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国銅
(上・下)
【新潮社】
帚木蓬生
定価 (各)1,575円(税込)
2003/6
ISBN-4103314117
ISBN-4103314125
(上)
(下)
大場 利子
評価:A
教科書から嫌々、歴史を学んでいた学生時代に、出会えていたら、どんなに良かったろう。
銅を掘りだす。穴の中に入り、岩盤を砕く。奈良登りと言われるその場所。東大寺の大仏建立のため、銅は運ばれる。人も駆けつける。現在の山口県から奈良県まで。それは743年の物語。
主人公の国人は、いろいろな立場の人間から多くを学び、彼らを魅了する。なかでも、僧の景信が投げかける言葉には国人ならずとも、立ち止まり、考える。「水鳥が池を捨てるが如く、家を捨てよ。お前がお前の燈火だ。その燈火で足元を照らせ」読み終わっても、心から出て行かない。
●この本のつまずき→今すぐ、銅山跡でいいから見に行きたい。奈良の大仏も。
小田嶋 永
評価:A
時代小説とは、どこからどこまでの時代を対象とするものだろうか。というか、上古を扱う小説は、『天平の甍』、黒岩重吾の作品群を除いては陰陽師ものくらい。まして“大衆”を描くものは、不勉強ながら思いあたらない。ちょうど昨年は大仏開眼1250年。大仏造立という国家プロジェクトをテーマにしながら、歴史的あるいは政治的な鳥瞰を排した、稀有な時代小説である。「法隆寺をつくったのは誰?」という問題の答えが聖徳太子ならぬ大工さん、超高層ビルも鳶職さんがいなけりゃできないとおり、大仏を作ったのも名も知れぬ人足たちであったのだ。彼らに名はあっても、自分で書くことも読むこともできない。使い捨て同様の境遇にありながら、生きることに絶望しない彼らへの1250年たってのレクイエムだ。そして本作品では、欲望というものがほとんど抑えて描かれ(『生誕祭』とのこの違いを読め!)、悪い人間はほとんど登場しない。現代の、それぞれの働く現場における人間関係にうんざりしている身にとって、このようなロマンが救いとなるのである。
鈴木 恵美子
評価:A
馬場あき子の「万葉の夏は苦しき日照り畑我が祖は半裸の奴婢にやあらん」という歌を思い出した。「苦役」に生き、死んだ人々の末裔である大方の日本人が見失ってしまったルーツが描かれて感動的だ。暗い水浸しの銅鉱での掘り出し、炎熱と中毒事故の危険の中での精錬、長門から都までの長い船路の魯漕ぎ、都での大仏鋳造とどこまで行っても苛酷な労働の日々が続く。兄や気のあった相方を含む多くの犠牲者を出して鋳造した銅を、むざむざ海賊に奪われたり、銅銭に私鋳されたりしても為す術もない。遠く故郷を離れいつ果てるとも知れぬ労役に、自殺し、事故死し、病に倒れ、逃亡し、帰路に行き倒れた仲間達。そんな中をひしがれることなく、自然や労働や詩の美に満足を感じ生き抜く国人の姿は、余りにも無垢でたくましい。師景信の、「自分の仏を持て」という言葉を忘れず、長門で5年、都で五年大仏鋳造に生きた十年を、悲田院の僧の「そなた達があの盧舎那仏を造ったとなればそなたも仏だ」の言葉に都を後にした国人。体は楽して金儲けしようと立ち回り、自分の価値観を何ら持てないまま一生終わりがちな人間の前に、確かにその姿は「仏」だ。
松本 かおり
評価:A
奈良・東大寺の大仏が、どのようにしてできたか、初めて知った。材料の棹銅の一本一本からして「死んだ人足、今も課役についている人足の生まれ代わりのようなもの」。予想をはるかに越えた、壮大な物語であった。
主人公の長門周防の銅山人足・国人は、自ら文字を学ぶなど向学心旺盛で仕事熱心、しかも同僚思いで謙虚な22歳。奈良の都に大仏建立人足として引っ張られ、いつ帰郷できるかもわからぬまま、土砂運び、鋳込み、鍍金に働き続ける。人間の良心とはこういうもの、というような誠実な国人の生き方が、とても清々しく感じられる。また、下巻では、美しい詩が随所に織り込まれているのもいい。ふたりの衛士に触発され、詩の世界に足を踏み入れた国人の地道な学びが、最後にみごとな百字の句に結実するさまは感動的である。
大仏は「天から降った物でも、地から湧いた物でもなく、人足が何千人と集まって作り上げた物」。かつてそこにいた人々の姿と思いが見えてくると、今までなんの興味もそそられなかったものが、俄然身近な存在に思えてくる。「ただの大仏」から、「あの『国銅』の大仏」へ。さぁ、東大寺に行こう。
山崎 雅人
評価:A
天平の時代には名もなき人足だった男たちの生き様が、平成の時代にあざやかに甦る。銅山での命がけの苦役に耐え、都での大仏の建立に骨身を削る。運命に逆らうことなく、いさぎよく生きた使い捨ての人足たちを、誇り高く威風堂々と描いた大河小説である。
ストーリーは重厚で骨太。死を意識して生きる者たちの決意や嘆きが痛々しい。怒濤のごとく押し寄せる苦難の数々に目を覆いたくなる。全編を貫く悲愴な雰囲気は、臨場感にあふれ、リアルに胸に響いてくるのだ。
そんな中で、主人公の国人のさわやかさ、前向きさは異彩を放っている。聡明で勤勉。将来への希望の少なさに絶望もせず、信心を忘れない。そのひたむきな姿は感動的で、神神しくもある。こころ優しき国人の存在は、人足たちの希望の光となっているのだ。
十把一絡げの労働者に焦点をあて、人間の尊厳を説いた珠玉の物語は、想像を超える感動を従えて、ここに降臨したのであった。