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いつか、どこかで
いつか、どこかで
【新潮社】
アニータ・シュリーヴ
定価 1,995円(税込)
2004/10
ISBN-4105900420
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  朝山 実
  評価:C
   人は恋愛をすると幼稚になるのか、幼稚になった自分をさらしたいから恋愛をするのか。少年少女時代の二人のもどかしい衝動と下半身の疼きが滑稽でもあり、美しかったのがそんなことを思わせる。つい『マディソン郡の橋』なんかが浮かんだ(結局本は読まずじまいのままなのだけど)。サマーキャンプで恋に落ちた少年と少女には31年の歳月が流れ、詩人となった女性の写真が新聞に載ったのをきっかけにして、かつての少年少女はめぐりあい、叶わなかった時間を取り戻そうとする。
 家庭もあり、すっかり中年となった二人の逢瀬や往復書簡に新鮮な驚きはないが、それぞれに倦怠な家族に対する目線の冷酷さと自己嫌悪に陥る描写が出色だ。パーティの席で、夫が妻の詩集の上にグラスを置いてしまう。表紙に残る、濡れた輪。ときに些細なシーンが咽喉もとの小骨のように残る。貪るように愛し合う二人だが、愛の行く末は決して後味のいいものではない。

 
  安藤 梢
  評価:C
   純愛小説、そう呼ぶにはためらってしまう。ただ現実に疲れてしまった中年の男女が、子供の頃の恋愛に逃避しているように見えてしまうのはひねくれているのだろうか。会社がうまくいかないことや、夫婦生活がうまくいかないことから昔の恋人(はたしてそう呼べる関係だったのかも分からないが)に逃げているとしか思えない。子供時代に好きになった人に若い頃の自分を映し出して惹かれていくという自分勝手な恋愛は端から見ていてもあまりいいものではない。お互いの家族を犠牲にしていくことで、精神的にどんどん追い詰められていくような圧迫感が漂う。そしてその果てにあるものは・・。
 少年少女の恋愛と中年の男女の恋愛が折り重なって描かれる縦の軸を主体に、さらに現実の二つの家庭という横の軸も加わる。少年の回想と中年の現実、浮気の正当性を証明するかのように執拗に子供時代の純愛を思い出していく過程は見ていて苦しいものがある。

 
  磯部 智子
  評価:C
   思い入れのあるクレストブックスなのに…これは残念、感情移入できない恋愛小説。運命の人と思い定めたのが誰かにとってもそうである韓国スターであったり、出会ってしまったその人がパート先の上司であったり、大量生産されたような恋愛感情が溢れる日本に私は生きている。誰も彼もが鶴首で、愛を乞う人をやっているような気がする。それを可愛げのある範疇とも、何も失わないお手軽さが腹立たしいとも思う。この作品の主人公は46歳の既婚女性で詩人でもある。彼女が恋に落ちるのは31年ぶりに再会した初恋の男。其々家庭を持ち、女は夫との距離を感じ、男の事業は崩壊の危機に瀕していた。女の夫は、出版パーティーで彼女の詩集の上にグラスを置き濡れた輪じみをつける。彼女は夫をバカな大きなわんちゃんだから仕方ないとも、襟首つかんで引き戻し一発再教育するわけでもなく憂いに沈み自己完結してしまう段階にいる。今いるこの場所から逃げるような恋愛、昔の男(女)はノスタルジアであり幻想、最初からそれを知っていた女と、無邪気に突き進む男の間で運命は分かれ別々の地獄に堕ちていく。相手の瞳の中に変わらぬ自分の姿をみたとしても、現実には止まった時間など何処にもありはしない。

