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第40回:絲山 秋子さん(いとやま・あきこ)

絲山 秋子さん

デビューしてから立て続けに才能あふれる作品を発表した上、史上最速で川端康成賞を受賞、出版界の話題をさらった絲山秋子さん。なんと小学生の頃には、年に500冊は本を読んでいたというのだから驚き。まさに筋金入りの読書家である彼女。その心に残っている本たちは、当然、どれも魅力的なものばかりです。

(プロフィール)
1966年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。メーカーに入社、営業職として福岡、名古屋、高崎などに赴任。2001年、退職。2003年、「イッツ・オンリー・トーク」で第96回文學界新人賞を受賞。同作は第129回芥川賞候補となる。2004年、「袋小路の男」で第30回川端康成文学賞を受賞。「海の仙人」「勤労感謝の日」がそれぞれ第130回、第131回芥川賞候補となる。著書に『イッツ・オンリー・トーク』(文藝春秋)、『海の仙人』(新潮社)。

【本のお話、はじまりはじまり】

――絲山さんは、どんな子供だったのですか?

絲山 秋子さん

絲山秋子(以下絲山) : 末っ子で背のびがしたかったんでしょうか、嫌な子供で、ワザと難しい本を読んで得意になっているところがありました。自宅から、自転車でいける場所にいくつも区立図書館があったので通っていました。今は全然及びませんが、小学生の頃は1年に500冊くらい読んで、読書帳もマメにつけていましたね。

――ご、500冊! …いったいどんな本を?

絲山 : もともとは動物の本が好きで、『ドリトル先生航海記』や『黒馬物語』、庄野英二の『星の牧場』、犬飼哲夫の『わが動物記』などを読んでいました。それが高じて、小学3年生くらいで進化論のほうにいったんです。『ビーグル号航海記』や『種の起源』、後にシンプソンの『馬と進化』なんかを読みました。それが『私の霊長類学』などの今西錦司くらいになると、わけが分からなくなって…。

――はあ〜。3年生でダーウィンですか。

絲山 : 長い本だったので、何か山登りをしているような気分がして、読み終えたとき達成感があったのを覚えています。でもそれを分かち合える人がまわりにいなくて(笑)。山の頂上は寂しいもんだなあと思いました。

フリスビーおばさんとニムの家ねずみ
『フリスビーおばさんとニムの家ねずみ』
ロバート C.オブライエン (著)
中央公論新社
1,835円(税込)
※絶版
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アドルフ・ヒトラー
『アドルフ・ヒトラー』
村瀬興雄 (著)
中央公論新社
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夜
『夜』
エリ・ヴィーゼル (著)
みすず書房
2,730円(税込)
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動物農場
『動物農場』
ジョージ・オーウェル (著)
角川書店
500円(税込)
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――子供らしい本は読まなかったのでしょうか。

絲山 : いい翻訳ものに恵まれていましたね。ロバート・C・オブライエンの『フリスビーおばさんとニムの家ねずみ』なんて、子供向けだけれどすごく高級なことが書かれてあって。研究所で注射を打たれて知能が発達し文字も書けるしラジオも聞ける家ねずみたちが、人間に依存するのをやめて自分たちだけで生活しよう、と町を離れて谷間で暮らそうとする。フリスビーおばさんはそうした彼らの秘密を知ってしまう、という話で…。すごくいい話なのに、誰も知っている人がいなくて寂しい。

――いやー、知りませんでした。

絲山 : 寺村輝夫も好きでしたね。

――あ、知ってます!!!

絲山 : 『ノコ星ノコ君』なんかは、ノブ君という男の子にそっくりなノコ君という宇宙人が出てきて、時間を盗んだクロッチというおじさんと闘うことになる話なんですが、すごくよくできている。最近この本を人に貸したら返ってこないんですよね。たぶん、いい話なので、周囲の人でまわし読みしているんだと思います(笑)。

――で、話を戻して、進化論の頂点を極めた後は…。

絲山 : さすがに今西錦司は難しくて。それで、次に何を読もうかと父の本棚を漁ったところ、シャルル・ド・ゴールやヒトラーについて書かれた本がたくさんあったんです。子供ながらにヒトラーのほうがインパクトがあったので、それで、5年生からはヒトラーばかり、40冊くらい読みました。同じテーマでいろんな人の説を読むと、なんだかすごくよく分かったような気分になるんですよね。その中でも村瀬興雄の『アドルフ・ヒトラー』が非常にいい本でした。また、その一方では、エリ・ヴィーゼルの『夜』のような、ナチスに迫害されたユダヤ人のものなども読みました。そこから政治関連のものに興味をもちはじめるように。中学生になってジョージ・オーウェルの『動物農場』なんかも読みましたね。これは動物達の話に見立てて、人間社会を風刺した内容です。

