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号泣する準備はできていた
号泣する準備はできていた
【新潮社】
江國香織
定価 1,470円(税込)
2003/11
ISBN-4103808063
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  川合 泉
  評価:B
   短編集を簡潔に説明することはとても難しいことだと思う。だが、この本に巻かれている「濃密な恋と、絶望、そして優雅な立ち直り方」という帯は絶品だ。まさに、12話全てにおいて当てはまるテーマを的確に書き出している。全ての短編にせつなさが漂っている。だからといって、希望がないわけではない。私のお薦めは、17歳の初恋の思い出を綴る「じゃこじゃこのビスケット」と、不倫の末結ばれた二人の、その後に待つものを書いた「そこなう」。じゃこじゃこのビスケットという作者の感性はうまい。恋に不器用な主人公の心中を上手く言い当てている。一編一編は二十ページ程度ととても短いのだが、読み終わった後も後をひく、高級なワインのような一冊。○

 
  桑島 まさき
  評価:B
   たとえばある恋愛について描いた物語でも、言葉ひとつ変えるだけで、それは全く違う〈恋愛〉になる。我々が「それは○○さ」と短絡的な言葉でかたづけてしまう価値観があてはまらないのが、その人だけの〈恋愛〉だ。
 12の短篇集を収録した本書の中の〈恋愛〉は、よくある物語のようでいて、実はそうではない。主人公が体現する恋の切なさ、悲しさ、喜び、恍惚感、不安…を作者は手垢のついた言葉や感情で終わらせないように、細心の注意を払い言葉を紡いでいく。あたかも恋する者たちに敬意を払うように。少なくとも私にはそう思えた。すぐ読み終えることのできる短篇集なのに、なぜかゆっくりと味わい、主人公の感情に同化したい気にさせられる。なかでも専業主婦の日常の断片を描いた「こまつま」は、なんともいとおしく、その孤独や誇りまでもがいじらしく思えてくる。
 全作品に通底しているのは、愛すれど人は孤独であり、恋を〈喪失〉した時にのみ孤独を感じるのではなく、恋を〈所有〉している時も孤独と無縁ではない、というはかなさ。だからこそ、人は皆、号泣する準備を知らぬまにしているのだろう。本当に知らぬまに…。

 
  藤井 貴志
  評価:C
   ドラマや映画は大作化が進んでいるという。なるほど番組表には2時間ドラマが増え、3時間を超す映画も珍しくなくなってきた。年末年始の12時間ドラマが大好きな僕としては、これは喜ばしい傾向だ。ただし、こうした大作と向かい合うには、それ相応の“覚悟”が必要になる。物語の複雑な設定を理解しつつ、幾重にも張り巡らされた伏線を追いかけるのは生易しいことではない。結果「大作はときどきが美味しい」と思うようになった。
本書はさながらショートムービー集のような一冊だ。12編の物語はいずれも短編だが、いたずらに物語の背景を複雑にすることなく、登場人物を最低限に絞り込むことで、短い中で十分に細かな描写がなされている。短編にありがちな「あれ、ここでもう終わり?」といった感じもしない。続けざまに読むと、作者の“クセ”というか、好みの“ツボ”のようなものも見えてきて楽しい。大作や長編で疲れた頭と身体にはとっても嬉しい作品。

 
  古幡 瑞穂
  評価:B
   出てくる人は40歳前後の女性。独身だったり、離婚経験者だったり、主婦だったり立場は様々だけれどほとんどの人が、幸せと不幸せを表裏に貼り合わせたような気持ちで日々を送っています。でも私が読んで思ったのは、その「不幸せ」な感じってのは、もしかしたら単なる倦怠感とか退屈感なのではないのだろうかということでした。短編集なので話によって抱く印象は違いますが、そんな感覚を強く持ちました。仕事でくたくたになった日に読んでしまったりすると「充分幸せなんだから贅沢言ってるんじゃない!」と一言意見してやりたくなったりもします。
 そんなわけで、正直いうと生活感が違いすぎてあんまり共感するところがなかったのです。それでもこの人の小説に惹かれてしまうのは、幼少期のほわほわした感覚を思い出させてくれる文章があちこちに散らばっているからなのでしょう。

 
  松井 ゆかり
  評価:B
   江國香織さんの書かれるものはよく読んでいるが、いつもほんの少し気が重くなる。「主人公がもっと素直になればいいのに」とか「こんな男に夢中になってないで頭を冷やせばいいのに」とかのダイレクトな感想による場合ももちろんあるのだが、それだけではない。どちらかというと、登場人物たちがふとした瞬間にみせる頑なな言動や行動に対して感じるものだ。
 例えば、「熱帯夜」の主人公千花は、自分が相手をどれほど深く愛しているかを伝えようとして、自分たちふたり以外の人間が死んでしまえばいいと言う。「私たちの親兄弟も、友だちも、陽子ちゃんも、ここのマスターも、あっちに坐ってるお客さんも、浅井家一家も、みんな」。こういう言い方をする人ってちょっと苦手だなと思ってしまう。
 江國作品の主人公たち(エッセイにおいては江國さんご本人)は、「これだけはゆずれない」という芯のようなものを持つ点で、みな似通っているように思われる。その頑なさに触れるたび、かすかに眉根が寄るのだけれども、結局また江國さんの本を手に取ってしまう。結局好きなんですよね。

 
  松田 美樹
  評価:B
   ちょっとした人生の場面を切り取った短編集。初めてのデートで海に行った話や、離婚を決めた夫婦が夫の実家に離婚を隠して遊びに行った時の話などが収められています。
 ここには美しい日本語がある、と江國香織の本を読むと感じます。何が言いたいのかを全て理解できているとは思えない彼女の作品ですが、何故か心地よくて惹かれてしまいます。何だろう? 生臭い感じが全然しなくて、下品になりがちなエピソードも彼女にかかるときれいな透明感のある水のように思えます。セックスのことなんかも結構出てきますが、いいのか悪いのかは別にして、いやらしさは全然ありません。表題作にも、「同胞にめぐりあった」と思えた男とのセックスシーンが書かれていますが、いやらしさを全部抽出してしまったような感じしか受けませんでした。

 
  三浦 英崇
  評価:E
   私が中高生の頃、部活で天体観測をしている時のBGMはたいてい、中島みゆきでした。当時(1980年代)の中島みゆき作品と言えば、別離の悲哀を時に力強く、時に切々と歌い上げる、はっきり言えば真っ暗な歌詞が多かったです。
 この作品群を読んでいて思い出したのは、かつての中島みゆきが歌っていた、聞く者を沈み込ませずにはいられない情念のほの暗さでした。それはたぶん、主人公達が皆、恋や愛の不確かさに悩み、もがいている女性だという点からの連想だと思います。
 ただ、歌を聴いている時との最大の違いは、いったん沈み込んだ後に、揺り返しとして現れるカタルシスが、この作品群には感じられないことです。確かに、歌詞と小説という違いはあるでしょうが、その違いを差し引いたとしても、各所に散見される表現のぎこちなさがどうにも気になってしまいました。もう少し、何とかならなかったのでしょうか。