年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

黒いハンカチ
黒いハンカチ
【創元推理文庫】
小沼 丹
定価 735円(税込)
2003/6
ISBN-4488444016

 
  池田 智恵
  評価:B
   非常に同人雑誌的な作品、と言うとけなしているみたいだが、そうではない。同人誌的というのは、自意識やサービス精神がほとんど作品に表出されていない、という程度の意味である。推理小説というのは基本的にエンターテイメントなので、読者に「読ませ」なければならない。そのため、時に物語が過剰になったり、文体がやたらとしっかり構築されてしまったりするのだが、この本には全くと言っていいほどそういったところがない。主人公の女先生を魅力的に書こうという野心など、微塵も感じられない。そのため、後口が妙にさっぱりしていて、全体に不思議な印象を残す本になっている。思い入れなんかは絶対に生まれそうもないけど、たまにはこういうのも面白いかも、とは思った。

 
  延命 ゆり子
  評価:B
   上品な赤川次郎……といったところでしょうか。チャーミングな若い女性がズバリズバリと謎を解決してゆきます。軽いタッチなのに言葉使いが妙にレトロで郷愁を誘う。昔の言葉って綺麗で好きです。御免遊ばせ。お通しして頂戴。お這入んなさいな。何だい、ランデ・ヴゥかい? まあ、ご挨拶ね。じゃ、失敬。ゲエム、トラムプ、ボォト、キャムプ……。電車で奇声を発してる高校生に聞かせてやりたい。それから主人公の名前が衝撃的でした。「ニシ・アズマ」。筒井康隆『時をかける少女』の「ケン・ソゴル」に匹敵する訳のわからなさです。まあ、それはともかく、シャーロックホームズの系統であるこうした短編推理小説は、息抜きにぴったり。結構はまってしまいました。

 
  児玉 憲宗
  評価:B
   古今東西、星の数ほど名探偵がいるが、ニシ・アズマほど器量のいい女性にはなかなかお目にかかれない。女学校の英語教師である彼女は、若くて小柄で育ちが良くておちゃめで、そのうえ名探偵なのである。事件解決に関係ない私的なことは絶対に明かさないという口の堅さを持ち、「今日のことは無かったにするって約束して頂戴」などと言って、犯人を許してあげる優しさを見せる。
 彼女の謎解きの原動力は並外れた観察力と記憶力だ。誰もが見落とし、忘れてしまうような小さな特徴や動作に疑問を抱き、推理を働かせる。まるで最新型高性能防犯カメラだ。どんな浮気も絶対に見破るに違いない。魅力的な彼女に恋人ができない理由は、この鋭すぎる観察力と似合わない太くて赤い縁のロイド眼鏡のせいに違いない。

 
  鈴木 崇子
  評価:B
   軽妙なミステリー、読みやすい短編集。謎を解き明かす主人公が一見平凡な若い独身女性というのも面白い。完成された独特の世界があって、あとは好き嫌いの問題なのかなという気がする。私自身は読み心地は悪くなかったが。大半は日常の中で起こる小さな事件なのだが、殺人事件が起っても不思議と陰惨さはない。最低限の種明かしはあるけれども、詳しい動機や複雑な心理描写はあえてせずにさらりとかわしている。生々しさの全くない平明で淡々とした印象。緻密でヘビーな推理小説を好む人には物足りないかも知れない。

 
  高橋 美里
  評価:A
   小沼丹、という作家のことを知ったのは北村薫の著作でした。(有栖川有栖のブックレビューもそうなんですが、なぜミステリの書評というのは喉から手が出るほど読みたくなるのでしょう?)今や読むことができるのはその作品だけだと思っていたところの吉報。東京創元社からの刊行。嬉しさのあまり小躍りしそうでした。
主人公は、ニシ・アズマ。女学校の教師で、屋根裏での午睡がたのしみという、少し変わった先生。彼女は赤縁のセルロイド製の眼鏡をかけると別人のように頭脳が働き始める。そのときの彼女の前では、すべての謎が無力化してしまう。
トリックは初歩的で読みやすく、作中で起こる事件には凄惨なものもありますが、明快な文章で描かれているので他の作品とあまり区別することなく読みつづけることができます。

 
  中原 紀生
  評価:A
   北村薫さんの作品をはじめて読んだときの、あの新鮮な驚きと読後の清冽な印象が蘇りました。なんといっても名偵役ニシ・アズマ(この古風なカタカナ表記がとてもいい感じ)の利発で可憐で、どこか「お茶目」(死語)なキャラクターが魅力。「その女性──小柄で愛敬のある顔をした若い女性、賢明なる読者は、既にお判りかもしれぬ、他ならぬニシ・アズマである」。この登場の仕方、というか燻し銀のようなユーモア漂う小沼丹の筆運びがいいですね。12の短編それぞれに違った味わいがあって、どれも忘れ難いものでしたが、個人的には「未完成」に終わった青年との恋の回想シーンが出てくる「十二号」と、ニシ・アズマの家族が登場する「スクェア・ダンス」が印象的。──『黒いハンカチ』が刊行された昭和33年は、松本清張の『黒い画集』が「週刊朝日」に連載されはじめた年でもあります。私はたまたま偶然、同時にこの二冊の本を読みました。いかにも対照的な両作品は、あいまってあの時代の雰囲気を伝えていたように思います。(といっても、あの時代のことを実感として知っているわけではありません。)

 
  渡邊 智志
  評価:A
   ミステリーとして読むと肩透かしですが、文章スケッチとして読むとなかなか味わい深い逸品です。そもそも、この手の軽い文章がわざわざ今になって文庫で出版される、ということが非常に珍しいのですから、貴重な機会を捕らえてきちんと勉強(?)しておくのもいいかも。台詞を括弧(「」)ではなくダッシュ(―)で書いたり、読みづらいにも拘わらず登場人物名が片仮名書きだったりするのは、この文章の演出の「肝」なのですから、これが普通の書き方をされていたらなんの意味もなかったでしょう。ミステリーとしては特に見るところもはないので、もうこれは文章の「味」を楽しむ以外の用途は無い、と言い切っちゃいましょう。あとはコレを好むか好まざるかということだけですから、たいした問題ではありませんね。匿名の登場人物がワラワラと出てきて、最後に一言だけ言って主人公の正体が明らかになる、という作りの方が、よりいっそう味があると思いました。