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夜の回帰線

夜の回帰線(上下)
【新潮文庫】
マイケル・グルーバー
(上)定価 740円(税込)
(下)定価 780円(税込)
2004/6
ISBN-4102143211
ISBN-410214322X


  岩井 麻衣子
  評価:C
   自身の臓器と胎児の脳をひきずり出されて妊婦が惨殺される。被害者には争った形跡もなく、目撃者もいない。捜査に行きづまる警察の苦悩をよそに、同様の手口で犯行は繰り返された。一方、この事件の真相にたった一人気づいているジェイン。この事件は彼女と共にアフリカで呪術を学んだヤツの犯行だ。とても勝ち目のない戦いに対し、彼女は逃げるのか、捨て身で戦うのか。本書はそんなスリリングな物語である。呪術師たちの戦いというよりは、担当刑事パスが調べ明らかになっていく謎とジェインが学んできた呪術の過程がメインに語られる。聞きなれない用語に少しとっつきにくい感じもするが、とりあえず読み飛ばしてもなんとかなる。冒頭の妊婦惨殺でミステリかホラーかと思うが、実際は昔から伝わる土着の風習・宗教の話だ。呪術に街が混乱させられるなんてファンタジックなと思いきや、妙にリアル感漂う作品である。

  斉藤 明暢
  評価:B
   「心理学は未だに骨相学と同レベルにある」とは、かのレクター博士の言葉だが、人間の精神世界と化学物質(自然物や人間自身が作り出す)の関係についても、似たようなレベルなのだろう。我々はみんな、無理解で物覚えの悪い哀れな生徒のようなものだ。
 アフリカの強力な呪術に触れ、自らもその一部を身につけながら、何者かから逃げ続ける女性と、強大な力を身につけ、力の行使に憑かれた者との戦いが描かれるのは、パラダイムシフトに直面した人々の反応だ。
 パラダイムシフトというのは、到底受け入れがたい考えが、新たな真実としてなだれ込んでくるから起きるのだ。それを見ようとしない人は自分の信じ慣れたものだけに固執し、時間がたてば、まるっきり信じていない自分を取り戻してしまったりするのだ。それが普通の人の反応なのだろう。
 こんな状況に置かれたら、自分は間違いなく序盤の無知な犠牲者その3程度の役だろうなあ、と思うのだった。

  藤本 有紀
  評価:B
   パリっとした大人が主役の話が好きである。いかにも金のかかっていそうな服装、それを許すだけの収入を生む仕事、異性を惹きつける容姿(キューバ系でしりの位置が高いに違いなくスペイン語の囁きがセクシーに違いない)、ほどよい知性が備わったマイアミ警察の刑事・パスはパッリパリのパリ、といっていいだろう。彼がヴィックス・ヴェポラッブを鼻の穴に塗って現場に向かった事件は、一筋縄ではいかないケースだった。一方に、身元を偽っているジェインという女がいる。うなるほど金持ちのドウ一族の出で、人類学者だったという過去を隠しながら目立たぬように暮らす。パスの捜査線上にアフリカが浮かび、ジェインと芸術家の夫Wがかつてアフリカに行ったことが平行して語られる。そこで彼らが経験したことが……? さらに、パスとWはともにハーフ・ブラックだ。ここに因縁めいたもの漂わせながらマイアミの炎暑の中、パスとジェインそしてWが接近していく。『夜の回帰線』というタイトルから予感される通りの“インテリジェンス・科学では解明できない・警察小説”。探偵小説にはシリーズ化してほしいものと願い下げのものとがあるが、パス・シリーズは歓迎。次回作は、科学で解明できるもの、ぜひ。

  和田 啓
  評価:AA
   阿弥陀如来のエイリアンのような表紙にまずぶっ飛ぶ。
 才能、才幹あるレトリシアン(文章家)とはこういう筆者のことをいうのだろう。全編が奇想横溢で学殖に満ち満ちている。訳文が精妙を極め、才のはなやぎを饗宴している。
 呪術的な殺人事件を追ってストーリーは展開していくのだが、通り過ぎていく物事の解釈が素晴らしい。アメリカ合衆国、マイアミ、異文化、色、人種、宗教、政治、哲学、薬物、思想、医学、アフリカ、歴史、記憶……ひとつひとつの素描に魅入ってしまった。
 呪術は五万年の歴史を持つテクノロジーなのか?夜の回帰線とは何か?この夏、小旅行の友に最適。まさに、驚愕のスーパーナチュラル・スリラーだ。