る読書論に反応してしまうあなたは、奇人の域に足を踏み入れているであろう。
 孤高の読書家に登りつめるための実用書であり、ドキュメンタリーでもある本書を読み進む資格がある。普通の人も、もちろん読むことは可能だが、実用書としての実用域は非常に狭く、お菓子のおまけ図鑑を越えるマニア度なので、覚悟が必要だ。
 読んで、読んで、書いて、書いて。シンプルだが、追求すると深みにはまっていく。
 本の楽園への近道はない。死ぬまでに少しでも多く読む方法と、実践の軌跡がつまっている。読書日記から著者の興味などを想像するだけでも楽しい一冊だ。読書偏愛記録文学とでも命名すればよいだろうか。

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