ミシュランお断りのすごい居酒屋~『東京 大人の居酒屋』

東京 大人の居酒屋
『東京 大人の居酒屋』
太田 和彦
毎日新聞社
1,500円(税込)
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 日本ミシュランタイヤが発行する「ミシュランガイド東京2010」には、新しく「精進料理」「居酒屋」「串揚げ」「焼き鳥」の店が新たに加わり、話題になったが、"ミシュランお断り"のすごい居酒屋が東京にはたくさんある。

 例えば、昭和23年開店で、最近60周年を迎えたばかりの「さいき」(恵比寿)。店に入ると「お帰りなさい」。出る時は「いってらっしゃい」がお約束。舟天井、すすけた壁の四坪ほどの店内に小カウンターと机少し。二階には座敷がある。毎日代わる黒板の人気メニューは豆腐と海老しんじょう。店主の通称クニさんは調理の手が空くと、狭いカウンターに座り、最近はもっぱら演劇評を客とやりあっているが、常連だけの店ではなく、机席には古い店好きの若者、こっそり女優が座ることもある。

 しかし、それだけの店ではない。吉行淳之介、吉本隆明、遠藤周作、奥野健男、小島信夫など、戦後の文学の旗手たちが大作家になる前に、夜な夜な貧しい懐で文学論を戦わし、二階では同人誌の編集会議も開かれた。とはいえ、店内には色紙の一枚も見当たらない。そのまま普通の居酒屋であり続けるところがいい。それでも大学教授、演劇や出版関係者、なんとなく文化好きの女性たちが集まるのは、文学者のオーラが残っているからだろうか。

 一日の仕事を終え、一人で、あるいは親しい友人と居酒屋の暖簾をくぐるのはよいもの。また、好きな異性とのデートも、庶民の居酒屋ならばお互いの素顔がみえて気持ちが近くなる。せちがらい世の中に、とりあえずあれこれ忘れて、居酒屋で一杯かたむけるのは大人の愉しみ。東京の居酒屋ほど、さまざまな様相を見せるものはない。

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