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カンバセイション・ピース
カンバセイション・ピース
【新潮社】
保坂和志
定価 1,890円(税込)
2003/7
ISBN-4103982047
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  大場 利子
  評価:AA
   また、出会いました、素晴らしい作家に。
 舞台となっている家の間取り図と、登場人物の家系図を書きたくなり、横浜ベイスターズ選手の応援歌に詳しくなる。ベクトルがいろいろな方へ、ばたばたと。今、ここで、何の意味もなく書き出しておきたい文章がたくさんあるが、あり過ぎて、選ぶことが出来ない。何度読み返しても、どこから読んでも、楽しめる。至福の時間だ。
●この本のつまずき→読む前、書名は「conversation peace」だと思っていたが、「conversation piece」だろうか。はたまた?

 
  小田嶋 永
  評価:B
   この小説は、何をそもそも伝えたいのか、とらええどころのない話なのである。「…で、…であって、…というか、…だけれど、…だった。」というふうに綴られる文体にも辟易した。しかし、登場人物たちの淡々とした会話、回想のなかには、彼らが過ごしている“時”というものを確かに感じることができるのである。なかでも、ぼくが最もそれを感じ共感できたのが、スタジアムでの観戦場面。ここにはまぎれのないプロ野球ファンが描かれている。オチのない、最後は「ヘッヘー」で終わるヤジを飛ばす大峯、横須賀での2軍の試合も見にいき、シーズン中は最低限の仕事しかしない前川、「球場に向かって歩いているあいだにうれしさでいつもいつも顔がほころんでくる」私の3人で過ごす球場での時間の全体は、歓びや楽しさに満ちあふれている。しかし、「渋谷駅で井の頭線までの乗り換えを人混みにまじって歩いているあいだに、球場から持続していた興奮はいつものように消えてなくなって」いくのである。喜びや楽しみは持続しない、人はその記憶のなかで生きていくのかもしれない。そういうノスタルジーを描きつつ、暗く悲観的にならない、やはり不思議な小説である。

 
  鈴木 恵美子
  評価:A
   せっかちで貧乏暇無し人間の私から見れば何とも羨ましい優雅な有閑生活だ。今まで「ぽかぽかの冬の日溜まり昼寝する猫のようには行かぬ人生」と思っていたが、いやいやどうして、昼寝する猫を見つめつつ人生考察して暮れていく日々こそ、語るに値する人生だったというわけね。目から鱗。これが最近流行のスローライフというヤツか。結構なことに、あくせく金を稼がなくても暮らしていける家がある。かって伯父一家六人と幼少の私、母弟の計九人の大家族が住んでいた古い家、想い出がそこかしこに染みついて、ある気配を作り出している。そこに今は妻と姪、友人の会社の三人、計六人と三匹の猫たちが住み、並みの家族よりも頻繁にとりとめもなく会話を交わしつつ、その 「気配」をカンバセーション・ピースつまり「話の種」なんかにしたりして日々が過ぎていく。この人の日常には、我慢して、或いは仕事と割り切って嫌な相手と話さなくてはならない場面が一つもないのも驚き。会話が何気ない日常の中、さりげなく人生の本質を深くたどるよすがになるって並みじゃない。目の前にあっても見えてなかったものの存在を深くたどり、身は居ながらにして心遙けき旅をする仙人のよう。スゴイ。。

 
  松本 かおり
  評価:A
   昭和23年に建てられ、幼い頃を過ごした家に、主人公「私」は妻や友人、愛猫たちと暮らしている。床板のきしみ、庭の木々、昼寝する猫、あらゆるものが、当時そこにいた人々、ものごとの記憶を蘇らせる。
「かつて確かにあったと感じられるというのは過去の問題でなく現在の状態のことだ。なぜなら奥の部屋にかつて射し、いまも射している明るい光は、ただ一様に射しつづけてきたわけではなくて、そのつど射すものだからだ。繰り返すものはただ一様なのではなくて、従姉兄たちや私自身が過去にしたことが現在の私に働きかけるように、運動の持つ重層性を力としてそのつどの働きかけを生み出しているはずだからだ」。「私」は緻密な思索を積み上げる。そこに私は、長年に渡って蓄積された芳醇な記憶を持つひとの強さを感じる。豊かな過去は、ひとを内側から支え、生の原動力になり得るのだ。
 転勤族の娘で、賃貸ばかり転居して育った私には、「私」のこの家のような精神的拠点となる場所はない。本作品はそんな一種の「根無し草コンプレックス」をたいへんに刺激してくれる。「私」が心底、羨ましい。

 
  山崎 雅人
  評価:B
   猫がいて、野球がある。ちょっとだけ仕事をして、家に住みついている仲間とたわいも無い会話を交わす。要約するとこれだけの話だ。劇的な出来事や事件とは裏腹の、平凡で刺激のない日常が描かれているだけである。
 何も起こらないこと、平和であるだけの毎日が、いかに楽しく豊かであるのかを、のびやかにおおらかに描いている。無意味な時間の価値をつくづく感じさせてくれる、ゆっくりと時が流れる物語である。
 ノスタルジックな雰囲気がただよっていて、サザエさんが駆け込んできそうな気配さえある。なのに住人はホームページ制作会社の将来を憂いていたりする。この不自然な状況も妙に自然でおかしく、実に味わい深いのだ。
 この安穏とした、どこまでも続く田園風景のような小説は、小市民的な幸せにあふれている。そして一服の清涼剤として、疲れたこころに染み渡ってくるのだ。健全で健康。ストレスも緊張感もない。貴重な一冊である。