WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第60回:中原 昌也さん
非常に個性的かつ魅惑的な作風で、読者を奇妙な感覚に誘ってくれる中原昌也さん。小学校時代のSF好きに始まり、実に幅広い読書歴の持ち主。音楽活動でも実績を持ち、映画にも精通している彼は、どんな本を好んできたのか。そして、そんな彼の目から見た、今の文学とは? 忌憚ない、生の声を聞かせてくれています。
(プロフィール)
1970年生。2001年『あらゆる場所に花束が……』で第十四回三島由紀夫賞を受賞。著書に『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』『名もなき孤児たちの墓』など。
――読書の原体験といいますと?
中原 昌也(以下中原) : 小学校1、2年の時の、リチャード・マシスンの『吸血鬼』。あ、でもその前にも児童書のシャーロック・ホームズとか『宇宙戦争』とか読んでいたと思います。
――海外のエンタメ系ですね。小学1年生で読むなんて、はやいですよね。
中原 : 昔からSFが好きだったんです。そこらへんだけは早熟で。漢字もすごく読めましたね。学校の成績は全部悪かったけれど、国語だけはよかった。理由はわかりませんけど。小学校の時はかなりできたんですけれど、途中で止まっちゃった(笑)。
――本がたくさんあるおうちだったとかいうことは…。
中原 : うちに本なんてなかったですよ。親がイラストレーターだったんで、図鑑とかしかなくて、それも読んだ記憶がない。活字の本はほとんどなかったし、レコードなんてまったくなかった。
――青山のご出身ですよね。
中原 : 商業地でしたね。
――どんな子供だったんですか。熱中してたことは?
中原 : 人んちの窓ガラス割ったりしてる子供でした。まっとうなことをやっていなかった、そういうガキです。よく映画を観ていましたね。今はなくなっちゃったけれど、新宿ピカデリーという映画館で、おじさんが支配人だったんです。それでチケットをもらっていたのでよく行きました。まあ、娯楽映画が多かったですね。パニック映画とか。
――読書生活は。
中原 : 本は文庫しか買ってもらえなかった。こづかいももらえなかったし。友達の誕生会に誘われても、プレゼント買っていかなくちゃいけなくてお金かかるからダメって言われるくらいでしたから。ハヤカワ文庫ばかり読んでいました。でも途中で、あんまりSF好きじゃない気がしてきて。その頃は、まだJ・G・バラードとかフィリップ・K・ディックとかを読んでいなかったんですよね。SFでないもののほうが面白いかなと思って、ハヤカワのNV文庫ばかり読んでいました。
――冒険小説ですか?
中原 : いえ、冒険小説はあんまり。そういうのは映画で見ればいいと思っていたので。もっと変わったものがあったんですよ。スピルバーグの映画の原作になった『激突!』とか、ドキュメンタリーの『絞殺』とか。
――ああ、『料理人』とかもNVでしたよね…。
中原 : ありましたね。ハリー・クレッシングの。
――!!よく作者まで覚えていますねー。
中原 : フランスの作家のクロード・クロッツの『ひまつぶし』とか。そういうのを読んだりとか、フランスものでいうなら、ボリス・ヴィアンも、あの頃は安かったから。
――ビニールカバーがついているシリーズですか。でも、小学生でヴィアンって、難しい本もありますよね。
中原 : こんなもんだと思っていたんです。よく分かっていなかった。ヘンなのがあれば面白いんじゃないかと思って買っていました。
――ハヤカワを読む人は、創元も読むと思いますが。
中原 : 読んでいたんですけれど、紙質がちょっと落ちるような気がしてましたね。いい本もありましたよ。怪奇小説集とか大好きで。アンソロジーもすきだったので、そこから結構広がったのかも。ジュディス・メリルの『SFベスト・オブ・ベスト』を読んでいました。そういえば、小学校高学年の時は自由国民社の、幻想文学のいろんな本を解説した『世界のオカルト文学幻想文学総解説』というのが出ていて、それを読んで広がったのかも。それでバタイユとか知ったし。うん、高学年でバタイユを読みましたね。
――海外ものが多いですよね。日本人作家は?
