荒い素子の白黒フィルムに定着されたのは、白い波頭をバックに海から上がるサーファーの姿。広い海原を前に砂浜にすっくと立つ釣り人の孤独。家庭菜園を手入れする老婆。歓声が聞こえてきそうな小学生の登校。それだけを見ると田舎の日常風景ののどかさが漂ってくるのだが、ざらついた写真のフレームの中に紛れ込んだのは、原子力発電所の乱立する排気塔。発電所の温水の排水口。放射線測定のための観測装置を収めた建造物。そう、この写真に定着されたのは1999年の臨界事故後の東海村の日常なのである。意図的にフレーミングされた構図には、人々の日常と、放射能汚染の危機の危なかしい共生なのである。写真を見て、波に戯れるサーファーに、平凡な村民の日常の凡庸に、小学生の笑顔の中に、そこに迫る危機を読み取るのは難しい。そういった、無自覚の中に目に見えない放射線といったものの恐怖を暴きたてようとする、写真家の意図を感じさせるのだが、ことはそんなに簡単ではない。電力という社会のインフラという巨大な装置に組み込まれた人々は、恩恵を受けるという立場でもあり、事故が起きたら無垢の被害者でもあるという両義性を生きている。そしてそこには、システムがもはや自然災害と同列に感じられてしまうかのような深い諦念があるのだ。その、諦念を嗤うのは容易い。しかし、いみじくも写真家のフレームが切り取ったように日常は連綿と続くのだ。そこには、普段の生活があり悲しみがあり、笑いがある。巨大システムが山神のように君臨する村。それが東海村の現実である。今月惜しくも急逝された、優れたドキュメンタリー監督の佐藤真氏が指摘するように写真は「潜在的に遺影」なのである。この写真集に写し取られた写真が真の意味で「遺影」として祭壇に祭られる日は来るのだろうか、未だ訪れない死(いつか訪れる神のいかずち)を生き続けているそんなチキンレースはもう止めにしたい。
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