年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
ある秘密
ある秘密
【新潮社】
フリップ・グランベール
定価1680円(税込)
2005/11
ISBN-410590051X
商品を購入するボタン
 >> Amazon.co.jp
 >> 本やタウン

清水 裕美子
  評価:★★★★
 子どもが夢想する家族の肖像と隠された秘密。歴史の闇。
 子供時代に気配を感じる見てはいけないもの、聞いてはいけない物語は、強い力で家の奥へ奥へ引き寄せる。そして薄布の向こう側に姿を見せる。現代の私達はこの体験を民話でなく山岸凉子や今市子の「百鬼夜行抄」で味わうのだが、ヨーロッパではこの物語なのだろう。
 訳者あとがきによれば、本作はフランスの高校生が選ぶ文学賞を受賞したそうだ。著者はクリニックを開業するベテランの精神分析の専門家。彼は両親の物語を書き、書き上がったものを骨の部分を残して書き直す。ひ弱な少年が夢想するファンタジーから両親の秘密・歴史の闇を知る筋立てだ。しかし本作の力は、闇を見た後の主人公の生き方にこそある。本物の犬を飼い、真実を調べ、学び、父を抱きしめる。
 その生き抜き方に大きな希望を与えられるのだ。
読後感:悪夢を消散させる力強さ。

  島田 美里
  評価:★★★★★
 戦争には、苦しみを増幅させる力があるのだと思い知った。目の前が真っ暗になる絶望とは、きっとこんな風に残酷なのだ。自伝的小説だけに、読者にはフィクションだと割り切る逃げ場も与えられない。
 著者は15歳の時、家族の秘密を聞かされる。それまで、両親の出会いや、空想上の兄をロマンチックに思い描いていただけに、真実が明かされるに連れて生じるギャップは、まるで底なしの落とし穴のようだ。
 回想で振り返る舞台は、著者が生まれる数年前の時代。ナチスドイツの支配下にあったフランスの背景には、ホロコーストという惨劇が不気味に忍び寄っている。戦争は確かに怖い。だけど、ほんの少しの心の裏切りが、取り返しのつかない事態を招くことがさらに恐ろしかった。しかも、それが不可抗力とは呼べない、男女関係の罪だとしたら、どんなに後悔の念を注いでも、空しさを簡単には埋められない。
 この作品に出逢って、運命の非情さを受け止める覚悟を持つことを促された気がした。全く後悔しない生き方なんてあり得ないのだと身に染みる。

  松本 かおり
  評価:★★★
 どんより薄暗いなかに、黴と埃の入り混じった匂いとじっとりした湿気が立ち昇ってくるような、独特の雰囲気がひたすら重い自伝的小説。「ホロコースト」の陰を引きずる両親の秘密。彼らの真実を知ることによって初めて、息子である「ぼく」の過去がくっきりと輪郭を持ち始める。著者が徹底的に推敲を繰り返して削ぎに削いだという文体には品があり、「ほんのひとこと」を、運命を左右する決定的な一言としてみごとに印象づけている。
 しかし、正直なところ、他人の秘密告白は、その人間、内容に興味がもてない場合、延々と聞かされても苦痛なだけなのである。また「ホロコースト」という材料勝ちにも思え、気分は冷め気味。ゆえにそれは置くとして、本書はフランスの「高校生の選ぶゴンクール賞」受賞作だ。こういうシブい小説を推す、かの地の高校生の感性と知性に驚嘆絶句。どんな生徒が日頃からどんな本を読み、どう選択眼を養っているのか。それが知りたい。

