年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

鳥類学者のファンタジア

鳥類学者のファンタジア
【集英社文庫】
奥泉光
定価 1,300円(税込)
2004/4
ISBN-408747688X


  岩井 麻衣子
  評価:C
   雑居ビルの地下にあるジャズ喫茶の専属ピアニスト希梨子。オリジナル曲 ”フォギーズ・ムード”を久々に弾いた日、以前から幽霊かもと感じていた柱の人影に対面する。「キリコ」だと名乗る女性は「オルフェウスの音階」という言葉を残して消えてしまう。30後半にもなって実家で親の世話になり、パンツも自分で洗わないオンナである希梨子の冒険らしく、大胆な行動があるわけでもなく、ゆるく物語は過ぎていく。また、はっきりとした12音を持つピアノの音階と数学・天文学を結びつけ、難しい言葉が登場するが、言葉以上の説明があるわけではない。現実と虚構が入り交じった世界観は素晴らしいが、自分つっこみが多すぎてうんざり。希梨子のイメージにはあう文章だが、どうもきれが悪く、語りが北の国からの純君にだぶって、文末に「〜なわけで、父さん・・ボクは、ボクは」フレーズが流れて大変だった。奥泉調の好きな人は楽しめるだろう。うだつのあがらない30女のファンタジーが異色。

  竹本 紗梨
  評価:B+
   分厚い!重い!だけどなんとか読み進んでいける。それは主人公フォギーのアバウトさのおかげ。いい年をして、今さら自分の音楽に悩み始めたジャズピアニストのフォギー(ちなみに日本人)は演奏中に側で聞いている誰かの気配を感じる。そこから怒涛の勢いで彼女の大旅行が始まるのだ。それにしても、なんというか…動じなさ過ぎるだろう。いきなりナチス政権下の奇妙な組織、それも真冬に放り出されても旅は続く。ジャズのことなんて何ひとつ分からなくても、音楽がものすごい勢いで渦を巻く、取り巻くのだ。祖母の霧子とのピリピリしたやりとり、オルフェウスの音階、そんなどこか不安な空気の中、人を食ったような人物描写に和まされる。猫説まで飛び出すジャーナリストの加藤さん。マヌケな描写が続いていた脇岡氏の最後のセリフにはホロリとさせられた「私はこんなふうに熱烈に女性に恋したことがありません。いや、そもそも、私は女性というものを知らないのですよ。そんな私に、こんな曲が歌えるはずがない」。SFなんてよく分からないけれど、このテキトーなフォギーとの長い旅はなかなか悪くない。“弟子”の佐知子ちゃんがまたいい味を出している。マイルス・デイビス。ニューヨーク、ミントンズ・プレイハウス。チャーリー・パーカー…ニューヨークでのラストに近いワンシーンはジャズファンでなくてもぐっと引き込まれる。

  平野 敬三
  評価:B+
   1990年代の英ロック・シーンを席巻したストーン・ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイアは人気絶頂の最中、「90年代はオーディエンスの時代だ」と言った。後のインタビューで、そんな事を言った覚えはないと真顔で語りファンを失望させたが、ジョンの真意はともかくその発言は多くのリスナーの価値観を一変させたことは間違いない。音楽は聞き手との関係においてこそ存在意義を持つのだという考え方は、その後のロック評論にも多大な影響を与えた。ジャンルこそ違うものの、本書の著者もまた、音楽を語るということは音楽と聞き手との関係性を語るということである、ということに自覚的な書き手である。鳴らされている音そのものを語るだけではその音楽を語ったことにはならない。そんな思いが随所にあふれている。ここに書かれているのはジャズについてのあれこれだが、僕は奥泉氏の音楽観に大いに共感し、熱狂し、刺激された。小説としての魅力もさる事ながら、スケールの大きな音楽論としてもたっぷり楽しめる。

  藤川 佳子
  評価:AA
   いやー、イイカンジっすね。今、山下洋輔作曲の「FOGGY'S MOOD」を聞きながらこの原稿を書いているんですけどね、ジャズを知らない私でもしびれてしまいます。「FOG-GY'S MOOD」はこの物語に出てくる「オルフェイスの音階」をもとに山下氏が作曲したものです。物語の主人公でひょんな事から戦時中のドイツに飛んでしまうジャズピアニストのフォギーもなかなかイカした女性なんです。遅読の私にとって、厚さ3センチの文庫本はなかなかハード。けれども、同じ“霧子”という名を持ちピアニストだった祖母を巡るフォギーの旅を、ゆっくりゆっくり楽しみました。普段はテンション低めのすっとぼけキャラなのに、鍵盤の前に座った途端、一心不乱、大胆不敵、粉骨砕身のピアニストに変身してしまうフォギーが、「オルフェウスの音階」に導かれて、やってきてしまった世界とは…。こんなにセンスの良い小説があるなんて、本当に嬉しくなってしまいます。

  和田 啓
  評価:A
   難解な小説だった。これぞ芥川賞作家の作品だと思う。
 ヒロインのピアニストがいて国分寺のジャズ喫茶から幕が上がる。1944年ヒットラーが生きているベルリンにテレポートして祖母に出会う。時代はジャズの革命期。ラストシーンはニューヨークのミントンズ・プレイハウス。時空を超えた冒険を、想像力・該博な知識と教養・類稀なる遊び心でひとりの女の人生を主軸にして物語を紡ぎだしていくその手腕に脱帽する他ない。遊ぶ、遊ぶ、作品の中で自由闊達に登場人物に遊ばせている、さながら主題であるジャズの旋律のように。超絶技巧の筆裁き。みごとなメタ・小説。
 ジャズへの並々ならぬ愛情が全編にほとばしっている。「この世界に廃墟じゃない場所はどこにもなく(中略)……ジャズを聴く人間は孤独である(中略)……きっと、それがジャズだ」の描写に涙、涙、涙。
 ジャズに疎いわたしはまだ半分もこの小説を楽しめてない。さあ、山下洋輔のピアノを聴きに行こうぜ。