WEB本の雑誌今月の新刊採点>勝手に目利き




2007年9月

このページは新刊採点員たちが、課題図書
とは別に勝手に読んだ本の書評をご紹介します。


磯部智子

神田 宏の 【勝手に目利き】

ウナギ 『ウナギ―地球環境を語る魚』
井田 徹治 (著)/岩波書店
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 昨今、資源の枯渇が近々の問題としてクローズアップされる、ウナギ。古くはアリストテレスを悩ませ、新しくはグレアム・スィフトなどの作家を魅了し、日本でもなじみのウナギは未だその生態の詳細については謎のままである。小さな用水路をうごめくウナギがはるか太平洋マリアナ海溝近辺の海底山脈付近での産卵を経て、はるばる日本の河川へと遡行し、成熟するとまた川から海へと旅を続ける。その神秘に満ちた生活史を環境問題との関連でわかりやすくつづった本書は、私たちが、忘却のかなたに置き去りにした、古き良き川べりでの生活へのオマージュである。天然ものが驚愕の値段で料亭に並ぶこのごろだが、思い出すとわずか数十年前には、そこらにあのぎょろっとした目を輝かせ、うごめいていたのではなかったか?
 資源の枯渇は、乱獲と生活環境の悪化にあるという。特に遡行できる河川への巨大ダム、堰の建設が致命傷だと著者は指摘する。河川を下るウナギにとって発電所のタービンは致命的なダメージを与えるそうだ。ドイツの研究者がウナギに発信機をつけて調査した結果によると、ウナギはタービンのまえでしばし逡巡したのち、河川の水量の増加したときに意を決したかように(!)タービンに向かって突入するという。しかし、その致死率は25〜50%にも上るという。ああ、私たちの知らないところでウナギたちの子孫を残そうとする決死のドラマが繰り広げられている。ウナギが生きる河川。それは、単にウナギの問題としてでなく私たちの意識の再生へとも繋がっているような気がするのだが、大仰すぎるだろうか?


EXPOSED 東海村感光録 『EXPOSED 東海村感光録』
金瀬胖 (著)/新宿書房
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 荒い素子の白黒フィルムに定着されたのは、白い波頭をバックに海から上がるサーファーの姿。広い海原を前に砂浜にすっくと立つ釣り人の孤独。家庭菜園を手入れする老婆。歓声が聞こえてきそうな小学生の登校。それだけを見ると田舎の日常風景ののどかさが漂ってくるのだが、ざらついた写真のフレームの中に紛れ込んだのは、原子力発電所の乱立する排気塔。発電所の温水の排水口。放射線測定のための観測装置を収めた建造物。そう、この写真に定着されたのは1999年の臨界事故後の東海村の日常なのである。意図的にフレーミングされた構図には、人々の日常と、放射能汚染の危機の危なかしい共生なのである。写真を見て、波に戯れるサーファーに、平凡な村民の日常の凡庸に、小学生の笑顔の中に、そこに迫る危機を読み取るのは難しい。そういった、無自覚の中に目に見えない放射線といったものの恐怖を暴きたてようとする、写真家の意図を感じさせるのだが、ことはそんなに簡単ではない。電力という社会のインフラという巨大な装置に組み込まれた人々は、恩恵を受けるという立場でもあり、事故が起きたら無垢の被害者でもあるという両義性を生きている。そしてそこには、システムがもはや自然災害と同列に感じられてしまうかのような深い諦念があるのだ。その、諦念を嗤うのは容易い。しかし、いみじくも写真家のフレームが切り取ったように日常は連綿と続くのだ。そこには、普段の生活があり悲しみがあり、笑いがある。巨大システムが山神のように君臨する村。それが東海村の現実である。今月惜しくも急逝された、優れたドキュメンタリー監督の佐藤真氏が指摘するように写真は「潜在的に遺影」なのである。この写真集に写し取られた写真が真の意味で「遺影」として祭壇に祭られる日は来るのだろうか、未だ訪れない死(いつか訪れる神のいかずち)を生き続けているそんなチキンレースはもう止めにしたい。


磯部智子

磯部智子の 【勝手に目利き】

キス 『キス』
キャスリン ハリソン (著)/ 新潮社
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 長らく絶版だった本の復刊。新潮クレストブックスの創刊第一弾だそうだが、私はしばらく後、文庫で読み大きな衝撃を受けた、作家自身の近親(相)姦を描いたノンフィクション。暴力的な犠牲者もなく扇情的でもない、予想とは違う展開に息を詰めながら読んだ記憶があり、再読するにはそれなりの心構え、再び苦しむ用意が必要だった。若すぎる結婚で生まれた子供である作家、裕福な母方の祖父母は若い父親を追い払う。美しく成長した娘が父親と再会したのは20歳の時、失われた親子の時間を取り戻すべく、二人はお互いを貪りあう、最初は父と娘として、のちには違う関係で。彼女はなぜ受け入れたのか。母と娘の息詰まる関係、弱く若過ぎる母が「自分自身を守る唯一の手段」として発揮する残酷さに傷つき続けた少女時代、その母自身も支配的な祖母との関係に苦悩していた。三代にわたる母娘の確執、その束縛から逃れる為、母は結婚、娘は父の元へ、20年余りを隔てて同じ男の腕に飛び込んだ。そして誰よりも支配的でエキセントリックな性格を有する男との絆を断ち切ったのはそれぞれの母だった。この著作には、愛憎に引き裂かれる母娘の呪縛から解放される為に、大きな代償を支払った作家を、自分に引き寄せて考えずにはいられなくなる、ひりひりした思いが充満している。


