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勝手に目利き
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子供の眼
子供の眼(上・下)
【新潮文庫】
R・N・パタースン
定価 (上)940円(税込)
定価 (下)900円(税込)
2004/2

ISBN-4102160132
ISBN-4102160140
(上)
(下)

  岩井 麻衣子
  評価:A
   本を閉じた瞬間に「読んだ〜」と叫んでしまいそうな重厚なる一品。世界で一番嫌な人間・リッチーが殺された。警察はリッチーの妻テリの現在の恋人クリスを逮捕する。無実を主張するクリスは敏腕弁護士キャロラインと共に陪審員の心をつかみ無罪を勝ち取れるのか。裁判での緊迫感には震えがくる。評決書読み上げるくだりでは右ページのその部分を全て読まないうちに、クリスの運命を決定する左ページへ視線を飛ばしそうな誘惑がわき上がり、押さえるのに必死だった。生死に関係なく他人に迷惑をかける男・リッチー。夫と娘の親権争いの最中にも関わらず、実母に娘を預け恋人とバカンスに出かけてしまうテリ。金持ちで性格も良いスーパー弁護士ではあるが、何やら隠しているらしいクリス。身勝手な大人に翻弄される子供達がとても切ない。本書の登場人物が活躍する前作が2冊ある。本書が初めてでも特に問題なく楽しめるが、その心理描写を十分に楽しむには一連して読む必要があるように思った。

  斉藤 明暢
  評価:A
   法廷サスペンスを読むというのは、先入観たっぷりの陪審員になるようなものだ。そのくせ被告が有罪かどうか、最初からわかっているつもりでいても、作中の陪審員と同じように裁判の中では揺れ動いてしまったりもする。
法の専門家も含めて、事実らしきことと、自分がそうあって欲しいと思う筋書きとを、はっきり区別して判断できる人がどれだけいるだろう。陪審員制度というものは、事実の積み重ねよりも法廷での印象によって判決が左右されるものではないのか、と考えるとちょっと恐ろしい。
そして、この殺人事件の被害者は最低の卑劣なクズ野郎で、死んだ後でも皆がそれぞれに傷を残され、苦しむことを強いられている。そんな奴の裁判でも事実の追求はきっちり行われて審判される、というならまだしも、事実は隠され歪曲され誇張され選り分けられてやりとりされる駆け引きの材料でしかないのだ。
本物も含めて、現代の裁判劇に正義とか爽快感とかを求めるのは、難しい願いなんだろうか。

  竹本 紗梨
  評価:A-
   妻にたかり、娘を利用する。関わってきた人、そして自分さえも騙しつづけて生きてきたリカード・エイリアスが死んだ。自殺か他殺か、容疑者は妻かその恋人か、その恋人を陥れようとしている政治家か?下巻からの検事と弁護士の息詰まる攻防戦のせいで、久しぶりの徹夜になってしまった。何よりも驚いたのは、裁判には真実は必要ないこと。陪審員が出した答えが真実になってしまうのだ。真実が作られたものだけに、ラストまで読み進めてもすっきりと飲み込めない部分は多い。ただ、これだけの長編を読む価値があるシーンが二箇所あった。「超一流の」弁護士キャロラインがこう感じる公判中のワンシーン。「公判のさなかには、永遠に生きられるような気がする」(リカードの娘の担任教師への尋問)そして「弁護士の仕事が、心底好きに思える日がある」(新聞記者への尋問)。思いっきりスッキリするし、誰かにこんな論法を試してみたくなる。

  平野 敬三
  評価:A
   法廷での相次ぐ逆転劇で手に汗握らせ続ける、非常に高性能なエンターテインメント小説である。と同時に、いくつも折り重なる「親子の悲劇と再生」を、驚くほど静かな視点でとらえた家族小説でもある。その異なる要素の融合がこの作品の特徴と言える。が、一読してすぐに分かるのは、どう考えてもこの作家、「エンターテインメントの人」だということだ。字面に目が釘付けのスリリングな法廷シーンを読み終えた後では、後半のもうひとつの山場であるはずの親子の物語が正直、かったるい。いや、法廷でのあまりに見事なカタルシスの後では何を読まされてもかったるく感じるだろう。濃密な人間模様をあれほど真摯に描きながら、「面白い!」の要素が勝ってしまう小説というのも考えてみればすごい。裁判とか反対尋問とか陪審員選びとか、そういう複雑で煩わしそうな、それでいて白黒はっきり結果が出るものより、人と人の愛憎の揺れ動きとか親子の機微とかそういう微妙で曖昧なものを本来は好む僕にとっては、価値観をどーんとひっくり返された気分である。悪役があまりに悪役しすぎてそこがちょっと難点だが、リーガル・サスペンスと聞いて「そういうのはちょっと……」という人にもオススメできる傑作だ。

  和田 啓
  評価:AA
   聴覚はとても敏感だ。寝ているときでも耳は起きている。少女が音に気付き深夜に眼を覚ます。ママを探しにベッドから降り、階段を下りる。いつもいるはずのところに母はいない。忍び足で音のする方へ歩く。かすかに光が差すドアの隙間から彼女は目撃する……
 離婚、幼児虐待、近親相姦あげくその連鎖まで、文明大国アメリカの実相を丁寧に描いている。しかし本題はそこにはない。偶発的に負の部分を背負わざるを得なかった人たちが、人生を肯定し宿命を乗り越え、より強靭に自分の人生を選び築く意志にこの小説の存在価値はある。
 あまりにも精緻で過不足ない筆者の文章力は並みの才能ではない。手に汗握る法廷劇の中、ひとりひとりの心情を状況によって的確に活写する力量はどうだ。まして愛しあう男と女が、愛しあうゆえ疑いそして赦しあうデリケートな心情描写に至ってはもはや名人芸である。
 原作以上にこの作品を輝かせたのは訳者の功績。抑制を効かせた美しい日本語に何度唸らされたことだろうか。