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第21回:山本 一力さん (やまもと・いちりき)

山本一力さん

江戸の下町を舞台に家族の絆を描いた時代小説「あかね空」で直木賞を受賞して1年半。現在、月刊誌の連載が13を数え、しかもすべて小説という超多忙な山本一力さんを支えるのは、転職等の人生経験に加え、少年時代からの豊富な読書量にあるようです。インタビューでは落ち着いた低音の魅力で、時に静かに時に熱く、自らの読書史をひも解いてくれました。

(プロフィール)
1948年高知県生まれ。都立世田谷工業高校卒業後、様々な職業を経て97年に「蒼龍」で第77回オール讀物新人賞を受賞。2000年に初の単行本『損料屋喜八郎始末控え』(文藝春秋刊)を上梓、01年に『あかね空』(文藝春秋刊)で第126回直木賞を受賞。その他の作品に『大川わたり』(祥伝社刊)『はぐれ牡丹』(角川春樹事務所刊)『蒼龍』(文藝春秋刊)、エッセイ『家族力』(文藝春秋刊)がある。最新作は『いっぽん桜』(新潮社刊)。

【本のお話、はじまりはじまり】

――まずは最初に読んだ本を教えてください。

山本 : 絵本でしょうね。本を読めるっていうと5つか6つぐらいかな。昭和23年生まれですから30年にさしかかるあたり。あの時代の本といったら「キンダーブック」があった。名前は忘れられないなあ。たわいもない絵本でしょうけど、子供にとって文字より絵がどのように映るかじゃないですか。当時の東京の街並みだとか、高知の田舎にはないものが描かれていてすごく憧れましたね。

――活字を意識的に読み出したのはいつ頃でしょうか?

山本 : 小学校3、4年ぐらい。市の図書館が高知城のそばにあったんですよ。当時はおもちゃなんかまずないし、とにかく図書館に行くと子供の読める本がいっぱいあった。すごく印象に残っているのはアンデルセンの「絵のない絵本」。教科書に出てきた現物がそこにあったというのがすごく嬉しかった。あとは「ベーブ・ルース物語」。時代を感じるよなあ(笑)。これはものすごくわくわくした。まずニューヨークがどこにあるのかわからないんだけど、何かすごいところなんだろなって。バットをスタンドに指して、言った通りにホームランを打つエピソードとか、ベーブ・ルースはほんとにすごい人だとリアルに覚えてますね。

――図書館では他にどんな本の思い出がありますか?

山本 : 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。これも教科書に出てた。主人公が一人で登ろうとして、みんなが登ってくるのを振り落とすようにして、結局自分が落ちちゃう。その姿を想像してすごく怖かったよね。ほんとに登れると思っていたから。高知の街には蜘蛛なんていくらでもいたんですよ。気味の悪い生き物でしょ。あの糸で登るのは大変だろうなって本気で思ったね。芥川龍之介の短編はなぜかあの時代いくつも教科書に載ってたんです。「鼻」は、お坊さんの大きな鼻をタオルで蒸して、中の虫を出すという気味の悪い話のはずだけど、もうその絵が浮んでね。活字を絵にコンバージョンするというのは、子供ながらにごく自然にできてたんだろうな。わくわくした覚えがありますから。

――芥川龍之介は全集を読破されました?

山本 : いやいや。読んだのは子供にわかりやすい話ぐらいです。芥川龍之介がどんな人かも知らなかったけど、名前の「龍」という字に惹かれた。土佐は坂本竜馬の出ている国で、あの難しい同じ「龍」を使っているということで。子供ってたわいないもんね。名作を読んでいるなんてわかっちゃいないわけだし。坂本竜馬の名前は毎日のように聞いていたんですよ。すごい人なんだってね。何をやった人か子供の頃は全然わかっていないんだけどね。

――竜馬に関する本は?

山本 : いや、読んでません。今に至るまで読んでいない。

――「竜馬がゆく」も?

山本 : うん。ブームになってるのはわかっていたけど、なぜか土佐の人間じゃない人に竜馬を書かれていることに抵抗があったんだなあ。ひいばあちゃんが鏡川で遊んでいるとき、竜馬が何度も行き来していたという話を親やおばあちゃんからよく聞いていたものだから、自分なりに竜馬って人に親しみというのかな、もう自分のものだって感じなんだろな、子供にしてみたら(笑)。長じて竜馬のことを書いてあるのを見ても、土佐の人間じゃないのに何でわかるんだって反発して、近寄らなかった。土佐人ってそのへんは屈折して変に頑固ですからね(妻の英利子さん、笑う)。

――今後もたぶん読むことはないと?

山本 : どこかで一回、竜馬を題材にしたものをある歳になったら書いてみたいとは思うんですけどね。だから自分で大事にとってあるって言えばいいんでしょうかね。

――編集者から「いずれは竜馬を」という話は?

