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カカシの夏休み
カカシの夏休み
【文春文庫】
重松清
定価 620円(税込)
2003/5
ISBN-4167669013

 
  池田 智恵
  評価:D
   3回読んで出した結論。「シゲキヨ、ニセモノじゃん」。というのも、この3作の泣かせどころが「許し」と「受容」であるのに、その「許容」に至る過程がきちんと書かれていないからだ。例えば、「カカシ」に出てくる厳しい父親をラケットでぶん殴った小学生。ちょっと余所の家でくつろいだからって、なんでいきなり父に謝ろうって気になるんだ?同級生からの「死ぬんだ」という電話を冷たくあしらったら、翌日その子が本当に自殺してしまって「人殺し」と呼ばれるようになった女の子の話も変。宗門して悔い改めよとは言わないけど、おさまりのいい言葉でまとめて本題から逃げてないか?
 まあ、上手いから一時泣けるけどさ。“ここまで来たんだな、と思うことが最近増えた”って書かれたらじーんとくるだろうけどさ。最近はどうも「優しさ」と「甘やかし」を勘違いしている小説としか受け取れない。
 人気作家である事実も含めて、その不誠実さが嫌いだ。

 
  延命 ゆり子
  評価:A
   短編が3つ。表題作はいつもどおりの重松清節。リストラ、友人の死、学級崩壊、あの日に帰りたい。いつもの身につまされる系です。なんだかあざとさが透けて見えてしまって少々鼻白ム。それよりも『未来』が良かった。高校をドロップアウトし、いい人になりたいからという理由でボランティアのはしごをする少女。彼女は何気ない一言で人を殺してしまった過去を持つため、感情が表に出せない心の病を抱えていた。ところが弟にも自分と同じ様に、思いがけずに加害者になってしまうという運命が降りかかり、大きな騒ぎに発展してゆく。そのとき彼女は……! 何気ない行動で一生背負う罪を抱えてしまった姿が痛々しい。そして、愛する弟に伝えたいことが伝わらない。そのもどかしさがせつない。心の闇や、罪について言及した作品は最近多いけれど、この作品は胸に響く。人を思いやる気持ち、大切な人を守りたいという気持ちが随所にあふれていて、泣けました。

 
  児玉 憲宗
  評価:AA
   やっぱり重松清さんはいい。人間の機微、特に家族を描かせると絶品だ。
 オトナにはオトナの事情があり、コドモにはコドモの世界があり、別々の世界でありながら、重なり合い、交じり合う。自分の気持ちと葛藤しながら確固たる自信も持てず、時には強情ではあるが、手も足も出ないカカシこそ現代人の象徴に違いない。
「カカシの夏休み」「ライオン先生」「未来」どれも甲乙つけがたい傑作である。いずれも、人の弱さを描きながらも、明日への希望を抱かせる作品だ。
 今後、「好きな作家は?」の質問には、必ず重松清を加えることにしよう。

 
  鈴木 崇子
  評価:A
   “泣き笑い”って言葉が浮かんだ。根は善良だが不器用で要領良く生きられない人々の悲喜こもごものお話。特に「ライオン先生」が良かった。自然体を装う不自然。“自分のキャラ”を守るため、トレードマークである時代遅れの長髪のかつらをかぶり続ける滑稽さ。誰だってある程度は他人や世間に対して仮面をかぶって生きている。だからその哀れさ情けなさに共感もし、笑ってもしまう。
 どの物語の登場人物も、マイペースでちょっと鈍くさいばかりに、つまづいたり落とし穴にはまってしまったりする。そんなとほほな人達だけど、忘れていた何かに気付いて少し優しくなったりする。“それでいい”という肯定と“そんなもんさ”というあきらめの間を行き来しながら、毎日を生きてゆくのだ〜って姿にほのぼのしてしまった。

 
  高橋 美里
  評価:A+
   その人の故郷はダムの底に沈んだ。その故郷に痛切に帰りたい、と願う中年の教師が抱く苦悩を描いた表題作。学校を舞台に教育のあり方を問い掛ける2作の中篇を収録した一冊。
 人間だから、いろんなことがある。いろんなことを考えていろんな行動を起こす。先生はその人間を育てていく。それになにか一つの「絶対」ともいえる方法はあるのでしょうか?
 いえ、ないでしょう。私は、学校になんてあんまりいい思い出はありません。「あの頃は良かった」ともあんまり思いません。ただ、思い出すと懐かしくなる。でも、「帰りたい」わけではないのです。
 これを読まれてどうかんじられるのでしょうか??

 
  中原 紀生
  評価:AA
   重松清の作品は、センチメンタルで甘い。事故死した同級生の葬儀で22年ぶりに再会した中学の同級生四人が、補償金とともにダムの底に沈んだ少年時代への思いにつき動かされ、干上がったふるさとを確認する旅へ出かける表題作で、小学校教師の小谷は、リストラで系列会社に放出された同年齢の父親の暴力に心を壊されかけた教え子を自宅に引き取る。「教師がセンチメンタルで甘くなかったら子どもたちが困るじゃないか」。小谷は、いま・ここから逃げ出して、過去というパンドラの匣のうちに希望(和解)を見出したいわけではない。甘ったるい感傷にかられて、あの時・あの場所に「帰りたい」と思っているわけではない。「僕たちがほんとうに帰っていく先は、この街の、この暮らしだ」。過去へのノスタルジーの禁止と、死という偶然の受容。「もう、駄目だ……疲れちゃったよ」(「ライオン先生」)とつぶやく現実の苦さのうちでこそ、「幸せって、なんですか?」(「カカシの夏休み」)の問いや「誰かのために泣いてあげられる人」(「未来」)になりたいという思いが意味をもつ。この断念と認識と覚悟に支えられているから、重松清のセンチメンタルで甘い作品は、感動をよぶ。小説を読んで感動するという、とうにノスタルジーにくるまれた経験が再来する。

 
  渡邊 智志
  評価:B
   重松清、初体験。必要な要素をジューサーに入れて、スイッチ入れてかき回せば出来上がり? 言うは易し。こういうレベルの作品をきちんと仕上げられる書き手を尊敬します。飽きてしまえばそれきりなのだけれど、この作者の作品はどれを読んでも大丈夫なんだろうな、という安心感を感じます。一歩つっこんだところまで進んだ心理描写などは、本音なんだけれどだれも口に出さないような、そんな正直さとほろ苦さがないまぜになったような感じで、うんうんと頷いてしまったりします。その後でちょっと陳腐さも感じてしまうのですが。たまに人の死を材料として扱った小説に警戒心を抱くことがあります。構成要素と割り切って考えることができれば泣くこともありますが、それがあまりにもアコギで鼻につく場合は、本を投げ捨てたくなります。本書はぎりぎりのライン上という印象でしょうか。「未来」が秀逸。出来過ぎの感もあるけれど、さばさばしていて気が楽です。