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勝手に目利き
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さゆり

さゆり(上下)
【文春文庫】
ア−サ−・ゴ−ルデン
定価\730
2004/12
ISBN-4167661845
ISBN-4167661853


  浅井 博美
  評価:A
   私は花柳小説フェチである。芸妓、舞妓、姐さん、旦那はん、水揚げなんて言葉を見るだけで、たまらなくなる。米国人男性に私のフェティシズムを満足させることなんでできやしない、と意地悪な気持ちで読み始めた。物語としては、漁村から口減らしのために売られてきた少女が祇園の芸妓として登りつめていくという、ある意味お約束の筋書きなのだが、意地悪してごめんなさい。非常におもしろい。祇園の花街のしきたり、風習の描写、女達の感情表現が非常に巧みだ。しかし終盤にさしかかり私が愛読してきた花柳小説とは何か違う違和感を覚えた。最後まで読み終えて納得。「さゆり」の骨格は欧米の少女小説なのだ。人間関係がからっとしていて、頑張った者が報われるようになっており、「あしながおじさん」「小公女」「赤毛のアン」といった典型的な孤児のサクセスストーリーに仕上がっている。しかしおもしろさが減るわけではない。あとがきで訳者が述べているように「異質なものの出会いによる妖しげな魅力」として楽しめばよいのである。小説を読むということは間違い探しゲームではない。不可思議な世界に入り込めたなら、身を任せてしまうことはとても心地よいのだから。

  北嶋 美由紀
  評価:C
   米国人作家が日本の芸妓を描き、それを日本人が訳している珍妙な作品であることがまず目をひく。貧しい9歳の少女が芸妓として独り立ちしてゆく、サクセスストーリーである。時代は昭和の初め。父に売られる娘などそう珍しくもない頃だが、米国人の目からはどうであったろう。幸いにして、この作品から日本に対する偏見もゲイシャ・ガールを単なる春をひさぐ者という誤解も感じられない。フィクションなのだが、思い出の中のささいな事や着物の色、柄など細やかで、まるで実在の人物が語っているようであり、とても外国人男性が書いたとは思えない。淡々と語られる半生は決してハラハラドキドキものではないが、妬み、やっかみ、損得勘定、冷淡さが底でうずまく女の世界のすさまじさはなかなかだ。京都弁などは訳者のアレンジにしても、和装小物の名称など原文はどうなっているのかちょっとのぞいてみたい。

  久保田 泉
  評価:B
   舞台は京都祇園の芸妓社会。日本を象徴するミステリアスで好奇心をそそられるテーマが、まるでノンフィクションのように緻密に描かれる。花柳界という未知の世界の、独特のしきたりや、人々の日常は興味深い。日本海の小さな町、貧しい漁師の家に生まれた娘・千代は、昭和の始めに9歳で祇園の置屋に売られ、辛抱の末、芸妓・さゆりとなる。そのさゆりが語り手となり、自分の人生と自分の目で見た芸妓の世界をいきいきと綴る美しい文体は、訳者の力量の賜物でもあるだろう。先輩芸妓からの執拗ないじめ、逃亡の失敗、運命の出会い。どん底から15歳で最高額の水揚げは、泣く子もだまる逆転人生だ。映像が次々浮かんでくるような文章なので、ハリウッドが映画化するのも分かる。えげつないと紙一重のリアルな水揚げの場面は、どうなるのか気になるのは私だけか?しかし個人的には、これだけの凄い人生は、昼ドラで是非荻野目慶子に演じて欲しかった。規模違い過ぎですが。

  林 あゆ美
  評価:A
   ほれぼれするような京言葉で訳された、「アメリカ産の花柳小説」はノンフィクションのようなフィクション。9歳で花街に売られたさゆりが、一歩ずつ芸妓になっていく様がぞくぞくする小説だ。つらくて逃げだそうとしても失敗し、腹をくくって舞妓をめざすさゆりは、薄幸を絵に描いたよう。戦後になると身売りで祇園に来た少女はいないようだが、当時は親の借金のかたで売られた少女が多かった。今でも祇園は厳しい世界に変わりないが、自ら舞妓になりたいと志願する少女がいるくらい、時代は移った。
 さゆりは15歳で当時の最高額で水揚げ(これも今の祇園にはない)されるが、艶っぽさを期待した方は、あまりの事務的な描写に笑いがでるかもしれない。さゆりの水揚げ旦那は、行為より、もともとある目的達成があったので、その目的がおかしみを誘う。
 あでやかな世界を描いた著者は、「アメリカの貴族」ともいえる名門出身。巻末で著者を紹介している名倉礼子さんの文章も読みごたえあり。

  手島 洋
  評価:A
   この作品が映画化されると聞いたのは、ずいぶん前だった、と思う。「○○○監督で映画化決定!!」なんていう帯が本についていながら、結局、映画にならないことも多いから、今更よく本当に映画化したな、と驚いたくらいだった。そんなこともあってか、外国人の書いたゲイシャの話か、というくらいになめてかかっていたのに読んでみると驚くほど面白い。緒方拳が出てくるような映画を想像していた者にとっては女性が完全に主人公なのも新鮮だった。そして、とにかく翻訳がすばらしい。日本の作家が書いた作品としか思えない自然な文章。あとがきで、この作品は日本仕様のヴァージョンとして書かれた、と記されているが、原作とはどのくらい違っているのだろう。映画化された作品を見るのが楽しみなような、怖いような。やっぱり怖い。

  山田 絵理
  評価:C
   9歳のさゆりが、貧しさゆえに片田舎から祇園の置屋へ売られる。先輩芸妓から執拗ないじめに遭い苦境に立たされるが、やがて心の支えとなる紳士に出会い、同時に祇園一の芸妓に見出され、自身も祇園の頂点へ上り詰めていく。いわば祇園版シンデレラストーリーだ。
 物語は、自分の歩んできた道を、柔らかな京都言葉で回想するというスタイルだ。そこには、祇園というあでやかで華やかな、虚構のような世界を必死で生きる芸妓たちの誇り高い姿と、そのきらびやかさの影に隠れた、彼女たちのため息と悲しみを垣間見ることができる。
 ただ、さゆりという一人の女性としての生き方に焦点を当てた時、彼女が味わったつらさや悲しみが描き足りないと思えた。またアメリカ人を読者と想定して書かれたからか、比喩が多用されているのが気になった。しかも、それがぴんとこない例え方なのである。そのため、今ひとつ彼女に感情移入できなかったのが残念だ。

  吉田 崇
  評価:C
   アメリカ人作家の書く花柳界の話という事で、どんな仕上がりなのか不安だったのですが、予想を上回って面白く頂けました。良く考えたら、自分だって、舞妓・芸妓の世界なんて知らない訳だし、だとしたら、花柳界にも惑星ゾラにもかわりはない。別に変な先入観を持つ事もなかったのでした。
 祇園の置屋に売られた少女が人気芸妓になっていくというストーリーだが、ま、この手の話はよくある訳で、少女が出てれば淡い恋、そして運命の相手との運命的な運命(?)、ストーリー的にはさほどの面白さは感じなかったのですが、ライバル的な存在である先輩芸妓初桃との女の戦いが秀逸。聞き慣れない京言葉の魅力と相まって、ページをめくる強力なエンジンとなってくれます。
 キャラクターの性格設定が、少々モダンにすぎるかとは思いましたが、これぐらいの強さを芯に秘めていないと売れっ子にはなれないだろうなと納得。それにしても原題がどうだかなぁと思うのは、僕だけでしょうか?