【海外文学に目覚めた頃】

もうひとつの場所
『もうひとつの場所』
J・M・G・ル・クレジオ (著)
新潮社
2,039円(税込)
※絶版
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袋小路の男
『袋小路の男』
絲山秋子 (著)
講談社
1,365円(税込)
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アレクサンドリア四重奏(1)
『アレクサンドリア四重奏(1)』
ロレンス・ダレル (著)
河出書房新社
2,520円(税込)
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虫とけものと家族たち
『虫とけものと家族たち』
ジェラルド・ダレル (著)
集英社
760円(税込)
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――その後、政治関連の本に移行していったんですか。

絲山 : 政治も難しくなりすぎて、文学を読むようになったんです。ル・クレジオの『調書』などを読んだのも中学生の頃。今でも好きで、最近またあらためてインタビューものの『ル・クレジオは語る』と『もうひとつの場所』を読んでいます。今では大好きな作家というだけでなく、同じ職業の先輩という目で読んでいますね。

――海外文学といえば、『袋小路の男』ではロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』からの引用を載せていますね。

絲山 : ええ。ロレンス・ダレルを知ったのは、小学生の頃、弟のジェラルド・ダレルの『虫とけものと家族たち』を読んだのがきっかけ。弟は動物学者で、動物の保護をやっていた人で、これもノンフィクションなんですが、この中に登場する小説家のお兄さんが、「私の不朽の名作が台無しになるではありませんか」などと、いちいちもってまわった言い方をして弟たちを笑わせるんです。それでその人の小説を読んでみたいな、と思ったのがロレンス・ダレルだったんです。

――弟のほうから入ったのですね。

絲山 : そうなんですよ。しかも、ずっと気づかなかったんですが、社会人になってからある日ふっと本棚をみたら、この『虫と〜』って、池澤夏樹さんの翻訳なんですよ。解説も池澤さん自身によるもので、「これは高級な読み物だ」ってことを書いておられて。びっくりしました。

――なるほど。…で、お兄さんのロレンスのほうですが。

絲山 : 自分で小説を書いていると、ああ、ロレンス・ダレルの影響だなと思うことがあるんです。例えば『袋小路の男』のあと『小田切孝の言い分』を書いたのも、ダレルが『アレキサンドリア四重奏』で最初の2冊を一人称、3冊目を三人称にしているのを読んでいたからこそ、小田切の側から書いてみようということを思いついたんだと感じます。

――そうだったんですか。

北回帰線
『北回帰線』
ヘンリー・ミラー (著)
水声社
3,150円(税込)
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心変わり
『心変わり』
ミシェル・ビュトール (著)
河出書房新社
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倦怠
『倦怠』
アルベルト・モラヴィア (著)
河出書房新社
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絲山 : それと、ダレルを通じて知ったのが、ヘンリー・ミラーですね。二人は手紙のやりとりをしていて、『ミラー・ダレル往復書簡集』というのがあるんです。当時ミラーは『北回帰線』が出したくらいの頃。ダレルはまだ若くて本がなかなか出せない文学青年で、ミラーにファンレターを送るんです。それに対してミラーが非常にいい返事をしていて、「書きたいことだけを書きたまえ」などと、すごく励ましているんです。小説を書くようになってから、私もその言葉にどれほど励まされたことか。

――ヘンリー・ミラーを読んだ感想は?

絲山 : これも中学生の時だったんですけれど、パンク・ミュージックだと思いましたね。私はパンクが大好きだったんですけれど、ある程度出来上がってしまったロックンロールというものをぶち壊していくのがパンク・ミュージックだとすると、それと同じことを彼は文学でやっているんだという印象が強くて。今までにあるものに唾を吐きかけて壊していくような、ものすごいパワーを感じました。

――中学生の時にそういう感想を抱く、その感性もすごいと思います。他にはどんなものを? ダレルのほかにご自身の作品に影響を与えたものは?

絲山 : ミシェル・ビュトールの『心変わり』は、最初から最後まで二人称で書かれた作品。「君はドアを開けて外へ出ていく」「君は電車に乗る」…と、パリからローマまで汽車の旅をして愛人に会いに行く話なんですが、すべて二人称。ここで二人称の小説を知ったので、『袋小路の男』が書けたんだと思います。

――そうか。「あなたは、袋小路に住んでいる。」…という出だしに始まり、ずっと二人称で語られていきますものね。

絲山 : 二人称以外でも、ビュトールに影響された作品を書きたいと思っています。四苦八苦していますけれど。

――海外文学は他にもたくさん読まれたんですか?

