WEB本の雑誌今月の新刊採点>勝手に目利き




2007年4月

このページは新刊採点員たちが、課題図書
とは別に勝手に読んだ本の書評をご紹介します。


磯部智子

神田 宏の 【勝手に目利き】

「赤」の誘惑―フィクション論序説 『「赤」の誘惑―フィクション論序説』
蓮實 重彦 (著)/新潮社
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 仏文学者・映画評論家の蓮實重彦が70年代、立教大学で映画について教鞭を執り、その門下からは、今を時めく周防正行や黒沢清などを輩出したことは周知の事実である。その授業は、聞くところによると映画のフィルム外に映っていることへの安易な解釈を禁じたと言う。曰く「勇気はどこに見えたんですか」「友情は画面のどこにありましたか」と(日経2006年10月23日『人脈追跡』)。その精緻で、かつディテールに拘るポストモダン批評は、フィクションを巡る文芸批評の言説に無自覚的に跋扈する「赤」という色彩を手がかりに、安易な作品解釈に陥ったそれらを批評し、漱石やヴァージニア・ウルフ、ポーや鴎外と、多彩な変奏を重ねて時に氾濫し、時にひっそりと立ち現れる「赤」の「読み」を行ってゆく。それは、安易な解釈を免れ「意味が横滑り」し、「意味が曖昧だったり、矛盾していたり、ナンセンスに陥ったり」し、「テクスト空間が、言語的にいうなら無意味とも思える要素から記号が生じ」(ミカエル・リファテール)たりする。こうした、「読み」(解釈ではない)を可能にする蓮實重彦の呪詛的な言説はエクリチュールの肥沃な原野に僕たちを誘って止まない。そこは、「意味」が「深い」とか「浅い」とかいったことではなく、もっと唯物論的に横に、横に広がってゆく言葉そのものの「層と厚み」に身をゆだねることなのだ。


ソシュール 一般言語学講義 コンスタンのノート 『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンのノート』
フェルディナン・ド・ソシュール (著)/ 東京大学出版会
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 現代思想の極北、ソシュールの『一般言語学講義』の新訳。岩波版や而立書房版との違いは、講義に出席したエミール・コンスタンのノートをほぼそのまま訳出したことである。したがって、従来版にはなかったソシュールの講義の「肉声」と言うか、思想の立ち上がる生々しさと言ったものの風合いが色濃く残っていることであろう。ソシュール自身によって語られる(パロール)講義は、ためらいや揺らぎを孕みつつも、記号論、構造主義、ポスト構造主義を巡る重要概念「言語(ラング)の恣意性」、言語が「価値」の体系であることが語られる。何か凄い事が語られているのではないかといった講義を聴くコンスタンの興奮が伝わってくるようだ。そして終章で、ソシュールが「言語には(つまり言語の状態には)差異しかない」と語りだすとき、語られていることの斬新さと、100年後の現代にもそのベクトルを伸ばす思想の射程の長さに眩惑と戦慄に近しい気分を覚える。巨大な思想の生まれる瞬間。そういったものの片鱗を味わうことの出来る良書である。


磯部智子

磯部智子の 【勝手に目利き】

ハンニバル・ライジング 『ハンニバル・ライジング』
トマス・ハリス (著)/ 新潮社
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 レクター博士と最初に出会ったのが『羊たちの沈黙』で、本がボロボロになるまで読み、映画もしつこく何度も観た。前作があると知り読んだのが『レッド・ドラゴン』続く『ハンニバル』と共に映画も観た。レクター博士に対する飽きることのない興味は、寡作なトマス・ハリスを待ち続ける辛抱強さになり、本作も貪るように読んだ。質問攻めにしたい彼の過去が徐々に明らかになる。前作で断片的に書かれた事実から想像を巡らし、知っていたことと新たに知ることを確認しながら読んだ。あの怪物レクター像からすると、激しさが足りないと言う意見もあるかと思うが、私は彼の幸福な子供時代の片鱗が垣間見えたことに安堵した。(感傷的には描かれていないが)彼の輪郭のある部分が詳細に書き加えられたことにより、全体像が一段と鮮明さを増し、暗示されたものと未来の姿の間にある、いまだ描かれていない人生に想像を巡らす。レクター博士の存在は作中人物の枠を超えていて、いつかその全貌が明かされることを望んでいるのか、本当は知りたくないのか私自身にも解らないが、それでも本作を読むことにより幾分渇きがいやされた気がした。


テロル 『テロル』
ヤスミナ・カドラ (著)/ 早川書房
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 「紛争地域を舞台にした三部作」の第2弾。タリバン統治下の『カブールの燕たち』に次ぐ本作は、前作と同様夫婦という密室の関係を通してテロが横行するイスラム社会を描く。加害者は妻、妊婦を装い自爆テロを決行するが、事前に何も知らされなかった夫は全てを失う。夫はイスラエルに帰化したアラブ人で、差別されながらも人として認められるための「超人的な努力」を惜しまず命こそ最上のものだと言う信条を持つ成功した医師。まず夫の視点が読み手にも抵抗がない「善」であることに注目する。対するテロは「悪」だが、首謀者が彼の最も身近で幸福だと信じていた妻であるから、その心の軌跡をたどらずにはいられない。妻の死の真相を探る小説と言えば先ずル・カレの『ナイロビの蜂』を思い出すが、行き着く先が妻との一体感であることに対して、この小説の中ではだんだんと夫は自分の立ち位置を見失っていく。重い内容だが一気に読ませる小説としての面白さもあり、善悪の境界が曖昧になりかけたところで一気に畳みかけ、「自由とは心の底からの信念」であるなら、それを死で示すしか手段を持たない世界の現状に、安全無事な立場にいる人間が眼をそむけることの是非を問われた気がする。


磯部智子

林あゆ美の 【勝手に目利き】

テロル 『テロル』
ヤスミナ・カドラ (著)/ 早川書房
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 すごかった。本の世界には、つねにびっくりする作家がどんと出る。読み手の私はびっくりしてその話を読めることを感謝する。これぞ読書の至福よ。
 と、すっかり結論めいたことを先に書いてしまった。本書は、早川書房のepi〈ブック・プラネット〉というレーベルのラインナップ。最初に紹介された同じ作家による『カブールの燕たち』もおもしろいのだが、最初に『テロル』を読んだので、第一印象はこの作品からもらった。
 幸せに暮らしていた夫婦のうち、妻が子どもが大勢集まるレストランで、爆弾をたくさん体にまきつけ妊婦のふりをして自分ごと爆発させる。もちろん本人は即死だ。夫にはまったく知らされていない計画。医者である夫が、妻のすさまじく痛めつけられた体をみてから、以来ずっとなぜ妻が、あの優しかった自分を愛してくれた彼女がと、苦しい疑問にさいなまれる。きびしい政治事情を背景に、テロの描写は生々しく炎が見えるかのようにリアルだ。それでいて、夫の気持ちをつぶさに書き留めることで、普遍的な愛も描いている。これらが同じ小説の中で調和され読み手を圧倒させるのだ。くりかえすが、すごい。


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