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きみは誤解している
きみは誤解している
【集英社文庫】
佐藤正午
定価 600円(税込)
2003/10
ISBN-4087476294

  池田 智恵
  評価:B+
   そうか、「博打好き」というのは「業」のようなものなのかー、と読了後に思う。もっとも、その「業」を徹底させた人間が、たまに阿佐田哲也や西原理恵子のような存在になるのかもしれないが。この本は競輪にまつわる人々を書いた短編集である。しかし、登場人物は選手ではなく、券を買う人たちだ。彼等は競輪をやりつづけることによって時に配偶者に見捨てられたり、友人や恋人に去られたりする。それでも、競輪を止めない。なんでだろう?それは、おそらくこの人達にとって、競輪をすることと生きることが近いからである。競輪で生活している人間は、本書には一人しか登場しない。だけれど、登場人物全員にとって競輪をやることが日常になっている。だから、行間にドラマチックさは全然なく、淡々としている。そこが怖い。イベントと違って日常は急には止められないのだ。ささやかな「業」に取りつかれた人間達の、静かな暗さが印象的な掌編。

  延命 ゆり子
  評価:A
   私はギャンブルが嫌いです。負けるのがわかっていてなぜやるの?勿体無い。お金は大事だよ。しかし、この短編はすべて競輪にまつわる物語にもかかわらず、こんな私でも十分に楽しめました。先に丁寧に魅力的なストーリーを構築し、読者を惹き付けてから競輪の話につながるので、違和感なく読ませるのだ。そして、この小説からは作者の競輪に対する尋常ではない愛情が感じられる。作者は競輪の一攫千金のロマンを愛しているわけではない、と思う。競輪はただのギャンブルの道具としてしか扱っていない冷めた距離感を感じる。それでいてそこには競輪への深い愛が静かに横たわっているのだ。競輪と色んな付き合い方をしてきたのだろうなと思う。競輪を愛して、お金も時間も注ぎ込んで、何度も勝って何度も裏切られてその上で競輪の素晴らしさに惹かれている。そんな作者の姿を想像しました。知らんけど。「ギャンブルの手を借りなくても人生なんてもともと狂ってる」。そのセリフに萌えました。

  児玉 憲宗
  評価:C
   六つの短編はいずれも「競輪」を題材にしている。ギャブル小説とは、ろくでなしの物語だ。ろくでなしといっても生半可なものではなく、自分ばかりかまわりも不幸にしてしまう救いようのないろくでなしが登場するのがギャンブル小説とのイメージがあった。  わたしは誤解していた。この短編集にはろくでなしは出てくるが、いずれも小市民的で俗物なのである。ほんの少しの裏切りや意志の弱さや寂しさを「競馬」という恰好の題材を使って表現したのである。そこには鬼気迫る迫力はない。そこに物足りなさを見つけるか、軽やかさを感じるかは読者次第ではないだろうか。とにかくギャンブル小説においてハッピーエンドはなかなか成立し得ないことだけは確かなようだ。

  鈴木 崇子
  評価:B
   競輪にとりつかれた人々を通して描かれているのは、さまざまな人間ドラマ。でも、ギャンブル全般にいい印象を持っていないだけに、そして負けを重ねても懲りない多くの人々の気持ちが理解できないだけに、ついついギャンブルについての描写に目がいってしまった。  印象に残ったポイントをいくつか。「遠くへ」――思い切りの悪い賭け方に男への不信感を募らせる女性と不思議な老人とのやりとり。車券の買い方にその人の性格・生き方があらわれる、偶然の大穴を狙うのではなくオッズの低いレースに大金を賭けられるかがギャンブルのセンス、買っても負けても全てを自分で背負うのがギャンブルだ、とか。「この退屈な人生」――妙に淡々とした主人公の、賭けたレースを絶対はずさないための秘訣、とか。「人間の屑」――正反対のタイプの兄弟のように、ギャンブラーの世界とそうでない人の世界のものさしは逆転している、などなど。  ギャンブルの世界は思った以上に奥が深いみたいだ。そこには人生がある。哲学的でさえある。だからこそハマると怖そう。

  高橋 美里
  評価:B−
   “人生はギャンブル”帯にそう書かれているのと、タイトルの雰囲気と装丁があんまり合っていないのが気になりましたが、佐藤正午の短編集です。ギャンブル(競輪)にまつわる人間模様を描いた6編。表題作「きみは誤解している」は、もう本当にタイトルからして言い訳なのがとてもダメな男の話だということを物語っている作品。気持ちの切り替えスイッチのようなものはきっと誰にでもあって、その切り替えは時として人生を変えてしまうものなのでしょう。ギャンブル、というスイッチがある日オンになった男は婚約者を失う。まるで麻薬のようにギャンブルに魅せられていく男と、人生をみつめる女。なんだかとってもオヤジくさくて、ちょっとばかり苦しくなりました。

  中原 紀生
  評価:B
   一人称、三人称、エッセイ風と、自在で達者な語り口による六つの短編に、用語解説と後書きを兼ねた「付録」がついた作品集。「きみは誤解している」という表題作のタイトルから、『Y』や『ジャンプ』につながる時間分岐譚の趣向を帯びた、苦く切なく哀しく清しい恋愛小説の連作を想定していたのだが、その期待をあっさりと裏切る競輪小説集で、でもそれはそれで結構、楽しめた。ギャンブルという濃い人間臭の漂う場面で綴られた男と女、男と男の物語はいずれも鮮やか。個人的には、なんとなく太宰治を思わせる「この退屈な人生」が好み。「遠くへ」に登場する阿佐田哲也の言葉が深い。「あんたはいつも独りぼっちだ、勝っても負けても独りぼっちだ、誰にも当たったことを自慢できないし、はずれたことで誰にも愚痴をこぼせない、それがギャンブルの世界のルールだ。」

  渡邊 智志
  評価:A
   短編小説集のお手本のような短編小説集です。競輪というモチーフは全編に使われているんだけれど、そのものを描きたいんじゃなくて、たまたま切り取った日常生活の澱のような小説の「種」に、そっと競輪が絡まっている感じ。生活の中にごくごく自然に競輪という要素も混じり合っているので、素人の読者も自然に小説世界の中で競輪の混じった日常生活に共感を抱けます。賭け事・予想を的中させるということ・必ず勝てる勝負を待つという姿勢…。競輪に限らず、人生全般や生活の中のちょっとした物事についてまで応用できそうな教訓や心構えを示唆してくれます。とはいえけっして堅苦しくなく、適度に滑稽で可笑しく悲しく、短編らしいサプライズも散りばめてあって、ハッとさせられたりじんわり来たり。“やっぱり男の世界なのかな?”と「誤解」していたのですが、理知的で達観した“お嬢さん”が、仙人のような博聖に褒められる一編には心底感服いたしました。