絲山 : 他に読んだのは、ジャン・ジュネの『泥棒日記』、カミュの『異邦人』、デュラスの『愛』、カフカの『変身』、モラヴィアの『倦怠』…。

――中学生でモラヴィアとは。

絲山 : 大人の世界でしたね。例えば、ミラーの書く性はある種の方便であって実際に人を興奮させようとするものじゃないけれど、モラヴィアは性的なものそのものをとらえている。中学生がどんなに背伸びして理解しようとしても、限界がありましたね。

――それにしても、すごい読書量です。

絲山 : まわりの人と違うものばかり読んでいて、そういう意味ではひとりぼっちなんだけれど、でも好きなものばかり読んでいる子供でした。のめりこんでいたんでしょうね。今になって思うと、世界に認められた文学なのに、自分にしか価値が分からないくらいに思っていました。

【日本人作家のお気に入り】

――日本のものはまったく読まなかったのですか?

絲山 : 日本文学は少しメランコリックな感じがして。ただ、詩は好きでしたね。小学生の頃から、谷川俊太郎や草野心平の詩集を読んでいました。

――小説は。

絲山 : 宮沢賢治などは小学生の時に読みました。堀辰夫の『大和路・信濃路』なんかも中学生の時に読んでいい短編集だと思いましたね。あとは井伏鱒二。『ドリトル先生』の名訳にはじまり、きれいな日本語は井伏さんを読めばいいかな、と思っていました。きれいな日本語で思い出しましたが、石井好子さんの『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』もとても好きで。それで、最近読み返してみたら、分かりやすくてとてもきれいな日本語なんですよね。若い女性に薦めたいなと思いました。

【浮かんできた読書傾向】

美味礼賛
『美味礼賛』
アンセルム・ブリア・サヴァラン (著)
白水社
6,090円(税込)
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鉄砲を捨てた日本人
『鉄砲を捨てた日本人』
ノエル・ペリン (著)
中央公論新社
620円(税込)
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――『巴里〜』は、食べ物がひとつひとつ、美味しそうなんですよね。

絲山 : 食べ物に関する本も好きですね。小学生の時にブリアサヴァランの『美味礼賛』を読みました。これはグルメ本の元祖。大人になってからは、『楽しむ釣り魚料理』なんて本を、食欲がない時に眺めています。魚のさばき方なんかが載っていて、美味しそうなんですよ(笑)。

――動物、歴史的人物、グルメ…。小説以外の絲山さんの好きなジャンルが見えてきますね。

絲山 : そうですね。ほかに地理や政治の本も相当読みました。でも、なかなかいい本がなくて。社会的なもので挙げるとすれば、ノエル・ペリンの『鉄砲を捨てた日本人』でしょうか。日本に鉄砲が入り、改良されていいものが量産できるようになった後で、日本人は刀文化に後戻りし、その後300年間繁栄した。そのことを通して現代人の軍縮を考えられないかというもの。大学生の時に読みました。

【セリーヌと出会った大学生時代】

夜の果ての旅
『夜の果ての旅 1』
ルイ・フェルディナン・セリ−ヌ (著)
中央公論新社
652円(税込)
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――大学生時代の読書傾向は?

絲山 : 専攻が社会科学系だったので、文学はほとんど読みませんでした。ゼミが農業経済だったので、『福岡の食事』なんて本を読んでいました。小説で大学の時に読んで今でも好きなのは、セリーヌくらい。今、ちょっとずつ、セリーヌ全集を買い揃えているんですよ。高いので、自分が本を1冊出す度に、ご褒美として1冊買おうかと思っているのですが…。そうすると後何冊出せばいいんだろう、と考えてしまう(笑)。まだ6冊しかもっていないので。

――セリーヌの魅力はどこにあるのでしょう。

絲山 : ミラーと味付けは違うけれど、同じようにパワフルなところが好き。ミラーは明るくてセリーヌは暗い。すごく汚い言葉でののしりながら、でもすごく人を愛しているんですよね。本当に絶望的な状況の中で罵詈雑言を浴びせているのに、行間から人に対する愛が滲み出てしまっている。お母さんや、中高年になってから連れて旅をした猫など、無力なものたちに対する無償の愛みたいなものが…。それと、彼の文体って難解で、どの流れにも属さないものだと思う。セリーヌはセリーヌでしかないところが素晴らしい。人に薦めるなら一番まとまっている『夜の果ての旅』を挙げておきます。

――ご自身が書く時、文体を真似ようと思ったりは…?

