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耳そぎ饅頭

耳そぎ饅頭
【講談社文庫】
町田康
定価\700
2005/1
ISBN-4062749688


  浅井 博美
  評価:A
   「町田康はズルイのである。」と解説であの井上陽水が述べているが、ホントにズルイのである。自称「売れないパンク野郎」の町田康は「頭からバケツを被って、俺は鉄仮面かの?鉢被り姫かの?どっちかの?どっちかの?と嘯いて傲然とする、などやりたい放題、自由闊達、きわまりない」日常を送っているが「うだつの上がらぬ三流歌手」人生で終わらぬため、苦手な「カラオケ」「ミュージカル鑑賞」「ディズニーランド」「イルカショー」「高級紳士服誂え」等様々なことに果報にチャレンジする様は「はじめてのおつかい」なるテレビ番組を見るようで、生真面目且つ奇天烈な町田康の様子が非常にほほえましく、思わず「拝啓親愛なる町田康様。私は毎晩貴殿のことを…」なる阿呆なファンレターをしたためそうになったり、彼の愛してやまない「白米、花がっつお、うどん」を貢いだりしてしまいそうになる。言葉選びのセンスの良さ、独特な文章運びのおもしろさ、そんなことを差し置いても町田康のキュート且つ怪しい(妖しいではない)魅力にメロメロになってしまう。ホントに町田康はズルイったらないのである。

  北嶋 美由紀
  評価:B
   実態をよく知らないのだが、パンク歌手なるものとは、奇抜なスタイルで自己主張をリズムにぶつけ、人前でも自己陶酔できるものだと思っていた。しかし、作者はまるでこのイメージにあわない人柄のようだ。
 このエッセイは、偏屈の谷底からの脱出記であるそうだ。「食」に対してこだわりと執着のある作者は、食に関する事柄のみ批判的態度をとるが、そのほかは人や周囲の事象には攻撃的にならず、ひたすら自分の内側にベクトルが向いている。偏屈や陰気、出不精を反省して何とか人間の環に参加すべく努力しては自信をなくし、自己嫌悪に陥る様子は、ひたむきというか、素直で可愛いというか…… 
 浪花節の好きなパンク歌手は故事来歴にも従順で、ほどほどに満足して、けなげに社会に順応しようとしているのである。もしかすると癒し系パンク歌手なのかも。
 蹴球、ソップなど前時代的言葉使い、文語調の文章のなかの大阪弁もけっこう楽しめる。

  久保田 泉
  評価:B
   芥川賞作家にしてパンク歌手。自称偏屈野郎“町田康”が怒り、ぼやきつつもそれまで忌み嫌っていた世間の楽しみの中に、パンク魂とやらを引っさげて突撃するレポート、じゃなくて、エッセイだ。この本を出版した年には、氏は芥川賞を受賞したのだが、スタンスはあくまで、三流歌手&貧乏。事の真偽は別として、町田節と言える独特の文体で奏でる日常は、意外にもその辺のオッチャンみたいに小心で、笑える。
 町田氏は、己のCDが売れぬ事を嘆き、自分の偏屈こそが総ての元凶と悟り、偏屈を捨て世間一般の遊びと戯れることで、収入アップを図ろうと言う。この心理の真偽もまた別として、温泉、蟹グルメ旅、ミュージカル、ディズニーランド(!)におフランスetc…という遊びのラインナップとあの鋭い目力を持つ町田康!このミスマッチが生む話が、面白い。
 しかしなぜにナンジャタウンへ?私の好きな江戸東京たてもの園にも本当に来たのか?信じられん、渋過ぎるぞ。自虐的なサービス精神で読む者をけむに巻く、パンクな一冊。題名の意味は今もって不明。

