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第29回:小川 洋子さん (おがわ・ようこ)

小川洋子さん

さまざまな作品世界で私たちを“静謐な”世界に導き、特に昨年度刊行された『博士の愛した数式』では、数式の美しさを物語の中にドラマティックに織り込みながら、記憶が80分しかもたない博士ら愛すべき人々の姿を暖かい眼差しで描き、深い感動を与えてくれた小川洋子さん。高校生の時に“書く”ことに目覚めた彼女が辿ってきた読書道とは? その道筋を、たっぷりと教えていただきました。

(プロフィール)
1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。主な著作に、『冷めない紅茶』『やさしい訴え』『ホテル・アイリス』『沈黙博物館』『アンネ・フランクの記憶』『貴婦人Aの蘇生』『偶然の祝福』『まぶた』など。

【本のお話、はじまりはじまり】

――やはり幼い頃から文学少女だったのでしょうか?

小川洋子(以下小川) : わりと外でお転婆に遊ぶタイプでもあったんですが、やはり一人で本を読むのも好きでしたね。小学校三年生くらいの時に、「世界児童文学全集」という毎月一冊送られてくるものをよく読んでいたのを覚えています。今思うと読みやすくアレンジされたダイジェスト版だと思うのですが、『家なき子』や『小公子』、『小公女』、日本のものもあって『やまたのおろち』など…毎月楽しみにして読んでいました。オレンジ色の表紙のビニールっぽい匂いや、出来たての本のようにページとページがくっついた紙の感触、ずっしりとした重さも全部思い出に残っています。

『世界児童文学集』
岩波書店

――それで世界の有名児童文学は一通り読んだというわけですね。

小川 : そうですね。その後、図書室から本を借りる喜びにも目覚めました。土曜日の放課後に本を借りて、ランドセルの中で本がカタカタいう音を聞きながら、明日は休みだと思いつつ走って家に帰っていくときが、ものすごく幸せな一瞬でしたね。借りていたのは『赤毛のアン』や『長くつ下のピッピ』といったオーソドックスなもの。『ファーブル昆虫記』や『シートン動物記』といったノンフィクション系も読んでいました。特に『ファーブル昆虫記』は大好きでした。昆虫を観察して生態を描写したものですけれど、私にとってはおとぎ話の世界のようで、科学的な興味というよりは、そこに物語的な魅力を感じていたと思います。

【作家としての原点】

――小川さんが作家になられたのは、アンネ・フランクとの出会いが大きかったと聞きましたが。

小川 : 『アンネの日記』は当時のアンネと同世代でもある中学二年生で借りて読んだのですが、その時はちょっと難しすぎたんですよね。アンネのほうがやっぱり使う言葉も精神的にも大人だったんです。その後高校に入ってから歴史的な問題にも目覚め、アウシュビッツの写真集を見たりするようになり、16、7歳でもう一回アンネ・フランクを読んだ時に、すごく共鳴したんです。自分の内面を言葉で表現することが、自分に与えられている自由のひとつだ、ということを教えられました。自分にも“書く”という手段があることを発見しました。それが、今の自分に繋がっているんでしょうね。

――『アンネの日記』にはいくつかバージョンがありますよね。

小川 : 私が最初に読んだのは編集された昔のアンネの日記です。その後、アンネのお父さんが死んでから、発表されていなかった部分が加わったりして、現代になるほど日記が変化して原型に近い形になり、数年前に文藝春秋から完全版も出ています。その後も、実はお父さんが絶対に発表したくないという数ページが友人の家の金庫に預けてあるのが発見されて、それは本には記されていませんが、研究者の間ではそこに何が書かれてあるかも分かっているんです。

『アンネの日記』
アンネ・フランク(著)
文藝春秋
『アンネの日記 完全版』
アンネ・フランク(著)
文藝春秋

【その後の読書傾向】

――書くことを意識してからの読書傾向は変わりましたか。

小川 : 高校三年生くらいの頃から、萩原朔太郎や中原中也など詩集を読むようになりました。それと立原道造がすごく好きでしたね。あとは川端康成や太宰治、谷崎潤一郎など。万葉集も読みました。古典から詩から近代文学まで、いろんな方向に関心を広げていました。自分も詩のようなものを書いてみたり、小説の書き方が分からずにいるなかで、自分に一番ぐっとくる文学は何だろう、と探しているような時代でした。それで、大学も文芸科に行けば書くとっかかりが得られるんじゃないかと思い、そちらに進んだんです。

――これだ、と思える作品とは、巡りあえたのですか?