 
  小嶋 新一
  評価:A
   僕の場合もご多分にもれず、青春時代の甘酸っぱい思い出は、そのまま真空パックか冷凍保存されたように、キレイなまま心の底に残っている。たまには、かつての記憶の中に生きる思い出の相手に、再び出会うことを夢想しないではない。でも現実にはそんな出会いはめったにないし、あったとしても、冷凍保存されていたはずの彼女が実はシワシワだったりして、幻滅するのが関の山なんだろう。
 しかし、そんな夢を実現した二人がここにいる。31年の時を経て再開を果たしたチャールズとショーン。お互いの家族がありながらも、永かった空白を埋めようと堰を切ったように求め合う二人。「わたしたち、こうしてつがう運命だったと思うの」というショーンの言葉が象徴するその姿はあまりに甘美だが、それは二人の関係が禁断の果実であるからでもある。家族や経済面の現実的な問題が、物語に深い陰影を与えるとともに、一方でストーリーに挿入される、31年前の少年と少女の初々しい出会いのシーンが、鮮烈な印象を放つ。
 有り体に言えば不倫小説だが、凡百のそれとは一線を画す凛としたたたずまいが際立つ。男と女の、あまりに切ない性(さが)が浮き彫りにされる。

 
  三枝 貴代
  評価:B+
   日曜版を眺めていたチャールズは、詩集の広告写真に31年前のサマーキャンプで出会った少女をみつけた。14才の時のたった1週間の恋は、ふたりの再会と同時に再び歩み始めた。破滅に向かって。
 穏やかな落ち着いた大人の声で、耳元でそっと囁かれているかのような物語です。主人公たちと秘密を共用しているような気がして、身をすくめながら読みすすめました。静かに、そっと、ばれないように。
 宿命の恋なのか、それとも今の暮らしへの不満なのか、若かった頃への郷愁なのか。作者は答えを明かしません。その判然としない感じが、あるいは自分もまたいつか同じ陥穽に落ちいることもあるかもしれないと思わせるのです。
 ひとりぼっちですごす週末、部屋に籠もって読みたい本です。

 
  寺岡 理帆
  評価:B
   ずっと読みながら考えていたのは、31年前にたった1週間サマーキャンプで共に過ごしただけの相手を、ずっと忘れられずにいたりするものだろうか…?ということ。答えはおそらくノー。二人は会わずにいた間、片時も相手を忘れずにいたわけではないだろう。
 けれどお互いに人生の先が見えてきて、しかも心から幸せだとは言えない状況で(かといって心底不幸なわけではないけれど)、なんとなく閉塞感を感じていたときに偶然の再会が訪れた。神様、もしかして本当の運命の人はこの人だったの?
 現在と31年前、二つの時間軸の物語が交互に語られるその構成は美しいと思う。適度に美しく、適度に官能的で、抑制の利いた静かな文章で描かれていく二人の心の動きもわからないわけじゃない。
 でもなんだかなあ。 どうしても物語に没入することはできなかった。
 ラストも、美しいと言えば美しいんだろうけれど。
 もう少し、現実と向き合ってほしかったわ…。

 
  福山 亜希
  評価:B
   少年少女の頃の感情というものは、幾つ年をとっても色あせないものなのだろう。ショーンとチャールズは、まだほんの子供の頃に感じたお互いへの淡い感情を、三十一年の歳月を経て成就させる。チャールズが詩人として活躍しているショーンの写真をたまたま見つけ、彼女へ手紙を送るところから二人は急速に接近していくのだが、それは二人が現在の生活に心からの幸せを見出すことが出来ていないということだけでは片付けられない何かがあると思った。彼らが子供の頃に出会っていて、子供の頃に感じた強烈な感情の生々しさがあったからこそ、彼らを破滅の恋へと走らせたのだろう。三十一年経つと、顔も変わるし雰囲気も変わるし、会うのは相当に勇気の要ることだろうが、それでも勇気を出して会い、そして三十一年前と同じく強く惹かれあうというのは、決して奇跡ではないと思う。人生80年の時代だけど、その多くは思春期の頃どんな風に過ごしていたかに支配されてしまうのなら、もっと思春期を大事に過ごせばよかったと少し後悔してしまった。