中原 : 高校一年の頃に、澁澤龍彦とか。小学生の時は、筒井康隆さんを読んでいました。最後に読んだのは中学生の時くらいの『エロチック街道』で、面白かったんですけれど、それ以降読まなくなった。って本人には言えないけれど…いや、言っちゃたんだった。それくらいから、本自体をそんなに読まなくなったんです。
――では中学生時代は何に夢中になっていたんですか。
中原 : 音楽です。でも買えるわけじゃないから、中学生くらいからレンタルレコード屋に通っていました。原宿にニューウェーブを扱う店もあったし。あと、映画ですね。中学校は。中1でゴダールがリバイバルブームで、その時に観ていました。近所の寿司屋でチケットを売っていたんですよ。たぶん、フランス映画社かなんかの社長が知り合いだったんだと思う。本はまったく読んでいなかったわけじゃないけれど、SFでも『スターログ』といったオタクっぽくない雑誌を読んでいたので、SF以外のものに興味が流れていったんだと思います。中子真治さんという人がいて、今は伊豆かどこかにいるらしいんですが、その人の出した『超SF映画』って本があって。全然SFにこだわっていないんですよ。そういう大人の文章が好きで。だっさい言葉でいうと“センス・オブ・ワンダー”という…あ、Fがないから違うか(笑)。まあ、そんなようなものだと理解していたんです。それと、ちょうど『スター・ウォーズ』の頃なので、普通の雑誌でもSFを取り上げるのが多くて。SF以外のものとつながることが多かったんじゃないですかね。
――高校に入ってからはいかがですか。
中原 : 高校で唯一仲良かった大人が図書室の人で、いろんなものを読めって言われてセリーヌとかを読んでいました。聞こえはいいんですけれどね、“セリーヌを読む”。でもどんどんよくない方向に行っていたと思う。バロウズも当時は全部絶版になっていたんだけれど、探して読みました。サンリオ文庫から2冊出ていて(『爆発した切符』『ノヴァ急報』)、その1冊を先生が貸してくれたんですよ。アルフレッド・ジャリとバロウズを貸してくれて。ジャリは返したんですけれど、バロウズは退学になったので返さなくてすみました。
――映画はどうですか。
中原 : 高校時代が一番映画を観ていなかったですね。なぜかというと、その頃いわゆるニューアカのブームがあって。大学に入ってから映画を観はじめた人がハバをきかせていて、すごくムカついていて。こいつらとは一緒になりたくないと思っていたんです。まあ、そういう友達もいっぱいいましたけれど、正直。でも鼻持ちならない、こいつらとは関係ない方向に行こうと思って、中古ビデオとか漁ってゲテもの映画を観ていました。といいながら、20歳くらいにシネ・ヴィヴァンでバイト始めているから矛盾しているんですけれど。
――タダで映画を観るのが目的?
中原 : そういう狙いです。映画タダで観られて上のCD屋で割引で買えて。実家があったからレコードにすごいお金を使っていましたね。それから考えれば今は、光熱費払ったり家賃払ったり、下心もない女の子におごったり、大人だなあ〜…。
――アルバイトもいろいろされたんですよね。
中原 : 高校に4年行って中退したんで、ロクな仕事がなくて。鮫洲とか川崎とか新子安とか、都心から真逆の方へ朝から行くんです。佐川急便でバイトをしたりね。配達ではなく、区分けとか。そう、王子に東京書籍があって、印刷工場とかで働いたこともありますよ。それにウンザリしてシネ・ヴィヴァンに行ったんです。その頃はまだバブルだったので時給がよくて、1日に1万円くらい稼げました。全部アナログ盤に使いましたけど。バイトしてレコード買って…。20歳くらいまでそう。20歳くらいから、海外からレコードを出したりしていました。
――海外ミュージシャンの前座をつとめたりしていたそうですね。
中原 : それは24、5歳。わりと後です。
――『暴力温泉芸者』という名前は…。
中原 : 東映とかの映画のイメージがあったんです。キッチュなものよりもただ字面、漢字だけでびびらせるものがいいかなあ、と。「非常階段」とか。でもテレビに出た時にいかにもキッチュで悪趣味なセットを作られていてムカついて、「全部捨ててください」って言って、白いピアノの上でやりました。大人げないなー、と思うけれど、そういうものです。まあ、ある時期からそういう名前もやめました。
――『ヘア・スタイリスティックス』になったんですよね。
中原 : それもキッチュぽくて嫌でしたけれど。けれど、ライブとかで、バンド名があるのに個人名で書かれていると烈火のごとく怒りました。芸人がピンで出てんじゃねーんだよ、と。
――文章を書くきっかけは。
中原 : 自主的には全然書いていなかったんです。どっちが最初か覚えていないけれど、佐々木敦さんにおしつけられた『イメージフォーラム』の原稿か、『ビザール・マガジン』に映画について書けと宇川直宏君に言われたのやつか、どっちかが最初。そのうちに『イメージフォーラム』で連載が始まって、そんなにお金にはならなかったけれど、実家だったんでだらだらとやっていました。その頃は音楽もメジャーで出したりしていて、人生がうまくいくと思っていたんです。それが23、4歳ぐらいかな。それからが地獄なんですよ。
――地獄…。
中原 : 文章で食うようになってからが地獄です。90年代なかばくらいから。何の思い入れもなく、元手もタダだしと思って映画の原稿を書いていて、しかも調べないで思い込みで書いていたんですよ。ネットもなかったので、間違っても誰も文句言わないだろうと思っていたら、オタクの人が文句を言うわけです。小説ならフィクションだからまあいいじゃん、ですませられると思って、河出の『文藝』から書きませんかと言われたときは、あーラクな仕事がきたな、と思った。でもそれはあくまでも実家にいて、2ページ書くならラクという話で、こんなに辛くてつまらないものだと思わなかったんです。
――小説を書くようになって、読書は変わりましたか。
中原 : 書き始めて読むようになりましたね。最近また読んでないんですけれど。もともと本はすごく買っていたんです。古本屋で。ヘンな本を教えてくれる大人がいっぱいいたんで、絶版本とかを買っていました。
――どういうものを?
