年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

沈黙/アビシニアン
沈黙/アビシニアン
【角川文庫】
古川日出男
定価 1,000円(税込)
2003/7
ISBN-4043636024

 
  池田 智恵
  評価:C
   ルコという謎の音楽の歴史をひも解いてゆくことで、話が進行してゆくにも構造であるにも関わらず、行間から全く振動が伝わってこない。これがこの作品を致命的に説得力のないものにしていると思う。エピソードが想像力を刺激しないのだ。その原因は、女子大生である主人公に「ワンダフルとしかいいようがありません」となんて台詞を言わせてしまう勘違いぶりにあるような気がしてならない。こんな台詞を言う女子大生、ちょっと想像つかないよ。仮にこういったしゃべり方をする人が存在するとしても、この本の中で規定されているように「魅力的」であるものなのだろうか?言葉尻を捕らえすぎと思われるかもしれないが、物語の説得力というのは、基本的にそういったささいなことの積み重ねであると思う。チンケなリアリティなど覆してしまうような強固な世界観を持った小説であるなら別だが。

 
  延命 ゆり子
  評価:C
   むずい……。面白エッセイばかりを読んでいる私のスカスカ脳では理解するのがやっとなこの作品。自分の頭のレベルを図ることが出来るでしょう。主人公の女子大生は故人である伯父の部屋で「音楽の死」と名付けられた11冊のノートを発見し、ルコと呼ばれる革新的な音楽の歴史を紐解いてゆく。それに、主人公の家族や祖先の歴史が複雑に絡みついてゆく。あらすじはともかく、文章が思想的、精神的、観念的で非常に難しい。例えば音楽について書かれたこの一文。「一音、一音がそれぞれ異なる方向から到来していることが明瞭さを獲得するにつれて判明する。幼児回帰的な睡りと感傷を誘う。しかし肉体における分裂がそれを許さない。ここに無時間の球体は完全に引き裂かれる」。……申し訳ないけどちんぷんかんぷんです。読むだけで力尽きました。頭がきちんと覚醒しているときにもう一度読んでみたいと思います……。

 
  児玉 憲宗
  評価:AA
   時間を超え、空間を超えて、幻の楽曲を追い求める。壮大なスケールで展開される「沈黙」は、魅惑的な物語で溢れている。猫を助けるために保険所を襲撃した美大生、薫子のエピソード。父から受け継いだ獰猛な舌を持ち、防音された地下室で11冊のノートを残し謎の死をとげた男の話。どれも独立した物語として堪能できる短編小説だ。このいくつもの物語が「幻の楽曲」というキーワードのもとに歴史を経て重なり合う。重なり合いながら幻惑の結末へ。そしてラストで覚醒するのだ。
 「アビシニアン」は、薫子に助けられた猫と薫子に救われた少女の奇妙な生活から始まる。それはペットと飼い主でなく、猫という動物と人間という動物の対等な関係。そして両者は同化していく。やがて猫との生活を終える日が訪れ、そして新たな出会いがあり、少女はまた奇妙な関係を築いていく。
 自由で、誠実で、厳格な文章に魅了された。この文章が、文字を追うわたしに「イメージを研ぎ澄ませ、ことばを感じよ」と語り続けていたのだ。

 
  中原 紀生
  評価:AA
   敬愛する橘外男の異国情緒を期待させる冒頭(小刻みな文体はちょっと違うかなと思ったけれど)から、夢野久作の入れ子式眩暈世界を彷彿とさせるストーリーの転回へ、そして村上春樹の冥界下降譚(三浦雅士さんの評言)を思わせる迷宮化された世界のリリシズム。そのほか、解説の池上冬樹さんが示唆する南米産マジック・リアリズムの醸しだす神話的幻想性の残り香まで含めると、「沈黙」がまき散らす豊饒な物語宇宙の記憶の種子、かのアカシック・レコードに向けて縦横に張られたリンクは、SFやファンタジー、観念小説やエンタテインメントといった出来合のジャンル分けを粉砕する破壊的な力を駆使して、言葉がほとんど音楽のうちに溶解してしまう濃厚な原形質的物語世界を造形している。「アビシニアン」の静謐な世界創造譚の素晴らしさといい、これはもうたまらない。(古川日出男を知ったことは、今夏最大級の成果でした。)

 
  渡邊 智志
  評価:C
   体力(読書力?)の衰えをひしひしと感じてしまいました。こういう観念的なお話は、もっと若いうちじゃないと読めない! うーむ、どうやらコレを面白いと感じていた時代があったような気がするなぁ、と記憶を探ると、高校生ぐらいの年齢って、こういうのを読んでひとり悦に入っていた気がするのです。観念的な思考法を真似したりしてね。文献や音楽や謎の相手を巡ってぐるぐると回転する主人公たちの思考は、乱雑なんだけれど芯が通っているようで、若い感性(!)で評価するならば「格好良い」。ところが今や「格好良かったなぁ…」と過去形でぼんやりつぶやくばかりで、文章や展開の回りくどさに辟易するというのが、自然な反応になっちゃいました。物語部分に気を取られていると、抽象的な文章にジャンプした時についてゆけず、曖昧な描写には、これは夢か幻だろう、などとその都度解釈を定めないと、置いてきぼりにされてしまうというありさま。残念です。