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すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた
【ハヤカワ文庫FT】
J・ティプトリー・ジュニア
定価 588円(税込)
2004/11
ISBN-4150203733

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  岩井 麻衣子
  評価:C
    ユカタン半島付近にあるキンタナ・ローの海。マヤ族に受け継がれる不思議な世界を体験するアメリカ人の物語である。あの辺に位置するカンクンは旅行会社のパンフレットでもよく見かけるリゾート地だから、おそらく半裸の西洋人やバカップルな日本人がうようよいるのだろう。本書はそんなリゾートイメージからはほど遠い幻想的な世界である。焚き火を囲んで老人から聞かされる情景が目に浮かぶような、海に浮かぶ蜃気楼のような、死人の話を聞かされているようなという不思議な世界に迷いこんでしまう。こんなつかみ所のない話なのに作者がCIAの職員だったという解説に仰天。いや、CIAだって目に見えない情報の世界に生きているんだから、同じようなものなのか?ふわふわとした物語の余韻に浸りつつ作者の経歴に冷静になってしまうという惑わされる一冊であった。

  斉藤 明暢
  評価:C
   物語の前提という背景がはっきりしないまま読み進み、きっぱりした結末がないまま終了する作品は、なんだか足もとが定まらない感じがするもので、幻想文学と称される作品(作者は必ずしも意図してないのかもしれないが)を読んだ後に残るのは、「そんな奇妙な出来事があったとさ」という印象以上でも以下でもない場合が多い。そもそも登場人物に感情移入するのではなく、その奇妙さというか地に足がつかないまま進行していく感覚を楽しむべきなのかもしれないが。
 もし、著者にとっての本書が嵐の夜と爽やかな快晴の間に時折現れる凪みたいな存在なのだとしたら、著者の他のタイプの作品も読んでみたいな、などと思うのだった。

  平野 敬三
  評価:C
   本書を「幻についての物語」と読むか、「幽霊についての物語」と読むかで、印象は違ってくると思うが、個人的にはこれは美しい幻の話と受け取った。とにかく三編とも摩訶不思議な話で、全体的にはぼんやりしたつかみ所のない物語でありながら、ラストはどれも妙に印象的だ。まるでそれまでの展開が、この鮮烈なラストに向けての煩雑な手続きに思えてくるくらい、ガラッと景色が変わるのである。残念なのは、その「手続き」のほとんどが退屈に感じられてしまう点で、ちょっと淡々とし過ぎかなという気もする。そこが味なのだとする向きもあろうし、別にドラマティックな盛り上げが似合う作品とも思えない。そういうひとつの完成された作品だからこそ、自分との距離を余計に感じてしまうのかもしれない。

  藤川 佳子
  評価:A
   ユカタン半島の東海岸に位置するキンタナ・ローを舞台にした幻想的な物語が三編収められています。SFやファンタジーを読み慣れてないので、いつもどう読んでよいのやら戸惑ってしまうのですが、この物語はそんな私でも面白く読めました。
 海、マヤ族、それだけでも神秘的なかんじがするじゃありませんか。主人公は初老のアメリカ人。周囲のマヤ族からは「グリンゴ(アメ公)」と蔑まれながらも、「ごめんなさいね、でも僕、この土地が好きなの」といったかんじで居着いちゃってるジイサマ。そのじいさんが様々な形で物語の語り手と出会うのです。私は三番目の『デッド・リーフの彼方に』がお気に入りです。人間(グリンゴ)たちに破壊される自然を嘆きつつも、いつか自然に復讐されるんじゃないか、しかもそれを著者が望んでいるように読めました。

  藤本 有紀
  評価:AA
   語り手が異邦人であること、その土地への憧れと不安とが大前提にある物語が私は大好きだ。とりわけ、北アフリカとユカタン半島における異邦人ものは、ベルベル人の迷路のような街に誘い込まれるとか、暗い目のメキシコ人にマチェーテで襲われるとか、不安の要素を盛り込んだ優れた小説・紀行文が多いように思う。マヤ人の末裔の土地・キンタナ・ローに逗留するアメリカ人学者が語り手のこの連作短編集は、怖い話ではないが異邦人性は確かに感じられる。では、怖いでなくてどんな形容詞が当てはまるかというと、「不思議な」。不思議で、この上なく「美しい」話。視覚には、白いビロードのカウチに寝そべる虎や海底を歩くロブスターの長い行列、海・砂浜・空の様々な色の描写−磨きあげられた緑金とサーモン色、レモン色と煙ったブロンズ色、藤色、サフラン色、薔薇色、カリブ海のターコイズ色……−が、スペイン哀歌や複雑な抑揚の呪い言葉が聴覚に訴えかける。また、ファンタジーには魔法がつきものだという思い込みからも自由にしてくれた。奇譚の系統としてガルシア=マルケス的。翻訳書にありがちなカバーデザインの投げやりさもないし、挿し絵が入っているのも歓迎。