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勝手に目利き
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男坂
男坂
【文藝春秋】
志水辰夫
定価 1,600円(税込)
2003/12
ISBN-416322470X
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  川合 泉
  評価:B
   七作どの作品にも男の哀愁がジワリと滲んでおり、「男坂」という題名がぴったりと合っている。中年の男性を主人公にした短編というのは、あまり読んだことがなかったのだが、逆に新鮮でよかった。「扇風機」は淡々とした調子で、日常の風景が書かれており、すっと頭の中を通っていく感覚で最後まで読めた。「再会」は、会いたくなかった昔の知り合いに偶然出会ってしまい、平凡だった生活に危機が訪れるという展開ながら、ラストが嬉しくなる終わり方で、お薦め。「あかねの客」も「再会」を思わせる物語の運び方で、これもまた、読み終わった後に、ホッとなれる一品。全ての作品において、何気ない日常に起きた、ちょっとした波乱に対する一人一人の心の動きというものが丁寧に描かれている。特に40代、50代の男性に読んでもらいたい一冊。

 
  桑島 まさき
  評価:B
   男の小説だ。殆どが男が主人公、女は添えもの、男の視点から描いた、男たちへ送る作品だ。それも皆、過去を引きずった曰くありげな男たちばかり。ちょっと世間からはみ出していて、いい暮らし振りとは思えない。しかし、皆、義理人情に厚くいいヤツばかりだ。
 たとえば「再会」に出てくる主人公を恐喝する男は、金をせびっているが愛する女を思い、寝取られて胸のうちは煮えくりかえるほど主人公を憎んでいるはずなのに、女の幸福のために離婚届をそっと主人公に差し出したりする。これぞ男の中の男ではないか!「あかねの客」には、自分の死んだ姉が偶然にも巻き添えにして死なせてしまった男の妻に、その真相を話す義理難い男が登場する。
 かつての仁侠映画で菅原文太が演じてきた、ケンカ早くて法をおかすワルばかりするのだが根はいいヤツで、義理人情をモットーとし、荒ぶる闘争心で渡世をわたり、命がけで女を愛し守ってきたように、本作に登場する男たちは、皆カッコいい。

 
  藤井 貴志
  評価:B
   「内臓をこすり合わせるほど」という言い方がある。人と接する際のコミュニケーションの深さ・密度を表現した言い回しだが、僕らの日常は、単に“すれ違うだけの関係”で終わってしまうことも少なくない。とりわけ日常の仕事においては、人との出逢いを疎かにしがちだ。本書を読んで、どんなに些細なコミュニケーションでも自分の人生にとって大切な何かが残せることに改めて気づかされた。
7編の短編からなる本書は、様々なきっかけで出逢った人々の「人生のこすり合わせ」である。しかし一見しても「人生をこすり合わせている」ようには見えない。他人同士、距離感を保ちつつ、恐る恐る相手の心の内を探り合っている。しかし、だからこそ、互いのことをよく知らないために思いめぐらせる相手の人生や、そこにある苦悩、悲しみが巧みに描かれていて、それがじんじんと伝わってくる。
本書で描かれている出逢いは、やがて“別れ”が来ることを感じさせる悲しさに満ちており、そこもいい。小さな出逢いで人間としての“縁(えにし)”を結べる、そんな出逢いの“芽”を大切にしなければいけないと強く感じる1冊。

 
  古幡 瑞穂
  評価:B
   淡々とした毎日が過ぎ去っていくなかで、ひととき過去を思い出したり、人と邂逅したりする。これがきっかけで事件が起こったり、人生が変わったりしていくというのが物語の定番のパターン。ところが、ここに集められた短編のほとんどは、何かあったあと、また淡々とした日常が続いていくのを予感させて物語の幕を下ろすのです。
 とはいえ、なんにも変化がなかったわけではなくて、気がつくと、掛け違っていたボタンがちゃんと元に戻っていたりするような、そんなさりげなくも大事な変化が見られます。ささやかだけれど今まで生きてきた日々の証がそれによって確認されるようなそんな不思議な気持ちになる物語。
 タイトルそのままに、男臭さが漂ってくる作品なのだけど、いろんな事があったけど着実に生を重ねてきたという重みを感じます。こういうリアルさというか、確かさってたまに触れるとなんだかすごく安心しますね。

 
  松井 ゆかり
  評価:B
   課題図書というきっかけでもなかったら、なかなか自分からは手を伸ばさないタイプの本だ。が、これが思った以上に味わいのある短編集であった。余分な飾り気のない文章がしみじみとした余韻を残す。人生も中盤もしくは終盤にさしかかった登場人物たちは、それぞれに悩みや傷を抱えている。もう残りの人生においてそれほど心躍るような出来事が起こることなど期待してはいないと思われる人々だ。
 もちろん、10代の頃に読んでも20代の頃に読んでも感銘を受ける類いの小説だと思う。しかし、30代も半ばを過ぎた自分にとっては“切実”という感覚に近いものがある。これが40代50代…と再読していくと“痛切”の域に達するのだろうか。
 でもなんで「男坂」なのかなあ(同名の短編は収録されておらず)。女の人が主人公の話もあるのに。それと、ちょっと装丁がしゃれ過ぎていないか。もっと素朴な感じでもよかったのじゃないだろうか。

 
  松田 美樹
  評価:AA
   ごめんなさい! 先に謝ってしまいます。正直に言って、志水辰夫って中年の男性が読んで面白いと思う(共感する)作家なんだと思っていました。ずいぶん前に読んだ「いまひとたびの」が評判は良かったのに、私にはちっともピンとこなくて、褒めちぎっていたのが中年男性だったことがその理由(我ながら単純だ)。でも、今回久しぶりに読んでみて反省しました。上手いです。面白かったです。力のある作家さんです。大変失礼致しました。どこがそんなにすごいかって言うと、どこもここも全てが上手いんですが、例えば、出だし。作品の1つ「再会」はこんな一文で始まります。「クリーナーを使っていたので床しか見ていなかった」。最初っから、何なに!? 何が始まるのって引き込まれてしまいます。さり気なく進んで行くストーリーなのに、どんどん心を持っていかれてしまいました。ぜひ国語の教科書に載せてほしい!、そんな気持ちになった上等な作品集です。

 
  三浦 英崇
  評価:C
   2ヶ月前の課題図書「根府川へ」(岡本敬三)が、人生の黄昏時を目の前にして、ある種の諦観に達した男たちの姿を描いているのに対し、この作品群の男たちは、似たような年格好なのに、随分と往生際が悪いように見えます。遠い昔に犯した罪や、捨てたはずの故郷、挫折した過去。さまざまなものに追われるかのように生きてきた男たちの夕暮れは、諦観の境地からは程遠いものです。
 とは言え、枯れているからいい、枯れてないから悪い、なんていう判断は、他者が外から見ただけの上っ面に過ぎない訳で、当人たちにとってみれば大きなお世話です。「根府川へ」の人たちも、この作品群の人たちも、作品内で与えられた人生を存分に生きた結果、それぞれの岐路に立たされているんですし。
 この作品群だけでも、人生の機微は十分満喫できますが、ためしに「根府川へ」と対比して読んでみたりすると、より奥深い読書になるかと思います。