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くらやみの速さはどれくらい
くらやみの速さはどれくらい
【早川書房】
エリザベス・ムーン
定価 2,100円(税込)
2004/10
ISBN-4152086033
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  朝山 実
  評価:A
   自閉症だけど頭脳明晰。製薬会社に勤め、フェンシングクラブや教会に通い、思いを寄せる女性もいる。彼を好ましく思う人も周りにたくさんいる。穏やかな生活を送っていた青年の人生が変転するのは、職場のリストラから。自閉症治療を受ければ解雇リストから免除するという。だけどそれは人体実験同然のものだった。『アルジャーノンに花束を』が手術を受けたがゆえの悲劇なら、治療を受けるか否かの決断までに多くがさかれ、結果として彼はいろんな人たちと関わっていくことになる。彼の目を通して「ノーマル」な世界の歪みが見えてもくる。
 教会で彼はこんなことを言う。自閉症は事故のようなもの。すべての不幸がそうであるように意味や理由、神の意思がそこに介入しているはずはないと。自閉症であることで彼は得がたいものに触れる。先を急いだラスト。その決断はズシンときます。ピンチになったときに思い出すんだろうかなという一冊です。

 
  安藤 梢
  評価:C
   自閉症が幼児期に治せるようになった近未来、その治療法の発見よりも前に生まれた最後の自閉症者たちの話。ノーマル(健常者)な人々が無意識のうちにしている行為(例えば、人の表情や声色を読んで相手の真意を汲み取ること)が自閉症者にとっては困難である。自閉症者の視点から、言葉を発するまでの思考の流れを細かく追って描かれている。障害を持っているというよりは、コミュニケーションに関して人よりも少し慎重でまっすぐなだけなのだと気付かされる。ただ、丁寧に描かれているが故に持って回ったような文章は読みづらい。人との関わりの中で、少しずつ意識が外へと向いていく過程はよく分かる。知らないことを知りたいという向上心から出た結論はしかし、あっけない結末へとつながる。自分の人格を捨ててまでノーマルになるということにどんな得があるのだろうか。

 
  磯部 智子
  評価:A+
   読み終えた後もじっくり考え込んでしまう。SFと言ってもほとんど現代と変わらない近未来。違っているのは幼児のうちに治療すれば自閉症が完治すること。主人公のルウは治療法が開発される前の最後の世代で35歳の自閉症者。でも彼とて今より進んだトレーニングを受け製薬会社に勤務する。そんな中、会社の新任の上司がルウたち自閉症者のグループに解雇をちらつかせながら持ち出した提案は、自閉症治療の新薬の実験台になること。パターン分析の仕事は面白いし、フェンシングを楽しみ好きな女性もいる。自分は変わる必要があるのだろうか、ルウが生きている非常に豊かな日常生活と問いかけがルウ自身の言葉で綴られていく。理解者達もいる、でも大半のノーマル達はルウたちを欠落した人間とみなしノーマルの生活に適応すべきだと考えている。作家の子供は自閉症だという。散々悔しい思いをしてきた事だろう。でもそんな思いに留まらず読み手に対し、自分自身に対する再考を迫ってくる作品としての広がりがある。先ずひとつにはノーマルとしての責任、そしてもうひとつはノーマル(健常者)とは何者かという問いかけ。ルウが最後に自らの意思で下した決断とその結果。全ての人間の変質は、本当のところ誰の意志なのだろうか。

 
  三枝 貴代
  評価:AA
   ルウは自閉症。けれど、応用数学者として仕事をし、腕の良いフェンシングの選手で、教会にも行っている。変化にはうまく対応できないけれど、本は読めるし、憧れの女性もいる。なのにある日会社の上司が、自閉症治療実験に参加しないと解雇すると言いだして――。2004年ネビュラ賞受賞作。
わたしたちは自閉症の患者がなにを考えているのか知ることはできません。ですから、ここに描かれた自閉症者の知覚や感情が本物であるのかどうかを知ることはできません。しかしこの小説は、おそらく可能な限りもっとも正確に、誠実に、自閉症者の感覚をわたしたちにわかる方法で描きだしてくれたばかりではなく、ルウというとんでもなく魅力的で誠実な個性を作りあげることにも成功しているように思えます。
 悲劇に終わってもハッピーエンドに終わっても通俗に落ちるところをぎりぎりに踏みとどまった終章は、障害者の問題を考えさせるだけにとどまらず、自分であるとはいったいどういうことなのかという、すべての人にとって極めて個人的で重要な問題を問いかけています。

 
  寺岡 理帆
  評価:A
   物語は大半の部分が自閉症であるルウ自身の視点で描かれる。これが斬新。こんな風に世界が見えるのか!!みたいな。もちろん、これが本当に自閉症者の視点から見た世界なのかどうかは確かめようもないけれど…。
 この作品が『アルジャーノン…』を連想させるのもとてもよくわかる。けれど、本当はこの作品とあの作品は本質的に違う気がする。だから、引き合いに出されるのは本当は不幸なこと、のような気がしないでもない。
 何も引き合いに出さなくても十分に、この作品は魅力的だ。わたしたちはわたしたちとはまったく違う考え方、行動の仕方を取っているはずのルウに無理なく感情移入することができる。彼が手術を受けるかどうかを決めるのに、一緒になって悩んでしまう。
 そして彼が選んだ行動の末のラスト…その複雑で感慨深いラストの前に、言葉にならない思いで胸を詰まらせるのだ。

 
  福山 亜希
  評価:A
   物語が、先天的な障害者であるルウの目から描いた世界で展開していくのは、著者の驚くべき洞察力である。そしてルウの目から見える世界に馴染むにつれ、私たちは日頃の自分達の行動のおかしさに気付かされていくのだ。ノーマルな人間と自閉症の人間とどちらが本当に正しいかは分からない。ただ、互いを本当に理解することはとても難しいことなのだろう。結末でのルウを見て、そう感じた。ルウを見ていると、色々なことを感じる。大なり小なり人は変身願望を持っているけれども、変身してしまったら、ルウがそうであったように、きっと前の自分には戻れないのだろう。それならば、今の自分に物足りなさを感じながらも頑張っていくのが、一番愛しい態度なのかもしれない。私がルウだったら、自閉症の治療は受けないと思う。