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将棋の子
将棋の子
【講談社文庫】
大崎善生
定価 620円(税込)
2003/5
ISBN-4062737388

 
  池田 智恵
  評価:A
   羽生さんのあの容易ならざる雰囲気から、将棋界というのは尋常でないところだと感じでいた。この本はそんな将棋の世界の厳しさを裏付けてくれる一方で、外側からは絶対に見えない豊かさを教えてくれる。
 成田英二という、一人の棋士を主人公にして語られるのは、年齢制限に苦しめられ、浮き世から離れた生き方を選ぶことになる棋士たちの苦悩や挫折。それは、外側からはあまりに苦しく厳しいもののように写る。しかし、自ら小学生の頃から将棋に親しんでいたという著者は一つの経験の共有者として、棋士たちに、そして将棋に暖かい視線を向ける。「将棋は厳しくはない。本当は優しいものなのである。」一見感傷的に感じられるこの一文。だが、プロ棋士になれずに40半ばにしてその日暮らしを続ける成田が、将棋が自分に与えてくれたものについて語る瞬間に、この言葉がすっと胸に染みいる。天才たちの世界を至近距離で見つめながら、普遍性を獲得しているところがすごい。

 
  延命 ゆり子
  評価:B
   奨励会という特殊な空間で若い大切な時期を過ごす青年たち。成田英二という作者の知り合いを中心に奨励会を辞めていった青年たちのその後が描かれる。読んでいるときはどっぷりこの将棋の世界につかり、それなりに涙を流してはみたものの、ふと気づくと何かが引っかかる。恐る恐る言ってみますけど、こいつら甘くないですか(オニ?)。主人公の英二だが、とりあえずマザコンだ。将棋をやめ両親が死んだ後はその財産を二週間で食い潰し、故郷に戻ってパチンコ屋で働く。女と純愛したのち、ハマりすぎて借金まみれ。債権者から逃れた先は回収業だった……。なんてわかりやすい転落の仕方なんだ。奨励会というところでは、誰しもがギリギリの精神力で勝負に挑んでいるという。その結果を決めるものは単なる偶然で、プロになれなかった多くの者たちは技術もなく経験もなくひとりぼっちで挫折と屈辱を抱えながら世間の荒波へと漕ぎ出さなくてはならない、と作者は言う。でもそれは少しロマンチック過ぎやしないだろうか。挫折を感じながら生きてるのは彼らだけじゃない。しかもその奨励会に参加できるのは数少ない選ばれた幸運な者たちで、その運命も自分で決めたはずだ。奨励会を辞めたことで駄目になるような精神力なら、そりゃどこに行っても駄目だろう。作品の中のロマンチシズムに浸れなかった私のほうに問題があるのかもしれません。

 
  児玉 憲宗
  評価:A
   将棋に限らず、勝負の世界では、圧倒的な実力に裏づけらた上で、強い運を持つ者だけが生き残ることができる。大崎善生さんは、その選ばれし勝利者ではなく、運命に翻弄され、あるいは自滅して、脱落する形で将棋界を追われた者たちに敢えてスポットライトを浴びせた。日本将棋連盟に身を置き、花を咲かす天才たちの夢、あるいは蕾のまま咲くことのない敗者の挫折、長い時間をかけて酸いも甘きも見届けてきた著者だからこそ、描けた感動のドラマの数々だ。
 成田が、米谷が、加藤が、その他多くの主役たちの知られざるエピソードには例外なく鬼気迫るものがある。将棋はもちろん、将棋界と縁のないわたしも惹きつけられる作品だった。
 作家・大崎善生の存在は、紛れもなく「将棋界の宝」といえるだろう。

 
  鈴木 崇子
  評価:A
   才能があって好きな道へ進んでも、そこには必ず試練がある。それが将棋という勝負の世界であればなおさらだろう。天才の集団の中でも、競争をすれば優劣がつき、勝者と敗者に隔てられてしまう。プロ棋士を目指す若者たちの息詰まる対局に、勝敗を分かつものは一体何なのだろうと思う。努力や実力だけでは説明のつかない、時の運とか運命なんて言葉が浮かんでくる。
 勝ち残り夢を追う者にも敗れ去った者にも、それぞれの厳しさが待っている。日本将棋連盟に身を置いていた著者の想いは、決して順調とは言えない敗者のその後へと向けられている。けれども、さらなる苦労や挫折などの悲惨な顛末や失敗に対する彼の視線は優しい。将棋や将棋に身を捧げた人々に対する著者の愛情が伝わってきて、何だか救われた気分になる。

 
  中原 紀生
  評価:C
   将棋の子(天才少年)たちが、プロ棋士をめざして苛烈に戦う奨励会。棋士たちの既得権を守る理不尽なルール(年齢制限や三段リーグ)。競争に敗れ退会し、一般社会に出た者にとって、奨励会の修業は限りなく無に近い。「そして、悩み、戸惑い、何度も何度も価値観の転換を迫られ、諦め、挫折し、また立ち上がっていく。」──将棋世界編集部時代の著者と、羽生善治を中心とする天才少年軍団によって駆逐された将棋の子の一人、札幌出身の成田英二との11年後の再会を軸に、退会者たちのその後の人生の軌跡をたどる著者の眼差しは、優しい。でもその優しさが、非情な世界を描く筆致とのあいだで齟齬をきたし、抒情に流れ感傷に走りそうになるや話題をいったん切り替える構成の不自然とあいまって、ノンフィクションに混在した著者の私情を浮き彫りにする。「将棋に利ばかりを求め、自分が将棋に施された優しさに気づこうともしない棋士と比べて、ここにいる成田は何と幸せなのだろうと私は思う。」成田の無惨なまでの未成熟を前にして、この言葉は空疎に響く。「将棋は厳しくはない。本当は優しいものなのである。」奨励会制度への批判を封じこめたこの評言に、説得力はない。

 
  渡邊 智志
  評価:B
   いったいいつの時代の話だ? …と身震いしたら、しっかりと現代のお話なのですね。それなりに意味があるから制定されたのであろう「年齢制限」の壁によって、取り返しのつかない悲劇を生みかねないなんて。こういう制度を旧弊と言い切ってしまうのも狭量に過ぎるのでしょうが、とはいえこんな悲劇を生じさせる将棋の世界は、根本的に間違っているのではないでしょうか。うむむ。圏外の素人が表層的に本を1冊読んだだけで、好き嫌いを断定してしまうのは言い過ぎなのですが、どうにもこの世界の人たちはおかしいような気がしました。いやいや、一概に悲劇と決めつけてしまうのは違うぞ、全部ひっくるめて、将棋から学べる人生そのものが素晴らしいんだ。…なーんて、なんとかプラス思考に考えを持っていこうとしても、やっぱりダメ。もし自分なら、たぶん永久に立ち直れないデス。文章は読みやすく、筆者の愛情もひしひしと伝わってきて、余計に痛々しいです。