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村田エフェンディ滞土録
村田エフェンディ滞土録
【角川書店】
梨木香歩
定価 1,470円(税込)
2004/4
ISBN-4048735136
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  桑島 まさき
  評価:A
   今から百年ほど昔、初めて土耳古(トルコ)に歴史文化研究のために留学した村田の滞在録。1899年の記録から始まる。屋敷の住民は、ドイツ人のオットー、ギリシア人のディミトリス、下宿人の世話をするトルコ人のムハンマド、屋敷の女主人で家政婦の英国人のディクソン夫人、そして鸚鵡。国も民族も文化も年齢も違う友とすごした村田の青春。ほどなく始まる戦争によって、熱く語り合った下宿の仲間たちの国と国とが対立する。滞在していた時から既にその予兆を孕んでいたせいか、村田がそこで育んだ青春はことさら凝縮された夢のように儚く、それでいてしっかりとしたひと時として脳裏に刻まれる。貴重な友情の想い出として。
 帰国後の村田はなんと、前作「家守綺譚」の主人公、綿貫がいる家に身を寄せる。前作では時代がわからなかったが、本作でそれを明かしてみせる。そしてあの「高堂」に会うという設定も梨木ファンには嬉しい限りだ。漢字を多用しているのがレトロ感を与え、カタカナや英字が活字文化にしっかり入り込んでいる現在、妙に懐かしい感じがする。

 
  藤井 貴志
  評価:A
   本書は、およそ100年前に留学した主人公、村田のイスタンブール滞在記。前著『家守綺譚』同様に梨木氏の文章は淡々としているが、それが積み重なることで不思議な味わいが出て病み付きになる。
アジアとヨーロッパの接点、イスタンブールは昔も今も人種の坩堝である。日本人である村田も、下宿の主人のディクソン婦人(英国人)や下働きのムハンマド(トルコ人)、下宿仲間オットー(ドイツ人)やディミトリス(ギリシャ人)といった人種・宗教を異にする人々に囲まれながら過ごしている。習慣や価値観の違いに戸惑いながらも彼らと友情を育んでいく様が、時に爽やかに、時に感動的に描かれている。なかでも、村田が帰国した後に訪れるラストシーンには泣けた。
 物語の設定は『家守綺譚』ともリンクしている。村田は『家守綺譚』の主人公である綿貫と同窓で、綿貫や高堂といった前著の登場人物もさりげなく登場する。ファンにとっては嬉しい配慮だ。中村智氏の挿画も内容にマッチしている。1世紀前のイスタンブールの様子を読みながら、1年前に訪れたかの地の風景がよみがえった。

 
  古幡 瑞穂
  評価:A
   『家守綺譚』を読んだときの100年前の生活に対する静かな感銘がまた蘇ってきました。この外伝的要素もある作品。『家守綺譚』の主人公も後半に登場するんですよ。
 100年前に土耳古に留学した村田くんと、彼が住むアパートの住人たちとの心のふれあい。そしてもちろんなんだか不思議な存在の生き物たちも出てきます。宗教とか、民族とか文化とか他国に行って感じることもあるだろうし、時代ながらの感じ方というものもあるに違いありません。それを梨木さんはまるで見ていたかのように描いています。当たり前にヨーグルトを食べている現代人が「ヨーグルトに接して驚く」ということをあんな風に書けるのってほんとにすごい。土耳古の喧噪も居ながらにして楽しませていただきました。
 時は戦争前。同じ屋根の下に住まっていた若者たちも互いの祖国と戦わなければいけなくなるわけで、悲劇は常に予感されていました。ラストはぐっときます。

 
  松井 ゆかり
  評価:A
   現役の文筆家の中で、梨木香歩以上に美しく誇り高い文章を書く作家を、私は知らない。
「友垣」という言葉をご存じだろうか。本文中でも帯にも使われている語で、「ふるさと」の歌詞「つーつーがーなーしや、とーもーがーきー」の「友垣」だ。垣を結ぶように友情を育むことを指すのだという。この物語は、100年前にトルコへ渡った日本人留学生村田が、下宿先で出会った様々な国から来た人々と主義主張や宗教の違いを越えて友となっていく話だ。
 読む前は、梨木香歩とトルコという異国がうまく結びつかなかった。しかし、違和感は瞬く間に消え去った。梨木さんは、異国の人間や情景を描いているのに、私たちに日本語の持つ美しさを思い出させる。また、日本語で綴られた稀にみる優れた文章でありながら、国籍を越えた思いを描くことができる。
 最終章は涙を拭いながら読んだ。それは、主人公たちの運命に思いを馳せたことと、このような素晴らしい本と出会えたことへの感謝の気持ちからだったと思う。

 
  松田 美樹
  評価:B
   100年前に土耳古(トルコ)に留学した学者・村田の下宿した先は、英国人のディクソン夫人の屋敷。そこには他に、考古学者のオットー(ドイツ人)や発掘物の調査をする研究家・ディミストリス(ギリシャ人)といった国際色豊かな面々が下宿していて、その世話をするムハンマド(トルコ人)と彼に拾われた鸚鵡も一緒に暮らしています。
 育ってきた背景や文化、根底に流れる宗教観などそれぞれ異なるものを持つ登場人物たちですが、彼らの間には静かな友情が交わされ、羨ましいと思いました。同時に、昨今の世界情勢を見ていると、どうして彼らのようにお互いを尊重しながら友情を育むことができないんだろう?とも。そのヒント?になるのか、こんな場面があります。村田は仕事がはかどっていないのにコーヒーをすぐに飲み休憩するといったトルコ人の性質に対して「国民性に関することには、善悪の判断を下さず、ただ驚きあきれるに留めておくことにしている」。
 ただ、だんだんとキナ臭くなる世界の動きに、彼らの国を超えた友情も大きく影響されていきます。ちょっと後半部分はせつない…。

 
  三浦 英崇
  評価:A
   例えば、私が今ここでこうやって書評を上げて、おそらく生涯出会うことも無いだろう貴方がこの書評を読む。互いに意識することもなく結び付けられる、人と人との関係性=「縁」とはまこと、異なもの粋なものですよね。
 この作品は、今から百年の昔、はるばるトルコまで留学した一日本人青年・村田君が、異郷の地で結び付けてきた縁の数々を描いています。慣れぬ土地で、宗教も人種も異なる人々が、たまたまその時、その場所に居合わせたことによって、時に衝突し、時に理解しあおうと努力し、たまに不思議な出来事に遭遇する。偶然によって結ばれた縁は、いつしか友情と化し、離別し、死別したとしても、生きている者の心の中では永遠の絆となる。
 もしかすると、この書評を読んでくれた貴方と、いつか縁があって、友情を築き、絆を結ぶことができたらいいなあ、と思いつつ、今は本の中の村田君に友情を感じています。