レコード大賞は価値がない!?~『ユリ・ゲラーがやってきた―40年代の昭和』

ユリ・ゲラーがやってきた―40年代の昭和 (文春新書)
『ユリ・ゲラーがやってきた―40年代の昭和 (文春新書)』
鴨下 信一
文藝春秋
851円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン

 年末恒例の人気音楽番組といえば、紅白歌合戦と並んでレコード大賞。現在は大晦日ではなくなってしまいましたが、以前はレコード大賞を終えた歌手たちがそのまま紅白歌合戦へ移動し、「ちゃんと出番に間に合うのか!?」というのも一つの名物でした。

 昭和34年、日本作曲家協会が設立されたその年の年末に、アメリカのグラミー賞をヒントに3人の作曲家(古賀政男、吉田正、服部良一)による話し合いから誕生したレコード大賞(後援はTBS)。現在はCDの売上ランキングなんて普通ですが、当時は「そんなことをしたら、売上に影響が出かねない」とレコード大賞発足に賛成したのは当時6社あったレコード会社のうちたった1社のみだったそう。注目度は低く、番組もゴールデンタイムではなく昼間の15時ごろから35分。会場も講堂などで行っていたそうです。

 番組が始まって10年目。TBSでちょっとした事件が起きました。当初はガラガラだった観客席も満席になり、番組がやっと認知され始めた当時、中継ディレクターを務めていた鴨下信一さん、なんとタイミングを間違え、大賞贈呈式を放送せずに番組が終わってしまいました。今なら苦情殺到、ディレクターは減給もしくは降格?にでもなりそうなものですが、鴨下さんは何も怒られずに済んだというのです。

 昭和40年代はそんな鴨下さんいわく「不安の時代」。「よど号ハイジャック」(昭和45年)、「連合赤軍・浅間山荘事件」(昭和47年)など歴史に残る事件や出来事が次々に起こっています。今の若い人たちにとっては、漫画「20世紀少年」で描かれているケンヂたちの少年時代と言ったら分かりやすいかも知れません。当時の日本人の想像を超える出来事ばかりの40年代は、まさにユリ・ゲラーのスプーン曲げのよう。奇妙なことが後から後からやってきて、目まぐるしく変化した時代でした。そう考えると、レコ大の大賞に興味が注がれなかった理由も、うなずける気がします。

« 前の記事TOPバックナンバー次の記事 »