リビアの小さな赤い実 『リビアの小さな赤い実』
ヒシャーム・マタール (著)/ ポプラ社
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 ひねこびた子供であった私は(長じて子供っぽい大人になったが)子供の頃から子供の本を好まなかった。ポプラ社出版だから子供の本なのか、確かに現在形の子供の視点で描かれてはいる。自伝的要素が強く、今大人の視点で振り返ったところでどうしようもないほど、特殊な子供時代が描かれる。カダフィ独裁政権下のリビア、9歳の少年スライマーンの父が、革命評議会の男たちに逮捕され連れ去られる。悲しみに打ちのめされた経験にもかかわらず、マタールは色艶やかに、トリポリの輝く太陽の描写から始め、ゆっくりとこれから彼が失うものがどれほど大切だったのかを綴っていく。過酷な状況に翻弄された人の心は次第に変質し、秘密警察の隣人は、平気で「人を太陽のむこうに追いやる」し、ママはいつも以上に「薬」を飲み、望まなかった結婚を呪い続ける。それは9歳の少年も例外ではなかった。友人を傷つけ自分も傷だらけになった。この小説もまた過去の精算であり、取り返しのつかない過ちを振り返ることには常に欺瞞が付きまとう。それでも異国に生きる人間のやむことのない望郷の思いと、これからも過去を背負いながら生きていかなければならない人間の姿が、切なく心に響いてくる。


血と暴力の国 『血と暴力の国』
コーマック・マッカーシー (著)/ 扶桑社
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 アメリカの小説が苦手で、翻訳本好きを名乗りながら殆ど読んでいない。その理由は、正義=力と言う一神教の国だという思いと、あらかじめ予想された正しい結論へとひた走り、それに至る道のりが曲がりくねっていようが険しかろうが、信じるものへと力強く向っていく姿に恐ろしさを感じるから。その為、全米図書賞受賞作家マッカーシーの評判を聞いてはいたが、異色作と言われるこのクライム・ノヴェルが初見になってしまった。この小説の中では、大金を持ち逃げしたヴェトナム帰還兵のモスを追って、「純粋悪」の殺人者シュガーが登場し、彼の出自や来歴は一切明らかにされないまま、関わるものを例外なく(一人残らず)殺戮していく。そしてそれが、保安官の独白以外一切の心理描写を排除した、会話と情景と行動に区分がない独特の描き方の中で、それぞれが余韻として残り、心の中で反響し何度も追体験を繰り返すことによって、安心できる結末への期待が、いつのまにか一掃されてしまったことに気付く破目になる。ひたすら自分が無力な存在だと感じさせられてしまうのだ。この世界に抗うすべのない存在があるなら……そんな明日を予感させるような重くずっしりした不安の中に取り残される戦慄の傑作犯罪小説。


磯部智子

林あゆ美の 【勝手に目利き】

ヴォイス 『ヴォイス』
アーシュラ K.ル・グウィン (著)/ 河出書房新社
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 待ち望んでいたル=グウィンの長編ファンタジー三部作の第二弾、『ヴォイス』が邦訳された。
 華やかで展開のスピーディなファンタジーではない。じっくりと丁寧に選ばれた言葉で綴られる物語は、複雑な事柄を単純にわかりやすくはしない。ただ、シンプルな言葉で静かに語っていく。前作『ギフト』を読んだ時も感じたが、『ヴォイス』も読んでいると、真摯な気持ちになってくる。ル=グウィンがこの物語を大事にかつ楽しく書いていることが、まっすぐ伝わってくるからだろう。
 ――わたしはいつもふしぎに思っていた。創り人たちはどうして家事や料理を物語から締め出すのだろうと。偉大な戦いは、そのためにこそ戦われるのではないのか――
 これは本書での主人公、メマーの言葉。メマーは名家に生まれたものの、戦のおかげで何もかもなくし、最後には母までも失った。ひとりになっても、自分にできることをすすんで行い、周りの大人に支えられながら、次第に自分の使命に気づいていく。焦点が当てられるのは、戦のような大事ではなく、戦にまきこまれて傷ついたものの回復であり、そのために、生活そのものにもたくさんの光をあてながら物語は語られる。大きな事を克服するだけではなく、日々のつつましさをだいじにしていくこと――その延長にこそ未来はある。読みすすめると、こちらの背筋がのびるようだ。このシリーズの続きを早く読みたい。三巻の邦訳が待ち遠しくてたまらない。



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