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沈黙博物館

沈黙博物館
【ちくま文庫】
小川洋子
定価 714
円(税込)
2004/6
ISBN-4480039635


  岩井 麻衣子
  評価:A
   数枚の着替えと、筆記用具、髭剃りのセット、顕微鏡、二冊の本「博物館学」と「アンネの日記」を入れた小さな旅行鞄を一つもち、僕はその村の駅に降り立った。こんな風にまるでティム・バートンの映画のように始まる本書は最初から最後までその美しい風景が脳裏に浮かぶ。僕はその村の老婆に彼女が生涯かけて集めた「形見」の博物館をつくるように依頼される。老婆の養女である少女と、住み込みの庭師と共に、形見の博物館の準備が粛々とすすめられる。村では残虐な連続殺人事件が起こったり、少女が爆弾テロに巻き込まれたりして、少しも穏やかではないのだが、何故か作品全体に騒々しさはない。それどころか、全く音を感じることもなく物語りは進んでいく。現実と虚構のどちらとも言えない入りまじった世界が交錯するおとぎ話のような美しい物語り。ずーっと息を詰めているため、読了後ながーいため息をついてしまう。なんだか妙に疲れてしまう一冊である。

  竹本 紗梨
  評価:A
   主人公が狂っているかも知れない、それとも主人公を取り巻く人々がみんな狂っているのかもしれない…そんな物語が私は一番怖い。だけどこの物語はそんな浅くはなかった。危うい雰囲気のまま、静寂の中で、均衡を保って世界が成り立っているのだ。鬱蒼とした森の中にある沈黙博物館。毎日老婆に聞き取りをして収蔵した形見のため、人々は構成されていく。老婆の独白が耳についてはなれない。「昔の話は全部忘れた。しかし、皆忘れてしまえば、何もなかったのと同じになる。気がついたときにはもう、私はここにいた。そして今もいる。確かなのはそれだけだ。その間を埋めてくれるのは形見だけである。それで十分じゃ」この人の書く沈黙の世界が好きだ。その暗い世界、小川洋子だけが映し出せるその世界は確実にある。それがどれだけ暗く、寂しく、孤独であっても、その世界は成り立っているし、本の中に迷い込んでしまうことが快楽になる。

  平野 敬三
  評価:AA
   すっかり著者の代表作となった『博士の愛した数式』に負けず劣らずの、とても印象的な作品だ。老婆と少女、主人公の小説内の配置位置が『博士の〜』と対をなす形だが、こちらの方がよりファンタジーに近い。どこかずれている世界を舞台に、生きていること(というより自分が存在していること、と言った方が近いかもしれない)の喜びと哀しみがひっそりとしかし力強く描かれている。主人公と老婆の「友情」、少女と少年の「恋」、村で起こる連続殺人、主人公のお兄さんをめぐる謎。話の骨格はぼんやりぼやけているが、ひとつひとつのエピソードは強烈な印象を残す不思議な物語だ。特に小川節が炸裂しているのが主人公が語る「博物館の魅力」についての言葉の数々。『博士の〜』の数式もそうだが、この作家にかかるとどんなものでもいとおしく神聖な宝物として紡ぎ出される。その世界観に触れるだけでも読む価値ありの素敵な小説である。

  藤川 佳子
  評価:AA
   亡くなった人の遺品を展示物とする世界で唯一の博物館を建設するため、とある小さな町に訪れた主人公。町で誰かがなくなるとその人を一番表す物を遺品としてこっそりと持ち出し、博物館の展示物として収集していくのです。そんな盗人のような行為に戸惑いを感じながらも主人公は「死」というものを受け入れていきます。
 生きるとか死ぬとかいう重苦しいテーマも、小川洋子さんの手に掛かると、こんなにも幻想的な物語りになってしまうのですね。静かで優しい空気に満ちている小川ワールドは本書でも健在です。

  藤本 有紀
  評価:A−
   有機物嫌悪とでもいえばいいだろうか、小川洋子の小説では、生ゴミや唾や手垢や目ヤニやフケや汗や脂や、究極的には食べ物や飲み物さえをも神経症的に嫌悪する眼差しに出くわすことがある。そんなものいちいち嫌がってたら生きていけないじゃないか、という常識など置き去りにして、会話している相手の唇からぷっと机の上に吐き出された唾に、過剰なほどの嫌悪感を覚えることはないだろうか? 私はあります。そういう感情を、煮詰めて濃縮しながらストーリーを与えていくのが小川洋子だ、と思っている。不愉快さを解放するのにこれだけの入り組んだストーリーを編み出すのだからすごいなぁと思う。もちろん、一元的にはということです。この『沈黙博物館』にも、老婆の入歯や死んだ鱒など不気味なものたちが惜しみなく登場する。日本とも西欧ともつかない、奇妙に完結しているけれども訪ねてみたいと思わせる、美しい村に吸い込まれていくような感じがした。