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豪雨の前兆
豪雨の前兆
【文春文庫】
関川夏央
定価 550円(税込)
2004/2

ISBN-4167519097

  岩井 麻衣子
  評価:C
   すでにこの世にいない人ではあるが、彼らの作品を読むと、まるで身近にいるように感じられる。本書は著者・関川夏央氏が、明治から昭和、現代に生きた今は亡き文豪たちによせる感傷あふれるエッセイである。あとがきにもあるが、関川氏は亡くなった人が大好きらしい。本書も死んだ人たちへの思いがひしひしと伝わってくる。しかし、私にはどうにも共感できる部分が少なかった。これは、文豪たちの作品を通し、彼らの姿・日常が見えていないためだろう。私のアンテナがピタリとあったのは、西原理恵子、田中康夫という本書のなかで珍しく生きてる人間に対するところのみだった。「古きよき時代」や、リクライニングのできない座席でのんびりと旅行する雰囲気が好きな人には、作者と共に過去に思いを馳せ、楽しめる一冊になるだろう。

  竹本 紗梨
  評価:A
   短いエッセイなのに静かに雨が降り続いているような重い文章だ。文豪達の作品を引いて、その作家の生涯をなぞっていく。本を開いている時間は、その場所に自分も立っているような気持ちなる。死者がこの本の中では脈々と生き続けているのだ。長い伝記でも出来ないことをこの量のエッセイで実現できる筆力はさすが。書く対象への入り込みと、反対に対象になりえないものの切り捨ての対比が鮮やか。「私はどちらかというと厭世的なタイプだから、泣き言をいいたがる。聞いてくれる人がいなければ、もっと泣く」とはあとがきの言葉だが、その心情をこれだけさらけ出し、読み物として質の高い作品になっている。

  藤本 有紀
  評価:A
   死んだ人、既になくなったものを思い出したり顧みたりすることを肯定してくれる本。年中来し方を振り返りながら生きている人は、後ろ向きの性格をちょっと恥じたり隠していたりするところがあるのではないかと思う。前向きは善でありポジティブ、後ろ向きがネガティブで悪いことと思うのは、錯覚だと気付く。
 このことは1部「操車場から響く音」が最も感覚的に訴えてくるようだ。'50年代に大阪東京間を走っていた特急「はと」運行最後の日、毎日「はと」に手を振っていた沿線の結核療養所の患者たちが「ごきげんよう はと」と書いた横断幕を掲げ別れを惜しんだという挿話がある。特急に「はと」と名付ける牧歌的な感覚も「ごきげんよう」の自然で美しい響きも、既に失われたもの。(現在「ごきげんよう」なんていえばきどっているみたいに聞こえる)。エピソードを選りすぐる著者の、昔日への愛着ぶり、シニカルになり過ぎず、つまらな過ぎず、平易過ぎない文章はさすがだ。表紙のデザインは、今月の10冊の中で一番好き。愛蔵したい一冊。

  和田 啓
  評価:A
   若いときから関川は世界を放浪してきた。むちゃくちゃ本を読み、自分と世界を客観視させ考え捉え、自己と世界観を確立してきた。文章はやたら上手く物知りで、ときに感傷的で稀代の皮肉屋でもある。こういう人と街で会うとどうなるのだろう。野球場でも呑み屋でも銭湯でもいい、隣合った関川さんのような人と何かで口論になり、なまじ浅薄で半可通な知識を思い知らされ、冷や汗をかかせられる。子供にも情け容赦しない人だろう。将棋の腕に自信のある子供がたまたま関川さんのような人と一局やることになる。手加減しないので初めて体験する戦況の悪さに子供は肝をつぶすはずである。
 明治時代の日本に生まれた近代的風景観の確立とか、自己と風景の客観化というものにこの人は心を砕いてきた。本書でも明治から昭和への時の移り変わりと自分史とを重ねて描いている。筆は自由自在。幼少時代の汽笛の音を聴かせ、遥か遠ざかっていく明治の幻影を見せる。関川は時を旅している。忘れかけた当時の日本人が持っていた匂いや音を記憶から蘇らせる。そういったものを文学的に情感豊かに描くから嫌いになれない。漱石の息づかいや須賀敦子の声をわたしは確かに聴いた。
関川さんのような人と日本を離れた夜のブエノスアイレス辺りでいつか会ってみたい気がする。