絲山 : 無理無理! でも、セリーヌを意識して書いた短編はありますね。文芸誌に掲載した『愛なんかいらねー』。実は隠しテーマで、スチャダラパーを聴きながらセリーヌを読んだら何が書けるか、という実験をしたんです。3か月くらい、スチャダラパーばっかり聴いていました

【社会人になってから】

ガープの世界〈上〉
『ガープの世界〈上〉』
ジョン・アーヴィング (著)
新潮社
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荻窪風土記
『荻窪風土記』
井伏鱒二 (著)
新潮社
460円(税込)
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城の崎にて
『城の崎にて』
志賀直哉 (著)
角川書店
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海の仙人
『海の仙人』
絲山秋子 (著)
新潮社
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和解
『和解』
志賀直哉 (著)
角川書店
357円(税込)
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更級日記
『更級日記』
西下経一 (著)
岩波書店
378円(税込)
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黒い皮膚・白い仮面
『黒い皮膚・白い仮面』
フランツ・ファノン (著)
みすず書房
3,570円(税込)
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ジャスミン
『ジャスミン』
辻原登 (著)
文藝春秋
1,800円(税込)
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接近
『接近』
古処誠二 (著)
新潮社
1,365円(税込)
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パンク侍、斬られて候
『パンク侍、斬られて候』
町田康 (著)
マガジンハウス
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――就職されてからの読書道は。

絲山 : ほとんど読んでいないんですよ。アーウィングの『ガープの世界』とかくらいしか…。車の運転ばかりしている生活をしていると、どうしても本から遠ざかりますね。それに、その頃は外で遊ぶのが楽しかったんです。海に行ったり山に行ったり温泉に行ったりするのが。

――そんななかでも、心に残っている作品というのは。

絲山 : 今思っても改めていいなあ、と思う作品というのはいくつかありますね。高校の教科書に載っていた石川淳の『前身』なんて、大人になってからも好きで。「長助の前身はすっぽんであった。そのことは誰も知らない。」なんて、出だしで書かれたら、もうメロメロですよ(笑)。考えてみると、私は、日本人作家は短編が好きみたいですね。お気に入りの井伏鱒二の『荻窪風土記』もエッセイ集。志賀直哉なんて短編のすくい方、まとめ方がタダモノじゃないって思いますね。もちろんタダモノじゃないんですけれど。『城の崎にて』は私の『海の仙人』の中でも使わせてもらいましたけれど、『和解』もいい。お父さんとの不仲をテーマに何冊も出してきて後、和解したことが書かれているんですが、いい年した親子の居心地悪い感じがすごくよく書けていると思います。

――長編はひとつも心に残らなかった?

絲山 : 『更級日記』くらいかもしれません。

――海外のもので、心に残っているものは。

絲山 : フランツ・ファノンの評論『黒い皮膚・白い仮面』はクレオールのことを意識した最初のほうのものだと思うんですが、これは名著ですね。

――本当に幅広く読まれていますねえ。

絲山 : 例えばジェラルド・ダレルからロレンス・ダレルにいってヘンリー・ミラーにいく…という風に、どんどん広がっていく読み方をしているんですね。音楽みたいなものです。例えばジャズなら、最初はビル・エヴァンスを聴いていたところ、彼がいろんな人とセッションをしているので、その人たちの演奏も聴くようになったりする。本もそういう読み方なんです。それと、子供の頃は、図書館にあるものを洗いざらい読まないと気がすまない性格だったんです。区立の図書館だったからよかったけれど、国会図書館だったら大変なことになっていました(笑)。

――その中で、気に入ったものはちゃんと買って今でも持っているんですよね。

絲山 : そうですね。でも、本当に気に入ったものしかないので、うちには本は100冊あるかないかでしょうか。

――その中に、最近の日本人作家の作品はありますか?

絲山 : 辻原登さんの『ジャスミン』は、文芸誌に連載されていた頃から面白く読んでいて、単行本になった時にすぐに手に入れました。非常に土台がしっかりしている作品。中国と日本、両方を舞台におくという大がかりなことをやりながらも、彫刻のようにどこから見てもちゃんと形になっている。安心して、じっくりのめりこんで読める作品です。絶対ヘンな終わり方をしないっていう信頼感がありました。絶対、夢オチとか第三の人物が出てきてすべて解決しちゃうとか、そういうものじゃないっていう(笑)。ここまで読み応えのある作品はなかなかないと思います。

――他にはどんな方の作品が印象に残っていますか?