  林 あゆ美
  評価:B
   文章を書く時にひとつの枷をかけるのは、けっこうツボにはまるかもしれない。「鳩よ!」に連載していたこの原稿の最後を、町田氏は3文字にしぼった、と思う。メインは「うくく」で締め、他のバリエーションは「うるる」「えーあ」「ららら」などなど。ほがらかに貧乏を歌い、自分の偏屈さを素直なものにしようと努力する日々が、この3文字目指して、すちゃらかさっさと踊っている。舞城氏の文体もそうだが、書かれていることに対して、適度に気を抜いて、でも時々気を入れてのリズムが、読者にまた読もうかなと思わせるのではないだろうか。こんな風に書いてみたいと思っても、プロだからこその技術なのだ。私も次はどの3文字で締めるのかと思うと、早く早くとページを繰ってしまった。どれも、3文字着地がきれいに決まり、さて楽しみな最後の章は、なるほど、こうきましたか。

  手島 洋
  評価:B
   町田康とはなんと律儀な男だろう、というのが、読み終わっての最初の感想だった。かつての、貧乏でめちゃくちゃな生活を送っているパンク歌手くずれのシガナイ文筆家、という役柄をきっちりひたすら演じつづける。何だか悪役を演じるプロレスラーでも見るようだ。お前はブッチャーかジェットシンかトリプルHか、とでもいってやりたくなる。エッセーというと、作者の日常が多少垣間見えるものだが、この作品の場合は完全にキャラクター町田康の話、フィクションそのものだ。嫌だ嫌だ、と偏屈なことをいいながらも、買い物に出かけたり、日本全国を旅したり、果てはフランスにまで出かけてしまったりまでして、結局はすっかり楽しんでしまう主人公。同じパターンが繰り返されるエッセーを読むうちに、実際の「成功した売れっ子作家町田康」一家の優雅な旅の様子、日常生活が勝手に頭をよぎっていた。「実録・耳そぎ饅頭」も読んでみたいものだと意地悪く思うのは私だけだろうか。

  山田 絵理
  評価:B
   自称偏屈者の著者が、偏屈であるがゆえに世の中の人民が好みそうなものには全て拒否反応を示し、飯を炊いて食って、自宅で怪しげな蛍踊りを踊って暮らしていたのだが、自分のCDの売り上げが伸びないのは、世間が興味を示すものに自分が興味を示さないからだと思い当たり、気が進まないながらも、カラオケ、温泉、ディズニーランドなどに突撃していく。「結局、楽しんでいるんじゃないの!」と突っ込みたくなるようなオチが毎回あって、読んでいて噴出すこと間違い無い。自分は偏屈でアマノジャクといわんばかりの口調でありながら、自分の思いを素直に認めるところもいい。
 蛇足であるが、本書に出てくる東京湾アクアラインの「海ほたるパーキング・エリア」について、著者は「海蛍」とは恐ろしい妙な造語だとイチャモンをつけているが間違っている。東京湾の浅瀬には、海蛍という小さな発光生物がいるのである。それよりも私は、未だ意味不明の「耳そぎ饅頭」という題のほうが恐ろしい。

  吉田 崇
  評価:C
   先月の書評の時、奇しくも自分も自分の事を偏屈本読み親父と定義してしまい、何気に親近感を覚えて読み進んだのだが、俺はここまで非道くはない、偏屈という言葉は著者に進呈しなければならない、という訳で今月は腰痛持ちのへヴィメタ本読み親父という肩書きでやらせていただきます、どうでもいいけどね。
 この著者、年齢のわりに使う言葉が古っぽいのは何故だろう。と思いながら略歴を読むと芥川受賞作家で、他にもいろんな受賞歴があり、その著者の名前しか知らないなんて、ああ、また不勉強な所が露呈してしまった、慚愧。
 エッセイを読むと、書き手のサービス精神がどれぐらいあるかが分かる、というのは俺の持論で、その観点で物を言うと、過剰なほどのそれが感じられる。おそらく小説も面白いんだろうな、と読みたい本リストの中に書き付ける、心の中でパンクは敵だと思いながら。