中原 : 20代の頭の頃はゴンブロヴィッチとか、東欧のよく分からないものを読みましたね。その頃は絶版だったフラナリー・オコナーも探して買いました。日本では有名でない、読んでがっくりくるようなのばかり読んでいました。もともと中学の頃、カミュとかサルトルとか、ハヤカワのブラックユーモア選集とかを読んでいたので。そう思うと、20歳くらいから成長していないですね。変わっていない。20歳くらいの時は日本の古典も結構読んでいたんです。といっても谷崎どまり。戦後の日本の人が好きで、藤枝静男とか読んだし。いまだにジョイスとフォークナーとプルーストは読んでも毎回ウンザリしてやめるし。だらだらとよく分からないし、いいやって思っちゃう。なのに年1回は挑戦している。
――『ユリシーズ』とか『失われた時を求めて』とか…。
中原 : 『ダブリン市民』ですらダメです。『若き日の芸術家の肖像』もダメ。あー疲れるわーと思ってやめちゃって。
――中原さんの興味をそそるものとそうでないものは何が違うんでしょう。
中原 : なんでしょうねえ。中学でサドをめちゃくちゃ読んでいましたからね、ダメでしょう? 童貞でサド読んだらよくないですよ、マジで。サディストでもないのに。そんなんばっかだなあ。サドなんて説教ばっかで面白くもないのに。でもなんか、フォークナーがちゃんと読めない理由と、中上健次がちゃんとよめない理由は、同じ気がします。でも、方言がつらくて読めないのかというと、野坂昭如は読んでるんだからそうじゃない。だからといって、どっちが偉いというのはないんですよ。僕に問題があるんだと思って毎回悩んじゃう。
――読む本はどうやって選んでいるんですか。
中原 : 最近は、「あんな本が出ました」って編集者の人がいうとジュンク堂に行って買ってくる。ヘンな本が出ているんですね。びっくりする、誰が買うのかって。『ルイス・ブニュエル著作集成』とか。それと最近、文庫が充実していますよね。アルトーの『神の裁きと訣別するため』とか、バタイユやバロウズ…。平凡社でもブルーノ・シュルツが読めたりして、いいことですよ。単に文学的価値が下がったのか、それとも…。読む人の絶対数は変わらないはずなのに。今は単行本より文庫のほうが面白い時代ですよ。筑摩とか岩波も結構面白いから買っちゃう。でも読んでない。買うほうが多くて。読まなきゃ、と思って買うんですけれど。20代の頃、ロレンス・スターンの『トリスラム・シャンディ』の上巻だけを買って中と下を買っていなかったのを、復活したんで買ったんです。そうしたら、表紙の絵柄は変わらないけれど、作者名とかの級数が変わっていて、並べた時に上巻だけ違う感じなので、なんとかしてほしい。どうでもいいんですけれど。
――今は、実家は出られているんですよね? 部屋は本やレコードがあふれているのでは。
中原 : ひどいです。引っ越した時に整理したけど、その後に整理できていない。真っ暗い部屋なんです。でも本は思ったほどないですよ。そのかわりレコードやDVDやCDが半端ない。本は意外と少ないみたいですね、誰が来てもそう思うらしい。多岐に渡っているから、ひとつひとつのジャンルは最低限のものしかないんです。まあ、うちにあるのはたいてい絶版本ですよ。あと、美術書も結構多いんです。
――見る人が見たら、垂涎もの…。
中原 : 二重棚になっているので、奥に入っている本もあるしなあ。窓をつぶしていて、風水上よくないからどうにかしたい。暗いし、携帯も入らないし。
――読書スタイルってありますか。
中原 : 映画を観るのも疲れたし音楽を聴きながら本を読むか、って横になっても部屋が汚いと読む気になれない。喫茶店に行くとわりと読めるんですけれど、遅い時間までやっていないから。あと、4年くらい前にセリーヌの『北』を1年かけて読んで、オレは本を読むのが嫌いなんだ、と思って。しばらくして同じ亡命三部作の『リゴドン』を読んだら、簡単に読めちゃったんですけれど。でも『北』があまりにも読めなくて。『あらゆる場所に花束が……』を書いている頃に気づいたんですけど、本を読んでいないと小説って書けない。最近は読まずに書いているんで、だからいいもん書いていないんです。