絲山 : 古処誠二さんの『接近』はすごくよくできていると思います。普通言葉にできないような人間の内部を描いていると思いました。直木賞候補になった『七月七日』はまだ買ったばかりで読んでいないんですが…。前に図書館向けの業界紙で3回書評を載せたことがあるんですけれど、1回目はミラー、2回目は井伏鱒二で、3回目をどうしようか考えて、勝手に、「第一回絲山賞」というのを作ったんです。そこで古処さんと町田康さんの『パンク侍、斬られて候』に送りました。副賞はなし(笑)。お二人ともまったくご存知ないと思いますが。あくまで個人的に敬意を表しました。

【普段の読書生活】

――最近も図書館で本を借りることが多いのですか?

絲山 : 今は引っ越して図書館が遠くなったので、あまり行きませんね。それより、文芸誌を読むことが多いです。取次さんの新刊情報誌など読むようになって、本の情報が飛躍的に増えました。後は出版社の方から本を貸していただくことも。

――書店に行くことは?

絲山 秋子さん

絲山 : 好きな本を買うほかには、自分の新刊を出した時に、必ず何店舗かうかがうようにしています。書店の方と話していると、どんな本が読まれているのかなどの声がきけるので。だからといって自分の書くことが変わるわけではないんですが、でも、それまで数字や書評でしか知らなかったものが、書店員さんの声を聞くことで、ああそうなのか、とリアルに納得できますね。

――読書はどんな時にしているのですか?

絲山 : 調子ののらない時。私は午前中はエッセイ、午後に小説を書く習慣。エッセイで苦しむことは少ないんですが、午後に煮詰まっちゃった時は、もう諦めて、好きな本を読むようにしています。

【最新作について】

逃亡くそたわけ
『逃亡くそたわけ』
絲山秋子 (著)
中央公論新社
1,470円(税込)
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――この度、また長編を出されますね。

絲山 : はい。タイトルが『逃亡くそたわけ』。209枚です。『海の仙人』を越えて、一番長いものになりました。病院から男女が脱走して、九州を縦断する話です。博多弁の女の子と、名古屋出身だけれども標準語を使う、ちょっと弱々しいサラリーマンが出てきますが、恋愛はありません。ちなみに"たわけ"は名古屋弁で"ばかやろう"、"くそたわけ"は最上級の"大ばかやろう"という意味ですね(笑)。

――博多弁と標準語。絲山さんの小説は、どれも会話が最高に面白いので楽しみです。

絲山 : 一方は博多弁バリバリで、一方はとってつけたような標準語です。面白いといいなと思います。深く考えずに、思いきり笑える作品であったらいいなと思っています。

――でも病院ということは、どこか悪いんでしょうか。

絲山 : 精神病院からの脱走で、幻覚や幻聴に苦しめられながら逃げ惑う話です。といってもシリアスなものではないですよ。彼らも闘っていることは闘っていますが、それは自分の中での闘いなんです。病気と関係なく、何かと闘っている方に読んでいただけたらと思います。

――なるほど。でもなんでまた逃亡ものを?

絲山 秋子さん

絲山 : 中央公論新社の編集者に、逃亡ものを書いてみないか、と言われて。それで「さ来年くらいなら…」なんて言っていたのに、ある日ぱっと思いついてしまって、一気に1週間で80枚くらい書いて、「はやく取材に行きましょう!」と(笑)。実際に九州に行き、1200キロを1週間で回って、彼らの逃亡経路を、私も逃げてみました。全部私が運転したんですよ。もう一度走れと言われたら、嫌かも(笑)。

――実際に道を辿ることで、またいろいろ浮かんだりして。

絲山 : そうなんです。漠然と経路は決めてあったんですけれど、ちょっとこっちに行ってみたいな、と思って行ってみると、ふっとエピソードが降ってくるんですよ。そんな風に現地で出来上がったものが、いっぱいつまっています。

――それにしても、本当に毎回、違うテイストのものを出されますね。

絲山 : いろんなものを書きたいですね。自分なりのオーソドックスなものを書き続けながらも、『逃亡くそたわけ』のようにエンターテインメント性を意識した作品など、今まで書いていないものの企画を、あれこれしているところです。

(2005年2月更新)

取材・文:瀧井朝世

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