小川 : 18歳の夏休みに、古本屋さんのワゴンに1冊100円で金井美恵子さんの『愛の生活』が出ていたのを買いました。金井さんのデビュー作ですが、これを読んだ時、あ、自分もこういうものが書きたい、とはじめて思ったんです。真似をしたいという訳ではなく、自分の理想とする作品を探していたなかで、ようやく手応えをつかんだな、と。「愛の生活」は愛にあふれた生活とは対極にあるような、人間の醜さとか悪意とか残酷さを鷲づかみにしているような、小説というよりは現代詩の言葉の鋭さでもって書かれた作品です。それからは「愛の生活」をずっと自分の傍らに置いて必ず目に入るようにしていました。詩集のように、時々めくってそのページだけ読んだり。金井さんの言葉の選び方が独特で、才能豊かで憧れでした。小学校の保健室の描写があって、寄生虫が容器に入れられて並んでいるのを見て、男が食べたスパゲティと重ね合わせて描写するんですね。それを読んで、うわあ、人間を書くってこういうことなんだって思いました。決して分かり合えない孤独を描くとか、男女がどんなに愛し合っていても別れていく切なさを描こうというルートから言葉を探しても見つからない。でも、金井さんのように、人間の内臓を透かし見るようなやり方で、消化管の、うっ血したヌルヌルした感じを描写することで、人間の孤独に近づけるんじゃないかって。言葉を見つけていく道筋を見つけた気がしました。

――小川さんの中で求めていたものに、金井さんの言語感覚がすごくフィットしたという…。その影響が『妊娠カレンダー』などに現れているわけですね。

妊娠カレンダー
『妊娠カレンダー』
小川洋子(著)
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死者の奢り・飼育
『死者の奢り・飼育』
大江健三郎 (著)
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小川 : そうですね。やはり、ものを書く人は誰も書いたことのないものを書こうとして書くんだと思うんですけれど、でも必ず、自分もこんなものが書きたいという欲望がどこかにないと、書けないと思うんです。誰も書いたことのないものを書こうという気持ちと、こんなものが書きたいという気持ち、その両方がないと第一歩が踏み出せないような気がします。

――金井さんの作品との出会い以降は、どうでしょう。

小川 : あとは大江健三郎さんの『死者の奢り』が、私には重要な意味を持つ短編です。学生が、死体を扱うアルバイトをする話。私はそれまで生きている人間にしか目がいっていなかったんですね。それで、これを読んだ時に、ああ、実は生きている人間の中に死んだ人間も混ざっているんだ、作家は生の世界と死の世界の、中間地点のような場所に立たなければ書けないな、と教えられたんです。そうこうしているうちに村上春樹さんが登場してきて、村上さんの「蛍」という短編に、正確な文章は忘れましたけれど、“死は生の反対側にあるのでなく、生の中に含まれているんだ”というような文章があって、ああまったくだ、と思いましたね。作家は生きている人ばかり見ていてはいけないんだ、ということを教えてくれたのが、大江さんと村上さんでした。

――その頃は日本文学ばかり読まれていたのですか。

小川 : そうでしたね。学校の授業で『パルムの僧院』を読んだりはしていましたが、なかなか自分にフィットするものはなかったですね。外国文学に目覚めたのは、村上春樹さんが翻訳をはじめてからですね。村上さんが好きで訳した作品なら間違いがないだろう、と村上訳がひとつの基準となっていました。それで村上さんが好きなフィッツジェラルド、カポーティ、カーヴァー、オブライエンなどを読んでいくうちに柴田元幸さんの翻訳に出会って、柴田さんの言葉のリズムにすっかり惚れこみました。それでポール・オースターも読んだのですが、これがまたひとつの大きな出会いでした。一番最初に読んだのが『ムーン・パレス』でしたが、ニューヨークに住むコロンビア大学の学生の話なんですが、現実の固有名詞も出てくるし、はっきりした年代も出てくるリアリティのある枠組みの中で、ものすごく幻想的な話が繰広げられていく。リアリティと非リアリティを融合させて独自のリアリティを生み出す、その天才ですね、オースターは。柴田さんの翻訳の力も大きいと思いますが、小説にとって文体が持っているリズムって、こんなに大事なのかということをはじめて感じた作品です。オースターを読んでいると、これは彼が作った物語でなく、彼のお祖母さんか曾お祖母さんか曾々お祖母さんから聞いた話を、彼が語って聞かせてくれているんだという気持ちになれる文体なんです。耳に心地よくて美しくて澱みがない。日本語が持っているリズムの大切さを、翻訳文学が教えてくれました。

