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  阿佐田哲也麻雀小説自選集 阿佐田哲也麻雀小説自選集
  【文春文庫】
  阿佐田哲也
  定価 1,020円(税込)
  2002/12
  ISBN-4167323036
 

 
  池田 智恵
  評価:A
   「麻雀放浪記」というタイトルと、角川文庫の滝田ゆうの表紙の印象から、どこか飄々とした印象を持っていた阿佐田哲也だが、とんでもねえ。
 確かに文章の感触は飄々として、エンターティメントの名にふさわしい明快さを持っていたが、内面はハードボイルドだった。生き死にを賭けて賭事をやるなんてほんと、とんでもない。特に「麻雀放浪記青春編」のラスト近くに語られるセリフが印象的だ。
「負けた奴は裸にならなくちゃいけねえのさ」
 雀士には帰る家がない。守るものがない。相手を尊敬はするけど、寄り添わない。もちろん死ぬときだって、何も無い。ああ、本物のアウトローだ。カッコいいなあ。阿佐田哲也が自らの体験と架空の物語をごっちゃにして語るから、虚飾入り交じった世界がますます怪しく、魅力的に光る。おそろしくて、おもしろい。麻雀は全く知らなかったが、充分楽しめた。

 
  児玉 憲宗
  評価:A
   そう言えば、学生時代、卓を囲むときは「ドサ健」と呼ぶように仲間に頼んでいたっけ。そう呼ばれるだけで非情な勝負師になれる気がしたものだ。
 ドサ健、出目徳、ブー大九郎、シュウシャインの周坊…。阿佐田哲也さんの小説に登場するのはみな魅力的な男たちだ。カタギにゃなれない己の弱さを諦め、身のほどをわきまえたちっぽけな幸せを夢見て生きる、ずる賢くて浅はかな“ろくでなし”たちだ。なにも、九連宝燈をツモった途端に息を引きとった仲間を身ぐるみはいで、財布の中身をサンマア(三人麻雀)で争わなくてもいいではないか。敵にも味方にもしたくない、友だちにも身内にも欲しくない、それでいて愛すべき男たちの生きざまがあきれるほどに瑞々しく描かれている。この本にまとめられているのは、いずれもあお臭さが漂う麻雀版青春小説である。
 わたしは断言する。人間味あふれた麻雀小説において阿佐田哲也さんを超える書き手は今後も決して現れないだろう。賭けてもいい。賭けてもいいけど、そのときはどうか「ドサ健」と名乗らせてほしい。

 
  中原 紀生
  評価:B
   悪魔のゲームに取り憑かれ、私は学生生活の一年以上を無駄に費やした。この苦い記憶の片隅で、阿佐田哲也は神々しく、しかし眠たげにたたずんでいる。『麻雀放浪記』は、浅間山荘事件以後の多くの自堕落な学生にとって、麻雀の奥深さと人生に立ち向かうスキルがぎっしりと詰まった、一種のバイブルだったのだ。「その時分の私は、どういう世界であろうと、玄人としての接触、つまり真髄に触れるばかりにのめりこんだ生き方以外に興味がなかった。おそらく若くて、生命の力がむんむんしていたときだったのだろう。…二十年たった今はちがう。たかが玄人、と思っている。ひとつの真髄に触れるより、もっと大きな、綜合的な生き方があるような気がしてきた」(青春編)。たとえばそんなフレーズに、ゾクゾクしたものだった。あれから二十年以上の歳月が流れ、雀聖は逝った。生前の阿佐田が好んだ純粋な麻雀小説、「人物よりも麻雀牌が主軸になって展開が定まるような作品」(後記)として読むことのできる時代が到来した。いや、到来してしまったというべきで、だからこの本を読むことは、私にとってどこか無惨で痛ましい体験だった。

 
  渡邊 智志
  評価:A
   役を知らない・点棒を数えられない・索子筒子の区別がつかない…。そんな家庭的な麻雀しか知らないボクですが、小説では一流雀士の気分に浸って飛び交う符丁や「通し」の世界を味わうことが出来ました。勝負師の丁々発止のやりとり・イカサマを芸術にまで高めている創意工夫・技を磨くため常日頃の研鑽を怠らない労苦・負けがそのまま人生の凋落へとつながる悲壮感…、どれもこれもドラマチックで少々漢字が読めなくたって問題なく楽しめます。特徴的な登場人物もそれぞれに際立っていて、ライバルをつい応援したくなったり、勝負に賭けるピュアな心意気に忘れていた何かを思い出させられたり。想像していたような暗さや醜さなどは微塵も感じず、メンツの死体を捨てにいってからもなお牌に向かう姿は清々しさを感じるほどです。思わず明日からひとり天和の積みこみ練習をしたくなってきちゃいました。雀豪列伝「留置場麻雀」、短編「居眠り雀鬼」がお気に入り。

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