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火の粉
【幻冬舎文庫】
雫井 脩介
定価 800円(税込)
2004/8
ISBN-434440551X
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
岩井 麻衣子
評価:A
元裁判官の梶間は担当した最後の事件で武内に無罪判決を下した。それから2年の歳月が流れたある日、梶間の隣に武内が越してくる。よく気が付き人当たりのよい武内は梶間の家族に入りこんでいく。冤罪から救ってくれた梶間に感謝の心を表しているのか。梶間は武内に不信感を抱きつつも、家庭のことは妻まかせにしてしまう。武内が殺害したとされた被害者家族が登場したり梶間家のまわりでは次々と不可解な事件が起こりはじめる。裁判官ほどの重大な決断を迫られずとも、人間誰もが様々な責任を持って物事を決断する必要がある。その結果、思いもよらないところで人にとんでもない影響を与えることもある。本書はある決断に伴う火の粉がどさどさとふりかかってしまった不運な家族の物語である。自分以外の人間が何を考えているかなんて絶対わからないし、善意であるという前提に基づいて相手を信頼するしか生活は成り立っていかない。隣の人と会ったこともない今の生活を安全とみるべきかそうでないのか。火の粉がかからない運を鍛えるしかないなと思った一冊であった。
竹本 紗梨
評価:A
検事の勲は最後の仕事として、死刑求刑を受けていた武内に無罪の判決を下した。そうして仕事を勤め上げた自負心と、一人の無実の男を救ったという自己満足とを抱え退官する。そして“偶然”武内が勲の隣家に引越ししてくるのだが…。
この勲一家のそれぞれ一人ずつが持つ、日常生活の不安や心の隙間が恐ろしくリアルだ。誰でも自分のことを丸ごと受け止めてほしいし、家族だからと甘えている部分がある。一生懸命生きているだけなのに、少しずつずれて行く時はどうしてもある。しかしその隙間に入り込んで、自分にとって心地の良い関係だけを味わおうとする人間が侵入してきたら…。そんな恐怖が忍び寄ってくる。そこで立ち向かえるには、あまりに人は弱すぎる。そして自分のことだけで必死だ。家族を守るには、精一杯の努力が必要なのだと思う。暗黙の了解だと思ってその努力を怠っていると、振ってきた火の粉は振り払えない。納得感のあるラストに満足。
藤川 佳子
評価:AA
幼い子供を含む一家三人を惨殺、自身も被害者のように偽装していたとされる被告人・竹内。裁判で有罪判決が出れば死刑になってしまうのを、裁判長の梶間勲は証拠不十分として彼に無罪を言い渡します。ところが2年後、竹内が突然、梶間家の隣に引っ越してきて…。竹内の行動を不審に思いながらも無視を決め込む勲。妻の尋恵は竹内と打ち解け、息子の俊郎も彼に好感を抱いています。唯一、竹内を最初から怪しんだのは、嫁の雪見。けれども雪見はなぜかその頃から家族と歯車が合わなくなり…。
もし、お隣さんに変質的な殺人鬼が突然引っ越してきたら…。一見すると温厚な紳士。家族の誰も、まだ怪しんではいない…。でも、カーテンの隙間からジロジロ家の中を覗いたり、勝手に部屋へ上がり込んだりしている…。我が家と、過剰なほどの関わり合いを望んでいる、どこか歪んだ男…。怖い! 久しぶりに小説を読んで、恐怖を感じました。
藤本 有紀
評価:A−
バウムクーヘンはお菓子屋さんで買ってきておいしくいただくのが正解であるという気になる。手作りの菓子で客をもてなそうというに、バウムクーヘンは手間がかかり過ぎる。親切の押し売りが病的に煮詰まったような武内という人物の内面を伝えるのに、バウムクーヘンというのは巧い。
雪見が思わず手を上げたくなるような幼い娘・まどかのわがままぶりと、叩いたことを痛烈に後悔させるような無邪気さの描き方がすごい。「コアラ、コアラ」とコアラ型の菓子をねだり、「ピンポーン、たっきゅうびんでーす」とピンポンごっこをしたりするまどかのせりふは印象に残る。小さい子供とごっこ遊びもいいか、と柄にもないことを思ったりしてしまった(私は本屋さんごっこがいい)。
主役から脇役まで手を抜かない人物描写の見事さに、冤罪ものらしいスリルが加わり、ページを繰る手は止まらない。
和田 啓
評価:AA
人を裁くのは因果な仕事だ。判事にとって死刑判決だけは平常心で向かうことのできる仕事ではないという。こんなに重い決断を迫られる職務がほかの分野にあるだろうか?自分の判断一つで人間の命を奪うか救うかはっきりと分かれるのだ。
この作品に流れる静かな緊迫感は何なのだろう。東野圭吾『白夜行』以来の戦慄をわたしは受けた。秋の夜長にぴったり、読書する愉悦にどっぷり浸れる作品だ。
他人が自分の家に侵入してくる恐怖。自分の五感を無造作に踏みにじられていく慄きを巧みに描いている。指を使った浣腸に驚かされた介護や姑嫁問題の地獄絵が最後には平和なエピソードにも思えるほど「彼」の人物造型は秀抜だ。こういう人が寄ってきたらひたすら逃げるしかない!登場人物中、最も賢い嫁・雪見のように五感の警戒センサーを作動させるしかない。人を裁くという高尚なテーマは最後まで通奏低音のように響いている。あやまちを認めた法の番人の後ろ姿が心から離れない。