――なるほど。ところで海外文学といえば、アンネ・フランクの影響で、ホロコースト文学も相当読まれているそうですが。

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小川 : そうですね。アンネ・フランクにすごく感情移入しまして、半分友達になった気分でいたので、収容所から生き延びた人の書いたものなどは必ず読んでいましたね。アンネは小さな少女でしたけれど、彼女の日記を読んだために、興味がユダヤ人の問題や戦争の問題、究極には人間の死とは何かというところに繋がっていった。そうした人は私一人ではないだろうし、その意味でアンネが果たした役割はすごく大きいと思います。やはり自分としては、アンネの死を悼む気持ちを持ちながら、ホロコースト文学を読みつづけていきたいと思います。

――その中で印象に残っている作品は。

小川 : 『宮廷の道化師たち』は純粋なフィクションですが、ホロコースト文学としては素晴らしい。スケールの大きな作品で、ちょっと日本人の歴史とか風土とか感性ではああした文学は生まれないかもしれないですね。ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』も私にとっては大事な一冊。それと、アンネ・フランクを助けたオランダ人、ミープ・ヒースが書いた『思い出のアンネ・フランク』という素晴らしいノンフィクションもあります。彼女はアンネたちのために闇市に並んだり、彼らのお誕生日には小さなケーキを焼いて届けてあげたりしている。そして隠れ家がドイツ軍に踏み込まれた後、床に散らばっていたアンネの日記を拾い集め、壁にかかっていた、アンネが髪をとかすときに使っていた化粧ケープを取って保管していた女性です。私は彼女に会いにオランダに行って、化粧ケープも見せてもらったんですよ。

――そうなんですか! 貴重な体験ですね。

小川 : ユダヤ人だということだけで迫害した人もいれば、そういう風に助けようとした人もいる。究極の善と悪がひとつの時代に存在したということが、私には一体人間とは何なんだろうという、根本的な問題を考えさせられる原点ですね。

【最近の読書生活】

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『西瓜糖の日々』
R.ブローティガン(著)
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――近頃では、本はどのように選んでいるのですか?

小川 : だいたい書評や新聞の広告を見て決めていますね。はっきりした基準はなくて、ほとんどインスピレーション。でもあまり外れはないですね。それで、インターネットで注文して送ってもらうことがほとんどです。最近はまた外国文学が好きになりましたね。特にカナダ人のアリステア・マクラウドが書いた『灰色の輝ける贈り物』という短編集は、たまたま表紙がいいなと思って読んだら大当たりでした。カナダの田舎で素朴な人たちがつつましく生活していて、すごく深い人生の哲学を、哲学と意識せずに悟って、人間らしく生きている。彼のその次に出た『冬の犬』という短編集には、私が帯に推薦の言葉を書かせてもらったんですよ。古くさい内容かもしれませんが、年齢とともに、人間って健気だなと思わせるものがいいと思うようになりましたね。若い頃は寄生虫とスパゲティの組み合わせが私にとってはとても大切でしたが(笑)、だんだん人間の持っている悪意も暗闇も残酷さもひっくるめて人間を受容するような、大きな許しを感じさせる小説を読みたいと思うようになりました。

――どちらも新潮クレスト・ブックスですね。

小川 : クレスト・ブックスのシリーズ、大好きです。新潮社のよさが凝縮されているようですよね。短編集で『巡礼者たち』もすごくよかった。話題になりましたけど、『停電の夜に』もいいですね。考えてみると、あのシリーズの新刊が出ると必ずチェックしていますね。

――たくさん本が上がりましたが、他に思い出深い本があったら教えてください。

小川 : 『愛の生活』と同じようにつねに机の脇に置いてあるのが、リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』。これは私がデビューした時に担当してくれた編集者がプレゼントしてくれたもので、カバーも可愛らしくて素敵な本。本って、傍らに置いてアルバムのように時々開いて、慈しむものなんですよね。誰から贈られたかも含めて、人生で重要な役割を果たす品物ではないかと思います。多くの、大事な人から本をプレゼントしてもらえるような人生を送りたいですね。それで、死ぬ前に本棚を眺めて、この本をくれた人はこういう人だった、この本をくれた人とはこういうことがあったっていう、思い出をひとつひとつ手繰りながら息絶えていければ、幸せなんじゃないでしょうか、きっと。

(2004年)

取材・文:瀧井朝世

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