  佐久間 素子
  評価:★★★★★
 やせっぽちで一人っ子の少年は想像をする。兄を創造し、若い両親の恋愛物語を夢想する。それは生きる手段であり、楽しい行為であった。十五歳の誕生日の翌日に、家族の秘密を知るまでは。以降、彼の想像力は真実の余白を補うことに発揮される。本当に存在していた兄と、罪深い恋。何もかもをとりかえしがつかない事態においこんだ戦争の残酷に、正面から向きあう少年の姿に圧倒されるはずだ。センセーショナルな盛り上がりなどない。感情を抑えたシンプルで淡々とした文章が、それゆえ、静かに激しく感情を揺さぶる。
 ナチスによる虐殺は、もっともよく語られる人間の愚行の一つであるし、それを断罪するのは簡単なことだ。同時に、深く人を傷つけ、その事実に自らの一生涯をも傷つけられた両親に同情することも、またたやすい。でも、そんな単純な感想を拒む力が本書にはあり、それは、とりもなおさず文学の持つ力なのだろう。 傑作です。

  延命 ゆり子
  評価:★★★★
 こうの史代の『夕凪の街 桜の国』はヒロシマのその後を描いた傑作で、日本人なら読んでおくべき物語だと思うのだが、この『ある秘密』もそれと同じ種類の物語だ。ホロコーストのその後、残された人々の生活について描かれている、必読の書だ。  かといってとっつきにくい戦争の話ではない。「ある秘密」って何なの?という興味だけで読み進められてしまう、非常に巧みな作りになっている。  スポーツマンの両親から生まれた主人公の少年は生まれつき病弱で孤独を抱えている。それを癒すために作り上げたのは妄想のお兄さん。だがある日屋根裏に熊のぬいぐるみを見つけた彼は、家族の秘密へと入り込んでゆく……。  幸せになることに罪悪感を持たなくてはならない生活。自分を責めないではいられない人たち。あまりにも過酷な現実に声も出ない。これは自伝的小説だそうだが、そこから立ち上がりこの本を書き上げた作者が素晴らしい。フランスでは高校生が選ぶゴンクール賞を獲得し、ベストセラー小説になったという事実にどこか安心もした。

  新冨 麻衣子
  評価:★★★★★
 1950年代、パリ。スポーツ万能な両親のもとに生まれながら、やせっぽちでひ弱な<ぼく>はひたすら想像の世界で遊ぶ内気な子供だった。空想上の兄と生活をともにし、両親の完璧なラブロマンスを頭の中で描いた。ところが十五歳になった頃、家族同然の付き合いをしているルイーズから、両親の「秘密の過去」が明かされる。若き両親のそばにあったのは、残酷な戦争の爪痕と、罪悪感と背中合わせの苦しい恋だった……。
 悲しいよ。すごく悲しい。誰も悪くないのにね。すべては戦争のせいだったはず。でも戦争がなかったら今のこの夫婦は、そして主人公は存在しなかった。そのループする矛盾が生み出す苦しさがぐいぐい迫ってきて、胸が痛いのだ。
 何より著者にとっては自分自身を切り刻むようなこの物語を、リアリティを保ちつつ昇華してひとつの作品に仕上げてしまってるのが素晴らしいです。

  細野 淳
  評価:★★★★★
 主人公一族(あるいは筆者の一族)の姓は、グランベールgrimbert。しかし、grinbergという綴りが、本来のものであるとのこと。日本人である自分には、この二つの綴りの違いがもたらす事実に気づくことはできないが、どうやら前者の表記は、ユダヤ人であることを決定づけるものであるらしい。この、改名の裏に隠された秘密。これこそが、本書のメインの話なのだ。
 第二次世界大戦中は、多少は迫害を受けたものの、それを上手く切り抜き、平凡に暮らしているように見える主人公の両親。しかし、主人公は、そこに不自然なものを感じ続け、ついに十五歳のある日に、両親がずっと隠し続けていた、秘密を知ってしまう。両親は、ナチスによって、主人公がそれまで思っていたよりもずっと深く、傷つけられていたのだ。その傷を経て、両親は結ばれ、主人公が生まれることとなる。
 ただ本書は、家族が負っている深い傷を、単なる悲劇だけとして描いているのではない。長い時間がたってしまってもそれを乗り越えようとする過程が、また大きな話の中心でもある。人が自分自身の過去とどう向かい、乗り越えて行けばいいのか、ナチスを直接には体感していない我々にも、学ぶべきところはあると思う。