――読むとその本の文体などにひっぱられるとも言いますが。
中原 : どうでもいい本からパクったりしますからね。源氏鶏太とか(笑)。昔はよく『PHP』をパクってました。ありきたりな常套句をいっぱい並べて。「紋切り型の言葉をよく使う」と言われるけれど、『PHP』からパクっているからです。要するに、別に小説が書けるとは思っていないから。小説風に、文字が固まっていればいいんでしょうということで。大層なものは書こうとしていない。
――日々の生活は、書いている時間と映画を観ている時間と…。
中原 : 最近はずっとXBOXのゲームをやっていました。ゾンビがいっぱいいるデパートの中にカメラマンが入っていって、撮ると点が取れて「ナイス!」「パーフェクト!」とか言われる。
――「デッドライジング」。
中原 : そうそう。ゲームにハマったらよくないと思いながら。
――では、執筆は…。
中原 : 全然書いていない。やっぱ、なんか、賞がどうのこうの、に参加してみて、クリエイティビティは求められていないんだな、ということが余計分かっちゃった、というか。賞って権威とか権力とかのものであって、クリエイティビティとは何の関係もないってことがよく分かりました。自分にしかできないようなことっていうのを求めることと、文学は何の関係もないんだ、って。みんなと同じようなことを考えられる、感じられるものが求められて、自分だけが大切にできるようなことっていうのは必要とされていないんです。個人しか持ち得ないヴィジョンとか、そういったものなんてどうでもいいという。文学もそれでいいと思っちゃっているんですね、おそらく。みんな同じものを見ればいいってことで、全体主義に支配されつつあるんです。
――同じものばかりではつまらない。
中原 : どんな文学があってもいいと思うんですよ。みんなが、誤差が少ないように同じように感じられることばっかり目指していたら、危険を感じますよ。そういう方向に向かっていますよ。それが都合のいいことなんだけれど、連中にとっては。そういうことに気づいてほしいですね、みんな。個人を尊重できる世界にならなきゃいけないのに、そうじゃないでしょ、今すべて。僕はそういうのに異議申し立てしたいだけ。悪趣味なことをやろうとしているわけでもないし、暴力的な表現をやるとかそんなことは、どうでもいいんです。僕のテーマじゃないんです。
――決してエログロではないですものね。
中原 : それは目指していません。だったら顰蹙かったほうがいいですよ。みなさん読者に等しく同じように届くようなものなんてどうでもいいですよ。
――毎回、プロットはどうやって?
中原 : ちゃんと考えて書きたいけれど、あー締め切りだしどうでもいい、となる。書いたって原稿料にならないので、プロットなんて書きません。でたらめなものです。
――でも面白い。短編集『名もなき孤児たちの墓』も夢中で読みました。映画を彷彿されるタイトルのものがあったりして。
中原 : そうですか? 考えてないですよ。
――でも「典子は、昔」とか「憎悪さん、こんにちは!」って(笑)。
中原 : タイトルを決めても後から変える場合があります。タイトルは考えるのは確かに楽しくあるけれど、書いた後に変えられるのは楽しくない。このあいだ書いたのは完全に変えられました。最初は「田舎っぺの人でなし大将」だったんですが。田舎っぺを変えてくれと言われて。ヒマだったので最近、タイトルばかり考えていたんですよ。次に出るのが「怪力の文芸編集者」。ははは。
――モデルがいるとか?
中原 : いませんよ!
