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ゆっくりさよならをとなえる

ゆっくりさよならをとなえる
【新潮文庫】
川上弘美
定価 420円(税込)
2004/12
ISBN-4101292337

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  岩井 麻衣子
  評価:B
   作者の日常エッセイ集。全体的には普通の生活なのである。作家といえども波乱万丈な日常を送っているわけではないのだ。しかし、普通なら見逃してしまいそうなことにピッとアンテナをたて、たいしたことでもないが、こんなことがあったよという視線がさすがだなあと思わせる。こたつに入って寝転がり、まわりに本が散らかってる生活なんて誰でもしていることだろうに、そんな中でもネタを拾いだし、カワカミワールドが展開されるのである。大人になるにつれ、イベントのない日は日記なんか書けないと、いつも3日坊主になってしまうのだけど、カワカミヒロミの視線を持っていると、一日寝ててもネタがあるのだろうなあと思う。生きてることが楽しい子供の感性をいつまでも持ちつづけているのだろう。大人になっても楽しい日常をのんびり、でも鋭くちょっとイジワルな視線で見つめる作者の日々を覗くことのできる一冊である。

  斉藤 明暢
  評価:B
   なぜだか分からないが、短編の恋愛小説集を読んでいるような気分になるエッセイだった。内容的には間違いなくエッセイなのだが、言葉のリズムや語り口が、そんな風に感じさせたのかもしれない。自分が洒落た感性の持ち主であることを誇示するようなエッセイは、読んでいて寒々とした気分になってきたりするものだが、そういったものとも違う。作者自身からにじみ出てきた語り口であり、エピソードなのだろう。
 ちなみに、本書に登場するオクラの大根おろし和えを何度か作ってみたところ、おいしいけど私としては平常心で食べられるものであった。「ああ、これだ」みたいなツボにはまった感覚もない。自分にとっての「カラダが喜ぶ食べ物」というのは、これじゃなくて他にあるんだろうな、などと思った。

  竹本 紗梨
  評価:A
   こういう上質なエッセイを読むと、他の作品もまた読み直してみようと思う。ゆっくり歩く、ほてほてと歩く。心を揺らされながら、丁寧にその心を揺らすものについて考える。夜になったらのんびりお酒を飲む。そんな生活を楽しむ。自分の周りのものを大切にする生活だ。何も起こらない平穏な毎日でも、柔らかな感受性とそれを言葉に出来る力があればこんなにふんわりとその日常が光る。表題作「ゆっくりさよならをとなえる」の冬の夜にすること、を書いてみたくなる。実際書いてみたら、私の日常は柔らかには光らなかった。まだまだ力不足。

  平野 敬三
  評価:E
   川上弘美のエッセイが苦手である。彼女の小説は狂おしいまでに愛しているというのに、エッセイの類はどうも読んでいて「けっ」と思ってしまう。好きな作家だけに少し困る。ただ「けっ」と思うのだが、読んだすぐ後に家人に「カワカミヒロミがね・・・」と話し出すと止まらない。すごく嬉しそうに話してしまうので、実はけっこう良いエッセイなのではないかと思ったりもするが、私も頑固なので読んでいる途中の「けっ」の方を信じて評価を定めるのである。好きな作家との付き合いも、周囲が思うほどお気楽ではないのだ。それにしても本書で川上氏が絶賛する「おくらに大根おろしをまぜただけのもの」、家人に頼んで作ってもらったが、誠に絶品であった。

  藤川 佳子
  評価:A
   古本屋を巡り、居酒屋へ赴き、コタツに入ってミカンでもかじりながら読書に明け暮れる…。こんな「川上弘美的日常」から日々や本のことなどを綴ったエッセイ集。大した事件も起こらないし、いつも本とかマンガとか読んでダラダラ過ごして、その合間に原稿書いてるみたいだし、それでものかきとして成り立ってるんだからいいよなぁ、などと思いながら読みました。けれども、「日常というものが『平凡』という言葉をはりつけるだけで済むはずのないことに、ほんの少しだけ気づかされたのである」、なんていう鋭さが時々垣間見えたりして、小説家になれる人となれない人の違いってこういうところなのかなぁ、と思いました。

  藤本 有紀
  評価:B
   石油ストーブの上で薬缶の湯がシューシュー音をたてて沸いているような暖かい部屋で、一人過ごすときに読むと雰囲気が出るのではないかと思う(外は寒いほうがいい)。こういう、たまの穏やかな気分を壊さないでいてくれる読み物はありがたい。食べ物・本・電車にまつわる文章が中心の、作家の周辺雑記エッセイ集である。傍らに本を積み重ね、背表紙を撫でてみたりするという川上の本への愛着ぶりは、アプローチの方法は人それぞれだろうけど、読書人なら分かるはず。私はしょっちゅう本を並べています。ちょっとうれしくなったのは、20ページぐらい読んで「これはどこかで読んだことがある感じだ」「『暮らしの手帖』だ!」と思っていたところ、川上が『暮らしの手帖』を愛読していたという文章に出会ったとき。怠惰なくつろぎではなく、むしろ『暮らしの手帖』的に「さあ、お茶でも入れましょうか」とやや居ずまいを正しながら読みたい。もっとも、川上ファンは、惜しみなく公開された作家の嗜好や読む本のタイトルに興奮してリラックスどころじゃないかもしれない。

  和田 啓
  評価:A
   エッセイが文学になっている。随分云われていることだとは思うけれど、あらためて彼女の日本語とりわけ平仮名とくに副詞の使い方に舌を巻いた。なんとなく読まされるのだが、その「なんとなく」が達意を極めている。「改札口を出るといい匂いがしてくる。見ると定食屋があった。川原に下りてゆく。水を渡ってくる風がひやっこくて気持ちいい。」(「多摩川」)植草甚一が散歩しているみたい。「電車はふしゅうう、という音をたてて目的の駅に停車した・・・・・・大根の味が、ほんの少し口の中に残っていた。」(「春のおでん」)。活字を追いながら上質のソプラノ歌手の唄を聴いていた。詩(うた)なのだろう。
 この一年、新刊採点員の末席をけがしてきました。本作にアンアンのバックナンバーを拾う描写が出てきますが、大学時代マガジンハウスでバイトしていた身には懐かしい記憶でした。読了後、ベトナムで知り合い結婚した京都人の妻との間に娘が誕生しました。また、どこかで。