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勝手に目利き
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うしろ姿
うしろ姿
【文藝春秋】
志水辰夫
定価1600円(税込)
2005/12
ISBN-4163245405
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清水 裕美子
  評価:★★★
 恥ずかしながら『ラストドリーム』しか読んだことがないのですが(その印象から)志水辰夫は苦手でした。意固地でひねくれている主人公。泣かそうという意図(?)に頑張って踏みとどまってやるー!という余計な力が入ってしまいます、はい。今回はそれに加えて怒り心頭です。
この小説は7つの短編集。戦後に日本に引き上げて来た世代の主人公達。怨嗟と諦めと死がこってり詰まって、ヒリヒリすること請け合いです。ツ、ツライ……。
 中でも『ひょーぅ!』は最悪に痛い。最後を迎えた姉を病院に見舞う弟。姉の子供達が死んだと聞かされていた・おばあちゃん(その姉と弟の母)に連絡を取り、姉に会わせていたと聞いた弟は子供達に言い放つ。「(おれだったら)この手で絞め殺してる」。姉と弟の強い絆と記憶。短いページの中に織り込まれた物語と「ひょーぅ!」の音に身震いしてしまう。
 筆者はあとがきで「この手の作品はこれが最後になります」と締める。これらの物語は過去の価値観であり、小説は背景を共有するものにしか共鳴力を持たないと言うのです。だったらもう一冊の課題図書『ある秘密』に感動するフランスの高校生達は一体何に共鳴したのだろう?
読後感:ネットの時代だからとか言ってんじゃないっ!
 読み終わって、父に電話したんだから……。

  島田 美里
  評価:★★★★
 先人の苦労の上に、今の幸せが成り立っていることを忘れてはいけないと、諭されながら読んでいる心地がした。
 この短編集の登場人物は、戦後の混乱の波に翻弄された世代。満州から引き揚げてきて、経済的苦難を乗り越えてきた者もいる。スタートラインで重い荷物を背負うことは、こんなにも人の自由を奪うのかとショックを受けた。
 生きるだけで精一杯だった彼らが最後に求めるのは、やはり人生の輝きである。暖かな家庭に恵まれなかった指名手配中の男が、大事そうに携える熟れたトマトも、小さな店の主でこじんまりした生活を送ってきた男の心を奪った一面に咲く紫色のハナダイコンの花も、豊かな人生への憧憬なのだ思う。
 あとがきで著者は、この作品の様式やテーマを「過去のもの」と位置づけ、過ぎ去った時代の幕を降ろすような発言をしている。しかし、現代の風俗を切り取ることばかりが、小説の目的なのだろうか。人生の選択肢を豊富に持てるありがたさを実感するためにも、こういう作品に、いつまでも書店の本棚を飾っていてほしいと思う。

  松本 かおり
  評価:★★★★★
 貧困、崩壊家庭、先細りの商売、病魔……。全7編の登場人物たちは、今でいう<負け組>にあたるのかもしれない。長年それなりに努力もし、苦労も重ねてきたのに、ぱっとしない人生。いいことのなかった、あっても長続きのしなかった人生が、哀しい。重苦しい過去を背負い、華やかさなどとは無縁の細々とした暮らしに胸の詰まる思いがする。
 しかし、どの物語も、読後感は意外なほどに穏やかで心温まる。著者は、どんな人物であっても、社会の片隅で懸命に生きるひとりの人間として、丸ごと受け止めるのだ。その生き方に、達観、諦念、奮起、かたちこそ違っても、どこかに必ず一筋の救いの光を感じさせる。「それでいいんだ。負けんじゃねえぞ」。この一言が、すべてを象徴しているといってもいいと思う。著者の想いが率直に綴られた「あとがき」も含め、じっくり腰を据えて味わいたい<大人の物語>を集めた一冊だ。

  佐久間 素子
  評価:★
 著者最後の短篇集だそうである。「この本に収めた作品などすでに過去のものである」んだそうである。ふうん、である。たとえそれが著者の切実な思いであっても、そんなことをあとがきで書いちゃうことに反感。それは例えば、本書に共鳴した自分の読者の感性を「過去のものである」と決めつけることになるんじゃないの? 共鳴しなかった私が怒る筋合いでもないのだが。
 三十三回忌に母親の遺骨をひきとりにいった女性が、郷里と訣別する『もう来ない』。姉の最期にあたり、封印してきた過酷な子ども時代を回想する『ひょーう!』等々。この短篇集で丹念にえがかれるのは、おそらく人生最後になるであろう、ゆらぎ。分岐点ではあるけれど、何か変化が起きるわけではない。ただ高まる感情をぐっとおしつけて、さして希望の見えるでもない残りの人生に戻っていく。その強さと哀愁に心を添わせるのは、それでも色々信じていたい若造にはまだ無理みたい。

  延命 ゆり子
  評価:★★★★★
 人生の終盤を迎えた人たちの短編集。なんて暗く、哀しい小説なのだろう。希望もなく貧しく辛い過去を背負った人たちがこれまでの人生を振り返り、締めくくるための準備を始める。母親の33回忌にひっそりと訪れる者。壮絶な人生を共に過ごした姉に先立たれる者。娘に突然婿候補を連れてこられ当惑する者。きっかけは人それぞれだが、皆自分の時代が終わり行くのを感じている。そのうしろ姿には哀愁が漂ってせつなくなるものの、戦後日本が一番貧しかった時代から身を起こし、泥臭くも壮絶な人生を生ききった主人公たちに、しまいには畏敬の念が湧き起こる。
「生い立ちや時代から自由になれない世代」。日本には確かにそういう時代があったのだ。そしてそれを伝えてくれるのはもはや文学でしかあり得ないのだ。
 日本の一番辛い時代を乗り越えたこの小説の架空の主人公たちに「お疲れ様でした」と静かに頭を下げたい。

  細野 淳
  評価:★★★★
 本書に収められている短編の主人公は皆、様々な苦労を重ねながら今まで生きてきた人たちだ。例えば、「トマト」の主人公は、幼少の頃に満州から引き上げてきて、何もかも失った状態での生活からスタートせざるをえず、挙句の果てには叔父を殺してしまう。「ひょ−う!」の主人公もそう。亀戸のスラムに住んでいて、父親は酒乱で暴力的。家計を救うために風俗店で働く姉。そして主人公は、とうとう父親を殺してしまう。
 表面上はどんどんと豊かになっていく日本の片隅で、ひっそりと貧しさを抱えながら生きていく。そんな人物たちが次から次へと登場してくる。でも、そのような話を、実感として共有することができる人って、多分どんどん少なくなっているのだろう。だからこそ作者が「わたし達の時代は終わろうとしている」などといっているのではないか。それはそれで、しょうがないことではないのかもしれない。けど、この物語の作者にそんなことを言われると、こちらは結構寂しいものなのだ。