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屈辱ポンチ
屈辱ポンチ
【文春文庫】
町田康
定価 450円(税込)
2003/5
ISBN-4167653028

 
  池田 智恵
  評価:A
   「世の中を客観性とサービス精神を持って正直に描写すると、必然的にエログロナンセンスになる」という言い方は、今日の作家の特性を表現する際に非常に広範に当てはまると思う。で、「作りかけでほっぽらかされている為にツートンカラーのままの巨大な大仏」なんてのを描き出す関心の方向から見ると、町田康もそういうタイプなのだろうと解釈できる。
 しかし、彼の作品には私小説的な主観がない。世の中「くそ」だ「うつぼ野郎」だと登場人物は叫ぶけれど、その感情に自己投影がされていない。自己肯定していない。売れない構成作家やミュージシャンの物語なのに、そういった作品が必ず持っているありがちな閉塞感もない。
 しかし、読んでいるとお経のように独特の文体と異様な空気が体にまとわりついてきてひっぱがせなくなる。その強烈な印象を持ってして町田康は「本物」だ、と確信することができるのだが、その内実を表現できない。不思議な作家だ。

 
  延命 ゆり子
  評価:C
   独自の文体やそのテンポ、言い回しは好きなのですが、内容は・・・むむぅ。現実と妄想が入り混じる不条理な世界や暴力的な描写なども私が苦手とするところなのですが、何が嫌いかって、わたし、主人公の性格が嫌です。小心者でエラそうで甲斐性がなくてすぐ怒って人のせいにして頭が良いくせに駄目人間。町田康の小説っていつもそういった感じなので私の中では彼自体がそういう人なのだと少し嫌悪感まで抱く始末。この堕落の美学が好きな人は好きなのでしょう。私はちょっと。そういう時代ってもう終わったんじゃなかったの?

 
  児玉 憲宗
  評価:A
   町田康さんは、物書くロック・ミュージシャンである。
 言葉を音符のように操り、つなぎ合わすことでビートを刻む。その独特の文体は、声を出して読むと、歌に変わる。町田さんが用いる単語や表現がこれまた独特だ。単語がリズミカルな文章の中で跳ねて踊っている。まるでパンク。
 「けものがれ、俺らの猿と」の主人公は脚本家、「屈辱ポンチ」の主人公はミュージシャン。両方ともうだつのあがらない不器用な人間である。それでも彼らが愛しく思えるの、この文体こそが生みだす一つのマジックではなかろうか。
 まさに、町田康さんは、演奏する物書きなのである。

 
  鈴木 崇子
  評価:C
   「けものがれ、俺らの猿と」――妻と別居中の冴えない脚本家に謎の老人から仕事の依頼がきて…。次から次へと訳のわからない事件に巻き込まれる、まるで悪夢のようなストーリー。
「屈辱ポンチ」――友達からの突然の依頼は、あるミュージシャン仲間を破滅させること。売れないパンクロッカーとその世界に憧れる少年が間抜けな嫌がらせを実行する。
 どちらの話もとんでもない展開の中、情けなさ、怒り、不安、虚しさ、ばからしさなんて感情だけが、妙に迫ってくる。独特で不思議な世界。正直なところ、私には面白さが感じられず、居心地悪かった。

 
  中原 紀生
  評価:C
   紛れもない「文学」の匂いと力を感じます。保坂和志さんが解説で、町田康の小説はひじょうにリアルだ、「リアル」とは「現実の底に横たわるもの」のことで、それは「感情」なんかを超えて「物」にちかいような「もの」だと書いているのは、「社会」(サラリーマンが住む社会)と社会の向こうの神や仏や鬼の世界に向けて書かれる「文学」との違いを踏まえてのことで、だから、町田康が描く「けものがれ、俺らの猿と」のどことなく高橋留美子を思わせるシュールな世界や「屈辱ポンチ」の摩訶不思議で危ない世界は、まさに「現実の底」であり「社会の向こう」なのであって、そのような世界を見据え叙述することこそが紛れもない「文学」の仕事なのだということになる。話の筋などはこの際関係なくて、町田康の文体というか語り口は、個人的な好みなど粉砕してしまうとてつもない起爆力を持っている。文体・語り口と話の筋と表現される世界が渾然一体となったとき、この人の書くものはきっと途方もない傑作になるだろうと思う。いや、私が知らないだけで、町田康はもうとうにそのような小説を書いているのかもしれない。

 
  渡邊 智志
  評価:A
   こう言ってはたいへん失礼ながら、意外な高評価です。グルグルと襲ってくる酩酊感にどんどん引きこまれ、あぁボクはこの文章が好きだなぁ、としみじみ思ってしまいました。時々脳味噌の中をそのまま文章化したらどうなるんだろう、などと考えるのですが、実際にやってみたとしても決して読める文章にはならないでしょう。でも小説の中で擬似的に体験することは可能で、上手い文章に出会うとまるでそれが「脳味噌スケッチ」であるかのように読めるんですね。思考するスピードと読むスピードが同期して、スルスルと自然に入ってくるんです。学校の作文教育では絶対褒めてもらえないような文体の支離滅裂さは、一歩間違えるとただのデタラメになってしまいますが、あくまでもこれは小説。迷走を一定の水準でとどめて物語から読者を置いてきぼりにしていないんです。うーむ、上手いなぁと何度も嘆息。タイトルのインパクトも『けものがれ、俺らの猿と』って、凄い!