山本 : 言われました。ぜひやろうね、竜馬を書くときはこんなことをやりたいねっていう与太話だけど、もう先約済み(笑)。書くなら全然違う竜馬を描くことになるでしょうね。

――話は戻りますが、小学校高学年から中学にかけては?

山本 : 世界名作全集みたいなやつです。「嵐が丘」だとか、よく覚えているといったら「にんじん」があったな。ずっと後になるけど、グリムやイソップの童話集はほんとにむさぼり読んだ。グリム童話なんか子供ながらに気味の悪い話だなって印象なんだけどね。ものすごい意地が悪いし、アンデルセンとは全然違ってた。

――本が途切れた時期はなかったんですね。

山本 : ほんとなかった。義務で読んでないから活字の世界で描かれていることのわくわく感っていうのかな、どうなんのどうなんのって感じで、ほんとに本から得る知識はすごい楽しみでしたね。図書館って独特の感じがあるでしょ。フロアから漂ってくるワックスの香りみたいなものがね。高知の街中で嗅ぐことのない香りなんだよな。図書館で読んでいる分には誰にも文句を言われなかったし。

――図書館にはどのくらい通われていたんですか?

山本 : 小学校の間。中学になると午後はブラスバンドの部活で入り浸ってましたから。当時、劇画っていう言葉がはやり始めてね、貸し本屋で毎日新しい漫画を借りられるのがすごい楽しみだった。「影」と「街」、この二つの劇画の貸し本が大ブームだったの。新しいのが出るのを待ちかねて借りたよ。落語とか時代ものとかいっぱい漫画があったんですよ。確か西遊記は漫画で読んだなあ。

――高校時代は?

山本 : 中学3年で東京へ出てきて……ああ、思い出した。「ヒッチコック・マガジン」を読んでたんですよ。毎月お金をためて買いに行った記憶がある。ヘンリイ・スレッサーという短編の名手といわれる人の「怪盗ルビイ・マーチンスン」シリーズがおもしろくてね。ルビイのドジさ加減がいいんだよ。銀行強盗に入って「金を出せ」というメモを渡したつもりが、「牛乳を出してくれ」というメモを見せちゃうとかね。バックナンバーでもあったらもう一回見てみたいね。今でいうエンターテインメントの総合誌に近かったと思う。あと「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」も読んでた。出版文化が隆盛に向かっていた頃なんだろうな。

【お気に入りの本たち】

『かげろう絵図 松本清張全集 第25巻』
松本 清張 (著)
文藝春秋
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『天保図録(上)松本清張全集 第27巻』
松本 清張 (著)
文藝春秋
3,262円(税込)
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『天保図録(下)松本清張全集 第28巻』
松本 清張 (著)
文藝春秋
3,262円(税込)
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『ジャッカルの日』
フレデリック・フォーサイス(著)
角川文庫
819円(税込)
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――では20代以降は?

山本 : アメリカのポリティカル・アクション、ミステリー、ハードボイルド、このあたりがほんとに好きでした。作家は極めて限定されていましたけどね。ハドリー・チェイス、アリステア・マクリーン、もう少し時代が後になってフレデリック・フォーサイス、ジョン・ディクスン・カーとか。創元推理文庫とハヤカワのポケミスで好きなものを見つけては読みまくりましたね。日本の作家では松本清張さんにのめり込んでました。僕が時代小説を読むきっかけになったのは清張さんの時代小説なんですよ。「かげろう絵図」と「天保図録」は兄弟みたいな作品で構図がものすごく新鮮だったし、これは本当におもしろい。で、清張さんの時代小説を探しまくった。数は多くないけど「無宿人別帳」だとか。時代小説がこんなにおもしろいんだって目覚めたのは清張さんの作品からです。

――おいくつの頃ですか?

山本 : 24、5じゃないかな。まだ旅行会社へ勤務している時で、みんなに薦めまくった。僕がいた6階フロアの男どもがほんとにむさぼり読んでた時期がありました。それから後は、国内に関しては時代小説、海外の小説は圧倒的にポリティカル・アクション、この2つが両輪で動くんですよ。このジャンルを徹底して読み倒しました。僕が本を読む中で大きなエポック・メーキングになったのがジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」ですね。こんな話を書けたら作家さん、筆折ってもいいだろうなってぐらいに思った。とにかくスケールがでかいよね。ボストンの銀行員とポーランドからの移民のホテル王という設定もいい。自分たちの子供同士が好きになっちゃうって、「ロミオとジュリエット」だよな(笑)。上下巻でしたけどあっという間に読みました。

――他に夢中になったのは?

