WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2007年10月の課題図書>『逃亡くそたわけ』 絲山秋子 (著)
評価:
福岡生まれ福岡育ちの「あたし」と名古屋生まれ名古屋育ちの「なごやん」が精神病院を脱走し、おんぼろ車で逃亡の旅を続ける。ただひたすら、南を目指して―。
時に投げつけるような、時にぼそりと漏らすような、時に心の奥から絞り出すような。全編を貫く「あたし」の博多弁があってこその作品だ。このうえなく率直な「あたし」の土着性と、東京かぶれで頑なに標準語を話す「なごやん」の歪んだ郷土愛との対比も読みどころ。
逃亡者というと北へ向かうイメージがあるが、もし福岡を発った2人が関門海峡を越えて本州に入り、東へ北へと歩を進めていたら、ここまでからりと乾いた雰囲気の物語にはならなかったのでは。別府から阿蘇、そして宮崎、鹿児島へ。親しんだ土地からどんどん離れて、やがて行き止まりの場所へとたどり着くことが、この2人が求めていたことのような気がする。
評価:
ロードムービー系の小説を書かせたら天才だね、絲山秋子。真っ直ぐにカーブに道が曲がるように、そこを辿る人間の気持ちの揺れも丁寧なハンドルさばきで描いてしまう。
頑張れないなあ。そんな夜に読みきれる長さも、作品として自分の居場所をわきまえている感がある。
舞台は九州。精神病院の脱走を企てた「あたし」21歳自殺未遂者が、逃亡相手に選んだのは退院間近のサラリーマン。名古屋出身のくせに東京者であることに拘るエリート君24歳だ。目的地はない。主たる理由もない。相手は誰でもよかった、のだと思う。逃走手段の車の中での「帰ろうよ」の諍い、薬がなくなって飛び込んだ診療所での医師の佇まいとわかってるのかわかっていないのかの会話術、道に迷い、食べるもの探しに奔走する中で、繰り返されるふたりの会話と寄り道だらけの時間がが何よりの治療となっていく。
読み始めた時は、頑張れなさを引きずっていたはずなのに、いつのまにやらの絲山ワールド。目の前の道を見据えている自分に気付く。「くそたわけ」そう言って昨日までの自分を蹴り上げてぽんと明日を踏み出したい。
評価:
今回は精神病患者もの(と言っていいのかわからないけれど)が続く。この主人公も『クワイエットルームにようこそ』と同じく、自殺未遂を起こして病院に入れられちゃった女の子の話。
精神病院に入ったあたしは、こんなとこにいちゃ腐って死んじまう、とふと思い立ち、友人なごやんを誘ってものすごいボッコイ車に乗り込んで、南へ南へと逃げる。わけのわからない幻聴が聴こえてきて、あたしは具合が悪くなったりするのですが、とにかくなごやんと二人で九州を南下していく。これも私の理解の域をばっちり出ている設定なので、共感できるとかそういう類の小説ではないのだけれど、でも読んでいる間じゅう、ふたりが愛しくて仕方なかったです。
二人とも、とってもさびしい。でも、自分が考えなくちゃいけないことを、すごく一生懸命に考え、伝え合いながら逃亡を続けるのです。その姿があまりに切実で真剣。随所で自分の心にぐっとくるものがありました。
それから二人の博多弁の会話も楽しみのひとつ。私は九州出身でもなんでもないけれど、懐かしさを感じさせてくれる一冊でした。
評価:
思ったより、「逃亡」シーンに迫力がなかったです。これはもしかすると、私の脳みそがアメリカナイズされている証拠かもしれません。これから読む方は、決して、ハリウッド映画のようなカーチェイスや国際的秘密組織に「追われる」感覚などを予想せず、「家出」する気持ちを思い出して読まれるとよいかと思います。
本編では、躁うつ病に悩まされる20歳そこそこの女の子が主役です。ちょっと勝気な性格が博多弁により生き生きと描かれています。そんな彼女のパートナー兼ドライバー(?)として選ばれたのは、名古屋出身なのに東京人ぶろうとする頼りない25歳の青年。病院から逃亡して九州内を走るのですが、道中で交わす2人の会話が読みどころ。
