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宮殿泥棒
宮殿泥棒
【文春文庫】
イーサン・ケイニン
定価 720円(税込)
2003/3
ISBN-4167661306

 
  池田 智恵
  評価:A
   〈優等生の男の子たちは、イーサン・ケイニンによって自分たちの物語を得たのである。─訳者あとがきより〉
 優等生の話なんて面白いのか?と思って読み始めたが、これは確かに面白い。柴田元幸の言葉もうなずける。物語のヒーローはいつもアウトローで、優等生たちは、時にヒーローたちの横でヒーローになれない自分に引け目を感じている。そんな、余り物語りの題材にもならないような事実を描いたこの本が、いったいなんで面白いのだろう?
 優等生たちは卑屈にもならず、開き直りもしない。多分彼等はそういう風に振る舞うこともできないのだろう。だって、優等生たちは優等生で自らの性質に忠実に、懸命に生きているのだ。そのせいで、自分の生き方を晴れがましく思えなくなったってどうしようもないじゃないか。そういうどうしようもなさを淡々と、しかし愛情を持って描いているこの本。確かに優等生たちの物語だ。事実を描く、ということが本当の癒しに繋がると言うことを久々に実感した。

 
  延命 ゆり子
  評価:A
   こういう小説を静かに読むことは、幸せだ。ささやかな人生とその中のさざなみのような出来事を取り出した短篇が四つ。表題作よりも、私は『会計士』が心に響いた。会計士として順調な人生を歩んできた主人公。周りからは成功者と思われていても、実は小心者で、幼なじみに常に引け目を感じており、妻は浪費家だ。淡々とした人生と、それを蹴飛ばすような胸のすくちょっとした出来事。そんなに大きな事件ではないのだが、日常の中にこそ幸せは宿ることを思い出させてくれる。あああ言葉が追いつかない。こんな陳腐な表現しかできぬ自分が恨めしい。心の奥底でジンとするような感動を、多くの人にも味わって欲しいと思う。

 
  児玉 憲宗
  評価:A
   映画「アメリカン・ビューティー」のようだと思ったら、あとがきの作品紹介の中にこの題名があった。
 アメリカの生活習慣や言葉、野球事情、ジョークがわかるともっと物語が理解しやすいのかもしれない。が、ジョークはわからなくても、訳者が欄外にとてもていねいな注釈をつけて手助けをしてくれる。全作品とも読みやすい訳だけに、「宮殿泥棒」という邦題は作品を読んでみると違和感を覚えた。
 真面目に一生懸命努力をした者が報われる、と小さな野望も持つ主人公達が、結果うまく世渡りをする奴らに出し抜かれてゆく現実の悲しさは、優等生ではない私にもわかる。
 「傷心の街」。長年連れ添った妻があなたにはないものを持つからと彼の上司のもとに走り、離れて暮らす優しい息子とも溝を感じている、球場とバー通いの孤独な日々を送る50代男性の物語。なんとはなしに気持ちがすっと沿えた。

 
  鈴木 崇子
  評価:B
   収録された4編とも面白かった。どの物語の主人公も、生真面目で小心な普通の人というところが良い。大成功を収めた幼なじみにライバル意識を持ちながらも、どこかで恩恵を受けようと期待している会計士。天才肌で変わり者の兄に対して遠慮している平凡な少年。他の男の元へ去った妻の思い出に縛られる初老の男。出世欲から教え子の不正を見逃した名門高校の教師。みんなちょっと弱気で、ちょっと卑屈で、ちょっと情けなくって、そんなところが人間的だ。
 がんばったわりには報われることなく、世の中の強いものには抗えず、流されていく中で、それでも主人公たちは立ち止まって自分を振り返り、ほろ苦い後悔の気持ちと共に人生を受け入れてゆく。夢の代わりに残されるのは、ささやかな幸福感といくらかの寂寥感。でも作者の視線はあくまでも優しい。しみじみモードで、人生の哀愁に浸りたい方にはおすすめ。

 
  高橋 美里
  評価:B-
   「男」の匂いのする作品というのは良くあるのかもしれませんが「少年」の匂いのする作品というのはナカナカどうして胸を打つものに出会えなかったのですが、この作品には「大人の顔をした少年」がたくさん出てきています。オススメは「傷心の街」。離れていく息子と父親の物語。
読み終えた後のせつなさは一級品。親と子というのは遠くて近い。難しい関係なのだなぁ・・・。

 
  中原 紀生
  評価:AA
   一瞬の気の迷いで、美しいけれど浪費癖のある妻と結婚した中年会計士の、成功した友人をめぐるありきたりの苦悩とささやかな、でもきっと激しく胸震わせたに違いない一時の快哉を淡々と描写する客観的な筆致(「会計士」)。妻に去られた男の、痛ましくはあるけれど同情に値しない孤独と、一人息子とのつかの間のふれあいや微妙なすれ違いを綴った、ほろ苦くて透明な哀しみが漂う絶妙な筆遣い(「傷心の街」)。老教師の小心きわまりない心の葛藤を戯画的に描く、嗤いや嘲笑、ましてやシニカルな冷笑でもない、かといってほのぼのと温かくもない乾いたユーモアを湛えた文体(「宮殿泥棒」)。──「人格は宿命だ」(ヘラクレイトス)。本書には、この二千年前の賢者の言葉を通奏低音とする、四つの見事な中編が収められている。短編小説の中でキラリと光るには月並みすぎるし、長編小説の主人公たるには心理的屈折のスケールが小さい。中編小説は、そんな凡庸な人物の凡庸な内面を観察するのにちょうどいい長さだ。

 
  渡邊 智志
  評価:B
   どうにも近寄りがたい…。読む前から、この本を楽しめなければ知能が低い、とレッテルを貼られてしまいそうな、そんな脅迫めいたモノまで感じてしまいました。なぜでしょう。現代のアメリカ短編小説の鋭さに、時に読むのが辛くなることがあります。小説は虚構だと頭のどこかで確認しながら読んでいるのに、虚構の小説の登場人物が知るはずのない現実世界の秘密をぽろっと漏らす瞬間がある。どうしてそんなに生々しいことを知っているんだ…、と虚構の登場人物が末恐ろしくなるのです。「人物描写が優れている」とか「人生への洞察が深い」という評は、褒め言葉のような気もしますが、小説にまで現実をヒリヒリと感じさせられて、追いつめられるのは堪らないなぁ。人間の奥底に潜むドキリとさせられる本音を垣間見させる短編。それが一番の楽しみだったのに、時に怖くて堪らなくなります。表紙の絵がステキ。この絵のような軽味だけでけっこうお腹いっぱいです。