山本 : アーサー・ヘイリー。「ホテル」で出合って、「自動車」だのありとあらゆるやつは全部読んでます。それからフォーサイスにいって、やっぱり「ジャッカルの日」ですよね。今でも「ジャッカルの日」は自分の中のメートル原器みたいなもんです。ジャッカルに比べてこの本の出来はどうだといったスタンダードになる本だと思っている。新しいところではA・J・クイネルですね。

――両輪というのは今も続いているんですね。

山本 : そう、いまだに。翻訳ものはハードカバーを買いに行きますからね。ハードカバーは小さな活字で2段組、見開きで4段ある。すごいお買い得な感じがして。大きな活字で1段だと見ただけで買わなかったりするおれが、今や時代小説1段の本を書いてる(笑)。何か自分で抵抗があるんだけども。

――読書する時間帯や場所にパターンはありますか?

山本 : まったくありません。セールスやってた時でも、読み出しておもしろいと行きと帰りはもちろん読むでしょ。プレゼンの中身はもうどうでもよくなって(笑)、直前まで読んでプレゼンがうまくいこうがいくまいが、出るなり続きが読みたくて、喫茶店に入って最後まで読んだことが何度もあります。夢中になる本に出合ってるとほんとにハッピーですよね。

――そうやって読んでいたのが先ほどお話しされた本ですね。

山本 : どれもそうです。クイネルにしてもフォーサイスにしても。欧米人の構成テクニックだと思うけど、4つぐらいのエピソードが同時に走っていくんだね。最後は1つに収斂されるけど、Aのエピソードが好きでBCは後でいいよと思ってるんだけど、Aが1回終るとBCが出てきて、なかなかAにたどりつかなくてというのが何度もあったけど、今はおれも同じようなことをやってる(笑)。書く側にしてみたらそういう頭になるんだよね。Aだけ進めていくわけにはいかないってのがね。書き手になって初めてわかった。

【最近買った本】

『あかね空』
山本一力(著)
文藝春秋
1,850円(税込)
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――行きつけの書店はありますか?

山本 : 本間書店というのが門前仲町にありましてね。あとは八重洲ブックセンターと丸善ですかね。本間書店にぬけぬけと「山本一力って人の『あかね空』ありますか」って買いに行ったことがある(笑)。「今、ありません」「ああそうですか」と言っていたのが、ある日いきなり「一力です」って言っちゃった。ご主人、おれがもの書きということすら知らなかったから、飛び上がったと思うなあ。

――行くときはたいてい自転車ですか?

山本 : うん、間違いなく自転車。

――最近読まれた本で印象に残っているものは何でしょう?

山本 : うーん、どれがあるかなあ。ジョン・グリシャムの一番新しいやつ。題名は思い出せないけど去年買いました。あとはもうねえ、今ほんとに読んでる時間がないのよ。仕事で書評を書くんで読まなきゃってやつでも、自分のゲラを読む時間もないくらいで、すごい悲しいんですけどね。あとクライブ・カッスラーの一番新しいやつは去年買いました。途中まで読んで時間がなくなってやめたんだけど、ダーク・ピットのシリーズって必ず最初に昔のエピソードが出てきて、タイムスリップして今にくる構成ですけど、昔の頃の話を少し読んだくらい。いかに今おれは本を読んでいないか、自分で言いながら思うなあ。

――グリシャムもカッスラーも途切れた時期は重なります?

山本 : そう、直木賞をいただいていきなり忙しくなって。

――まったく変わりました?

山本 : うん、もうねえ、ケタが違った。昨年2月の終わり頃からドーンと注文が来てね。2冊目の「あかね空」がノミネートされてそのままいっちゃったものだから助走期間ってまったくなかった。今は月に500枚くらいのペースで書いてるんですよ。月刊誌は締め切りが重なっちゃうし、連載している13本は全部小説だからね。このうち2誌の連載が隔月で助かってますけど。

――本間書店にゆっくり行く時間もないくらいですね。

"一力コーナー"
「店長さんががんばって
つくってくれてるんですよ。」
イトーヨーカ堂木場店

山本 : そうね。今は逆にサイン会で20冊いるからひっぱってくださいといった形で本間さんにもお付き合いいただいてます。あとイトーヨーカ堂の木場店には、確か一力コーナーを店長さんががんばってつくってくれてるんですよ。何かで恩返しに行きたいけどね。

――最後に刊行予定を教えてください。

山本 : 6月10日に文庫が出ました。「損料屋喜八郎始末控え」(文春文庫)という初めての作品です。それから20日に新潮社から初めて出す本で、「いっぽん桜」が出ます。連作というのかな、それぞれ花の名前を題材にした4話です。

『損料屋喜八郎始末控え』
山本一力(著)
文春文庫
570円(税込)
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『いっぽん桜』
山本一力(著)
新潮文庫
500円(税込)
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(2003年)

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