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勝手に目利き
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銀杏坂
銀杏坂
【光文社文庫】
松尾由美
定価 600円(税込)
2004/1
ISBN-4334736157

  岩井 麻衣子
  評価:A
   北陸の古都・香坂市が舞台。中央署刑事・木崎を中心に繰り広げられる5編からなる連作ミステリー。幽霊、予知夢、生き霊、サイコキネシスとおよそ警察捜査とは何の縁もないようなオカルトな事件が次々と発生する。
 様々な超常現象がおこるが、その超常現象を生む人々の心がせつない。人間関係のなかで幻を生む人々の複雑な思いが、ページをめくる指先から体にしみこんでくる。割と攻撃的な性格で、日々とげとげしく過ごしてしまいがちな私も、しばらくの間ほんわか気分に浸ることができた。人間関係にお疲れ気味の方は、架空の都市である香坂市をのんびりと散歩し、木崎刑事と共に幻を見てみる旅はいかがだろう。温泉につかっているようなほっこりした幸せ気分になること間違いなしである。

  斉藤 明暢
  評価:AA
   何かが足りないという思いがあるからこそ、何かが生まれてくるのだろうか。
年相応にくたびれた中年刑事・木崎が、なぜか幽霊や生き霊や超能力の関係した事件や出来事にかかわりあうことから始まるいくつかの物語は、どれも穏やかで、淡々している。
なにか大切なものを失っている気がするけど、それが何なのかはわからない。たとえわかっていても、自分で受け入れることができない、受け入れているはずの自分を認められない。そんな登場人物たちは、寂しいような、哀しいような、それでいてどこか可笑しいような存在だ。そして、多分それは読んでいる自分自身の一面でもあるのだろう。
読み終わった時に、なぜか寂しいような、哀しいような笑顔をしているらしい自分に気がついた時は、ちょっと恥ずかしかった。

  竹本 紗梨
  評価:B+
   架空の街「香坂」を舞台にした連作ミステリ。静かな古都でところどころ空間がひずみ、どこかこの世ならぬ空間とつながっているかのような、予知夢や幽霊、生霊にまつわる事件が起こる、もしくは起きかける。実は、途中までは胸がすんとするような切ない気持ちにはなりつつも、読みやすさが先に出た印象だった。最終作の「山上記」が秀逸。事件を解決するために一生懸命に動いた主人公の刑事とそのそれぞれの事件が一本につながるのだ。その瞬間の、周りの空気が一瞬ゆがむような感覚を味わってもらいたい。そこから最後まで読み進めながら、気持ちは上の空だった。自分でも自覚していなかった感情や、失ってきたものに思いを馳せて、それでも大丈夫なはずだと自分に言い聞かせていた。

  平野 敬三
  評価:BB
   人は「失う」ということをある時は悲しみ、ある時はさみしく思い、そしてある時は恐れる。それは大切なものや人だったり、場合によっては形のない何かということもあるだろう。それゆえに「喪失」をテーマにした物語は古今東西、数え切れないほど存在してきた。本書は連作ミステリーという形を取りながら、本質的には、「失うこと」を恐れ悲しみ、さみしさに飲み込まれそうになりながら、それを受け入れ再生していく人たちの物語だ。つらいことから目をそらすために生まれたのが幻だと鋭い視線を向けながら、しかしそれがなんだというのかそれでいいではないか、と自然な笑顔で包み込んでくれるやさしさがここにはある。重松清が書けばもっと俺好みのぼろぼろに泣ける小説になっただろうな、と思いつつ、ここで寸止めするのが著者の味だということも納得した。奇々怪々な出来事を、京極夏彦などとはまた別の方向へ着地させた著者の世界観にとても好感を持ちました。

  藤本 有紀
  評価:B−
   ミステリーファンの皆さん、はじめまして。私が中学時代の一時期赤川次郎にはまり、それ以来ほとんど日本人作家のミステリーを読まなくなってしまった藤本です。読書熱というのもけっこう冷めやすいもので、あまり集中してひとりの作家の作品を読んでしまうと(新刊を次々出す作家ほど集中の度合いも激しいものだし)やっぱり飽きる。でしょう?
 そのとき以来純文専門で15年ぐらいたちましたが、久々のミステリー「銀杏坂」で感じが掴めたように思います。ミステリーの醍醐味は登場人物のキャラにある、と。トリックやなぞ解きはさておき、キャラの立った人物が不可欠であると思うのです。本書では、主人公の“はぐれ刑事”藤田まこと風ベテラン刑事木崎を差し置き、相棒役吉村刑事のキャラがいい。
 各編タイトルが美しく、装丁もきれいです。文庫とはいえ美しい本は読書のたのしみを増します。

  和田 啓
  評価:C
   不思議な感覚の作品である。全編を通じて妖しく、湿潤を帯び、とらえどころがない。北陸の地方都市が舞台である。登場人物は市井に生きるごく普通の人々。そんな中、事件は起こる。ここで謎解きの鍵に、霊的な存在が当たり前のように出現してくる。幽霊である。もちろん理性も手際よく作品中に入っているのだが、この世のものと思われない事象が、現実感の中に分け入ってきて絶妙な余韻を残すのだ。あとは作品を読んでいただきたい。生活下に隠れた人間の情感は、どこかもうひとつの世界と地下水路でつながっているのかもしれない。そう、この世の中には手で掴めないものがたくさん存在している。