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鎮魂歌

鎮魂歌
【ハヤカワ文庫FT】
グレアム・ジョイス
定価 882
円(税込)
2004/5
ISBN-4150203644


  岩井 麻衣子
  評価:B
   妻を不慮の事故でなくしたトム。勤めていた学校でちょっとした問題が起こったこともあり、退職し、亡き妻が訪問を熱望していたイスラエルへと旅立つ。謎の死海文書をトムに押しつける老人、元カノ・シャロンとの関係、幻覚など様々なものに悩まされるトム。シャロンの勧めにより、セラピーに参加したトムは少しずつ妻との関係など自分の心をとり戻す努力をはじめた。キリスト教的知識があまりにも薄いので、主人公トムがどこまでもだめだめ男で、ただ幻覚に悩まされながら右往左往しているだけという印象が強い。おそらく根底に漂っているはずの神秘的、精神論的なものがこちらに伝わりづらいのだ。ただ、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教を宗教としてもつ人々にとって、あの土地は本当に何かを感じるところなのだろうなあと推察できる。宗教的な感覚がわからないと、半分も面白さを感じることができないのではないだろうか。

  斉藤 明暢
  評価:A
   真の主人公はヒゲの巨漢(違うかもしれないけどそんなイメージなのだ)のアフマドのような気がする。やや軟弱な主人公よりは、「自分」ってものを持っている気がする。ちょっとぶっ飛んだ人だけど。
 物語としては、この世ならぬ人の声に導かれる主人公の、成長と救済の物語と言えなくもない。個人的には公開されていない死海文書とキリスト教起源の話が気になるのだが、それは割と軽い扱いで、もっぱら各人物の心の動きを中心に描かれている。物語は全然違うけど、キリスト教起源に関連した話では「イエスのビデオ」が印象に残っている。キリスト教圏では廃れることのないものでありながら、物語であっても安易に結論じみたことは言いにくいネタなのかもしれない。
 物語の登場人物たちの懊悩はもちろん、世界の宗教の教えのかなりの部分が、人が持つ性的欲求との距離をどの位に保つべきか、ということに腐心している。ということは、人が人として生きていく限り、欲望と宗教のタネは尽きないのかもしれない。

  藤川 佳子
  評価:AA
   愛や性や宗教について、とても深く考えさせられた一冊です。物語の舞台となるエルサレムの熱気が字間から行間からムンムンと伝わってきて、ちょっと読んだだけで目眩を起こしてしまいました。荘厳かつスキャンダラス! 
 妻を亡くした主人公が、女友達を訪ねてエルサレムへ赴くところからお話は始まります。亡き妻が死ぬ前に夫婦で行きたいと熱望したエルサレムで、主人公の男性は少しずつ妻の幻(その他もろもろ)に惑わされていきます。キリストにまつわる死海文書も相まって、話は思わぬ展開へ…。キリスト教圏で、今もなお根付き続けるキリストの教えの強さを改めて感じました。
 眠れない熱帯夜に、ぜひ。

  藤本 有紀
  評価:B−
   英国人の教師トムは、妻ケイティーの事故死を境に狂気に悩まされ、教職を辞してエルサレムに赴く。心理カウンセラーをする昔の恋人シャロンに再会するが、かの地でますます現実と夢想の境界が分からなくなっていく。スパイスの香りを濃く漂わせるアラブ人の女と接吻するという幻覚を見て大きな蜜蜂が唇からもぐりこみ口の内側を刺されたりするトムの経験は、どこまでが現実でどこからが幻想なのか、読者は混乱の渦に巻き込まれていくはず。トムも、そして悪霊におびえるアラブ人学者アフマドも、肉欲=罪という考えに囚われ過ぎて狂っていく様が危い。と、ストーリーに沿ったレビューを書いてみたが、本心をを明かすと、3つの宗教の聖地エルサレムの危険な香りのする市街という舞台設定、そしてそのエキゾチズムを味わえるだけで相当に満腹なのです。社会科地図帳にあるエルサレム市街の拡大図に岩のドーム、聖墳墓教会、嘆きの壁を見つけるながら読み進める。これぞ異郷モノの真髄。