――『名もなき孤児たちの墓』では、文筆業の主人公が多いですよね。
中原 : そうすれば私小説風になるかなーというくだらない理由です。
――そして、そんな主人公が、小説なんて書きたくない、と訴える。
中原 : 僕は仕事がしたくないんじゃないんです。自分ができる仕事だけをやればいいことなのに、そういうことを求めていない業界とか職種に対して幻滅していることがそう書かせるのであって、やる気がないとか、そういうことじゃないんです。でもみんな、そう思っちゃってる。作家っていう仕事が何を語るとか面白いことを語るということじゃなくて、作家=権威、と思考する人が群がってやっているだけでしょ、結局。僕とは関係ないけれど、そういうのがみんなのその仕事をやる主な理由になっているので、そこをはっきりと区別する方法はないのかと思う。単純に純文・エンタメじゃないんです。なんかどうも違うんですよね。金井美恵子さんの講演を聴いた時、すごくヒントになることを言って。「男性作家が持つ野心的なことっていうこととは、まったく関係のないことをやろうと思った」って。ああ、なるほど、と思いましたね。
――なるほど。
中原 : 作家は農夫と同じようなものだというなら、僕は喜んで作家って看板を掲げるけれど、某作家のように、まるで作家が真理を知っているかのような、正しいことを言えるのが作家だというなら、そんな看板掲げたくないですね。権力とか権威とか関係なく何かを作るなら、そこには喜んで参加したい。けれど今作家って=権威とか権力ですよね。「私はあなたの上に立ってものを語れる」立場が作家でしょ、たぶん今、人が思っているのは。そういうんじゃないってことを伝えたいんです。だから“そういうところに参加して何か書くのはできません”と書いている。最近はそういうことも書きたくないし、書いてない。それは書くのが好きになったんじゃなくて、みんながバカだから、何言ってもしょうがないということ。誰も読んでいないのに書けばいいんだってことになりますから。八百屋が何で野菜を売っているのかよく分からないくらい、なんで自分が書くのか、文字を書くのか分からない。やんなきゃいけないものはやんなきゃいけないけれど、やる気が出てきたわけじゃない。
――最新刊の『KKKベストセラー』でもう小説は書かないのか、とか思った人もいるけれど、実は『名もなき孤児たちの墓』に収録されている芥川賞候補作「点滅…」のほうが後に書かれているんですよね。その後も書かれている。
中原 : まあ、いつああいうものに戻るかわかりませんけれど。作家という仕事について、そういう問題って、誰も語らないんですね。選評で「働いている人の心に響くもの以外にどれだけの価値があるのか」という話がありましたけれど、じゃあ古典文学を今読むのはどういうことなんだよ、と。実用的なものしか意味がないってことでしょう? 本当におかしい。昔の人は、権威のためにやっているわけじゃない。カフカだってそんなためじゃない。意味が変わってきちゃっているわけです。文学は実用的なものなんですね、どうしても。そんな文学には荷担したくない。僕が書いたもので世の中を変えることはありえませんけれど、それでも誰かがそういうことをやらなきゃいけないんじゃないかと思うんです。
――共感できる作家さんはいませんか。同世代とかで。
中原 : 阿部和重は素晴らしい、何を書いても面白いし。モブノリオさんも頑張ってほしいし、最近まとめて読んだ長嶋有さんは偉いなあと思うし、金原ひとみさんは訳分からなくて頑張ってるなあと思うし…って、知り合いばっかり…(笑)。同世代じゃなければ、古井由吉さんとか、先輩で好きな人はいっぱいいますよ。平山夢明さんも推理作家協会の短編賞を取りましたけれど、ああいうエンタメの人がいっぱいいないとダメですよね。日本のエンタメはダメ。つまらないものばっかり。
――日本のエンタメに欠けているものは何ですか?
中原 : 一般に媚びるかオタクに媚びるかしかないわけでしょ。そこがつまらないと思う。僕は一般でもオタクでもない人しか興味ないから。この10年、その両方の間にいる人には辛い世の中だろうなと思う。学生だったらいじめられているんだろうなって思う。
――さて、今後の執筆予定は…。
中原 : 書いていないんです。別の仕事をやりたいから。音作ったりとか、一日中、映画観たりとか、そういうことばかりです。
――いろいろやっているし肩書きはどうします?って聞かれたら、なんて答えます?
中原 : ああ、湯布院の映画祭に行った時、ロビーに僕の写真があって、肩書きが「映画ファン」になっていてがっくりきました(笑)。みんな、パンフレットを読んで「あれ?なんか作家さんなんですか?」って。僕の肩書きですか。なんでしょうね……。「オモシロ大好き人間」でいいです。あははははは……………最低だ。
(2006年10月27日更新)
取材・文:瀧井朝世
WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第60回:中原 昌也さん