お互い、生まれ育った土地に対する意識が強いことに対し、日々移動を続け、一箇所に留まれずにいるという設定から、所属場所からの逃亡は可能でも、自分自身から逃げることは不可能だというメッセージを読み取りました。
評価:
精神科の医者や患者が、昨今小説の題材としてよく取りあげられるようになったのは、取りも直さず精神的に参っている人間が巷に溢れていることを意味しているのだろうか。
なるほど見わたすと僕の周りにも、睡眠薬や安定剤に頼っている人間が実際チラホラ見受けられる。
精神病棟から逃亡を計ったのは、わたし。
そのドサクサに巻き込まれたのは、なごやん。
資本論の一節に追い回され、自殺未遂で今しばらく入院が必要なのは、わたし。
退院間近で本来逃げる必要などなかったのは、なごやん。
行く当てのない逃亡劇が、九州の観光名所を背景にただただ繰り広げられる。
例よって読解力のない僕には、もう一段深い部分がきっと読み取れていないのだろうとは思いつつ、いまひとつ満足いかない結末にやや消化不良。
評価:
今月の課題図書の裏テーマの一つ「精神病院」もの・その2。こちらはタイトル通り、逃亡するお話。
俺はこの歳になるまで、本州から一歩も出たことがありません。おそらく生涯、出ることもないまま終わりそうな気もしますが、それはともかく。「亜麻布二十エレは上衣一着に値する」という、奇体な言葉がしばしばエンドレスで頭の中に流れる「花ちゃん」と、彼女に巻きこまれた気のいい「なごやん」の、九州縦断逃避行。
幻聴をはじめとする諸症状故に、ぎくしゃくしがちな二人の旅は、「おやおや、そんなところに行っちゃうんですか?」と、『はじめてのおつかい』でも見るような温かい目で、つい見守ってしまいたくなります。現実だったら、新聞沙汰になりかねない大騒ぎだろうけど。
上記裏テーマその1『クワイエットルームにようこそ』で感じた、自分がいつそうなってしまうか分からない恐怖感に比べれば、はるかに気楽に読み終えることができました。
評価:
かつて私がババールママと名乗っていた頃、こちらのHPの400字書評で『逃亡くそたわけ』が採用された。
没になる原稿が多い中の採用だったので、ことのほか嬉しかった。久しぶりに手に取って読んでみた。やっぱりこの本好きだなぁとしみじみ思う。
花ちゃんは21歳の女子大生、なごやんは24歳の茶髪サラリーマン。
その二人が道行ならぬ、脱走だ。それも精神病院からである。
スタートは博多、そしてゴールは指宿。
花ちゃんはこてこての博多弁、そして名古屋出身をひたすら隠し通していたなごやんは奇麗な標準語。
脱走中の二人のやり取りが、時にちぐはぐで、時にしっくりいき、絶妙な味わいがある。
脱走しているのだから、追われているのは確かなはずなのに、のどかな気持ちにすらなる時もあった。
九州を南下する二人。
阿蘇の大自然に触れ感嘆するかと思えば、川で洗濯中におぼれそうになったり(しかもなごやんが)、はたまた途中で薬が欲しいために病院に駆け込んだり、久しぶりの都会でおしゃれを楽しんだりをしたり…。
二人はただただ一緒に行動しているだけのように見えて、次第に心が寄り添うようになってくる。
「ラベンダーをふたりで探そうよ」というくだりではジーンときた。
ところで、彼のニックネーム「なごやん」は名古屋ではよく知られたお饅頭の名前なのですよ。
本音がぽろっと出るときには名古屋弁で話してしまうなごやん、人柄の良さ、にじみ出ていました。
WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2007年10月の課題図書>『逃亡くそたわけ』 絲山秋子 (著)