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WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫本班】2005年10月の課題図書

似せ者
似せ者
【講談社文庫】
松井今朝子
定価680円(税込)
2005/8
ISBN-4062751674
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  北嶋 美由紀
  評価:B
 収められている4編とも江戸時代後期の歌舞伎や芝居の世界が舞台であるが、大物役者そのものより、裏方や目立たない存在の視点で語られているのがまず良い。今でも梨園は一種独特の伝統があるが、この世界によく通じている作者ならではの細かい描写で、静かで風情のある文章である。一番印象に残ったのは「心残して」。江戸末期から明治へ移る混乱の時代が舞台。囃子方に勤める三味線弾きが主人公で、歌のうまい旗本の次男坊との交流が中心である。政治情勢のことなどよくわからず、ひたすら芸ごとと日々の生活に「生きる」町人と、小難しい理論をふりかざし「死」に美を覚える武士とが、崩れ行く体制と文明開化の中で運命を分けられてゆく様を描く。愛する者に心残して死を選ぶ命、生きながらえたことを恥じる命に「生きている分死んだ人より立派」と言い放つ三味線弾きに感動してしまった。そして、武士と芸人との血筋の新しい時代の未来にほっとして読み終えた。

  久保田 泉
  評価:B
 題名が、深くて憎い。私は一瞬読み方のせいで、偽者「にせもの」かと思い、にやっとした。表題作の似せ者「にせもん」は、歌舞伎の名優坂田藤十郎のそっくりさんの旅役者を、二代目にしようと画策する、番頭の語りで綴られる。これがいきなり役者という生き者と、演じるという業の真髄を浮き彫りにする上手いストーリーで、面白く一気に読んだ。続く狛犬は、いつも二人でいた役者が、舞台で敵同士になってからの揺れ動く心理を描く。次の鶴亀は興行師の亀八が、何度も引退興行を行う嵐鶴助に振り回される話だ。
 どの作品も松井今朝子の描く役者の心理は、凄みがあるリアルさと洗練された文章が他にない魅力だ。個人的にはラストの心残してが、一番良かった。三味線弾きと、美声を持つ旗本の次男坊のたった一度の共演から、激動の幕末を舞台に二人の運命が動き出す。役者という特異な人間を通して、本著のテーマは常に普遍的な人間。人間の業の深さの中の、一瞬の美しさを描いた秀作だと思う。

  林 あゆ美
  評価:B
 歌舞伎を題材に、その世界に生きるさまざまな立場の角度からみた物語が4編おさめられている。表題の「似せ者」は、亡くなった名優にそっくりの役者を見つけ、二代目として売り出そうとする、マネージャー的役割の与一。あれこれ仕掛ける与一の策はいかに……。景気がよくない、売れるためには人気のでたものの二番煎じをねらう――それは、歌舞伎の世界だけではない。しかし、それで成功するか。じわりじわりと、仕掛けがほころんでいく様は、与一には悪いが小気味よいものがあった。また、脇役の庄左衛門が存在感をだしていて、個人的にすごく好みの人物。歌舞伎好きが高じて、本業の合間にその評を書くようになり、客の出入りにも影響を及ぼすまでになったのが庄左衛門だ。手本をそっくりそのまま写した絵は、絵ではないといいきる。私も以前、手本そっくりに能面を打つ人の作品をみたことがある。なにもかも計ってきっちり仕上げた面は美しいのだがひらべったい。もうひとりは、時に伝統からはずれた打ち方をするにもかかわらず、どんな面でも味のある作品をつくる。どちらが本物なのか。それは、誰かがいわなくても見ればわかった。そんなことも思い出し、芸について思いを馳せた本書である。

  手島 洋
  評価:B
 江戸時代の歌舞伎役者、仕打ち(当時の興行師)、芝居の囃子方の三味線弾きといった、歌舞伎を題材にした4つの短編の入った時代小説。時代小説といっても、中心になっているのは「芸」をめぐる人々の心の葛藤や人間ドラマで、そのジャンルの本をほとんど読まない私でも違和感無く読むことができた。まっすぐに芸を追い求めるがゆえに、ある意味で、世間の常識、人情といったものから外れた行為をしてしまう芸人たち。そんな自由奔放に生きた大立者の歌舞伎役者である嵐鶴助と、彼のわがままに振り回されながらも、その才能に魅了された、お仕打ちの嵐亀八。そのふたりを描いた「鶴亀」が一番おもしろかった。優れた芸術家は、その支えになる人間がいて初めて、その才能を発揮できる。そうして支えとなった人々の喜びと哀しみがみごとに表現されているのだ。改めて、歌舞伎というものがほんのわずかの主役たちのために、数多くの人々の力が結集されてできあがっている芸術なのだと思い知った。

  山田 絵理
  評価:B
 江戸時代の芝居役者や、その舞台裏で活躍する囃子方や興行師を主人公に据えた、人情話が4本収められている。綿密な背景描写と語り口調が、江戸時代の芝居小屋の熱っぽい雰囲気や独特の喧騒を浮かびあがらせる。江戸時代の歌舞伎に詳しくなくとも、作者の作り上げる世界にひきつけられ、文章に酔いしれてしまった。
 特異な世界を描いているにもかかわらず、登場人物の心情の描き方が丁寧で親近感が湧いてくる。役者としての誇り、思いあがりや妬む気持ち、役者同士の確執、自分の芸に対する迷い。そして恋愛模様。彼らに寄り添えば寄り添うほどせつなくなる。
 「心残して」という短編が一番好きだ。江戸末期から明治に移り変わる動乱の世に、三味線一本で生き抜いた芝居の囃子方を勤める芸人と、戦に行くことを余儀なくされた刀という武器を持つ武士の、二人の生き様。どちらの選択が正しいというのではないが、やはり生きてこの面白い世の中を見ないのは惜しいことだという、三味線弾きの言葉が印象的だった。

  吉田 崇
  評価:C
 ホント、時代小説って読んだ事がなかったもので、書評やらせて頂く様になってから嫌々読んだ今までの本、そして本書も含めて、いやぁ、面白い、その面白さの粒立ちの良さから、当たりはずれのないジャンルなのかしら? などと夢見る気持ちになってる次第、我ながら単純馬鹿とは思いつつ、まずは、読まず嫌いは一生の損とうそぶいてみる。
 時代は江戸、舞台となるのは歌舞伎とその周縁の世界。もう、ホント、これ異星の世界と何ら変わりはありません。この物語世界の中を立ったキャラがはっきりした強さをもって生き抜いていくんですから、良く考えたら、面白くない訳がないんですね、再確認。
 人格設定のおおらかさ・判りやすさ、不必要な情景描写のない事も、案外面白さの秘訣なのかもしれない。とんとんとんと筋が運び、胸のつかえの下りる様な明快なラストシーン、娯楽小説はかくあるべきだ。

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