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雷桜
雷桜
【角川文庫】
宇江佐真理
定価 580円(税込)
2004/2
ISBN-404373901X

  岩井 麻衣子
  評価:AA
   雷桜(らいおう)は雷が落ちて折れた銀杏に芽をつけたという、半分は銀杏、半分は桜という樹のことである。銀杏と桜という別種のものが、雷をなかだちに出会い、一つのものとなる。しかし決してどちらかに飲み込まれはしない。本書はその雷桜のような、男女の出会いと別れの恋物語りである。初節句に誘拐され、十年以上も山で育てられた後、ある日ひょっこり村に戻ってきた遊。徳川将軍・家斉の17男で気の病いに悩まされていた清水家の当主・斉道。二人は遊の兄が斉道に仕えたことが縁で人生のほんの一瞬を共に過ごす。人間社会という檻ではなく、山に育てられた遊の奔放な一挙一動が、気持ちのいいほど潔い雰囲気を漂わせる。それに加えて少女らしい一途な恋心にホロリとさせられてしまう。今年は桜を見たら泣いてしまうかもしれない。いつまでも切ない思いが込み上げてくる、そんな極上の物語である。

  平野 敬三
  評価:A
   読み終えてからもなお、強く強く心に残りつづける物語だ。時代小説という「制約」を見事に活かした上質なラブストーリーであり、男と女が互いに「埋め合う」ということの美しさと切なさを見事に描き切った傑作である。男女の間だけではない様々な「愛情」を何気ない一コマに浮かび上がらせていく作者の力量と美学に心から敬服した。一種の成長小説としても読めるが、主人公が欠点を克服して立派な人間になっていくのではなく、欠点はそのまま抱えながらそれでも凛と生き続けていく姿が感動を呼ぶ。ラスト近くで助三郎が口にする「育てたのは瀬田の祖母と瀬田の母だ。おんばはおれを産んだだけだ」という一言は実に象徴的だ。このような台詞が子から母への非難として響かず、反対に母子の絆をしみじみと感じさせるのだから並みの小説ではない。今月一番の収穫。

  藤川 佳子
  評価:B
   赤ん坊の時に誘拐され、15年間山奧で男のように育てられた豪農の娘と心が病んでる殿様との恋…、と聞いただけでときめいてしまいます。狼女と呼ばれるほど男勝りな主人公・遊と徳川の血を受け継ぐ斉道との恋、そしてなぜ遊は15年前にさらわれたのかという謎が「桜(雷桜)」を鍵として展開していきます。二人の恋の幸せな時間も、桜のようにはかなく散っていき…。
春に桜にちなんだ本を読む。風流じゃないですか。季節にちなんだ本を読むというのも乙なもんです。またひとつ、読書の楽しみ方を覚えてしまいました。
本文は良かったのですが、解説を読んでテンションが下がってしまったのでB。

  藤本 有紀
  評価:A
   時代小説には特別な読解力が必要なんじゃないかと敬遠していた人に朗報。この小説を読むのに経験は必要ない。「かどわかし」が分かればオーケー、もし分からなくても分かるようなるので読んでみるといい。
 数年前私は、時代・歴史小説フェアなるもののオビに乗せられ宮部みゆきの時代小説を買ってみたことがある。大ヒット作だしみんな大好きな作家なのに思っていたほどエンジョイできなかったのは、どうやら経験不足のせいだった。玄人好みの作品から入ってしまったというところである。それはそれで納得の読書体験であり、私自身は教訓を得たのでよかった。だが、本書で時代小説と出会った人は確実に幸せだ、とそういうふうにも思うのである。
 身分違いの恋愛という、源氏物語の昔から日本人が脈々と愛してきたストーリーが、マニアックでない文章でつづられている。ヒロイン遊の清々しさに毒を抜かれた気分になるだろう。

  和田 啓
  評価:A
   胸が清々し、心洗われる名品である。幾層にも織り込まれた美しい物語が、読者を夢幻の境地へと誘(いざな)ってくれる。
 時は江戸徳川時代。山間の瀬田村では庄屋の一人娘・遊が生後まもなく蒸発する。次兄は江戸で、御三卿清水家当主・斉道に仕える道を選ぶ。この10代の殿様が厄介者。好色一代男にして癇癪、狼藉、発狂寸前と絵に描いたようなバカ殿なのである。数年経ったある日、野生児のような雰囲気を持った遊が突如、帰宅する。そして数奇な運命に手繰り寄せられるように、斉道と遊は出逢うのだ。
 瀬田山の自然を背景とした描写が素晴らしい。雷桜がある千畳敷、天女池。太古の趣がある広大な樹海、断崖と森に囲まれた沢。藍を溶かしたような闇があり、秋には紅葉の洞窟が点在する。そんな環境で育った女を通じて、都会のお坊ちゃんが精神的に裸になって一人の男に成長していくのである。
 桐野夏生や東野圭吾作品とは対照的な作風だ。登場人物は潔く、単純であるがゆえに強い。余談であるが先日、筆者の郷里函館をたまたま訪れた。五稜郭公園を中心として、薄桃色の毛氈を敷いたような清澄な桜の世界がじきに繰り広げられるに違いない。