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ピピネラ
【講談社文庫】
松尾由美
定価\730
2005/1
ISBN-4062749726
浅井 博美
評価:B
「ピピネラ」という謎の言葉を残して失踪した夫を追う旅に出る妻。同行する妻の高校時代の友人。夫の失踪の謎に手がかりを与えてくれる旅先で出会う幾人かの人々、そして重要な役目を果たす妻とその友人の恩師。読み終えた直後は女の自立を扱ったある種の啓蒙小説なのでは?という一つの結論にたどり着くが、しばらくするとじわじわと様々な疑問が生まれ収拾がつかなくなってくる。著者が何かを意図して伏線たちを投げやりとも思えるやり方で半ば放置してしまったのか、それともただの偶然の産物なのか…。どちらだという結論に未だに達することが出来ないでいる。いずれにしても、狂気的な殺人なんていっさい出てこないけれど、ひっそりとした恐怖がひたひたと近づいてきて、居座ってしまったような恐ろしさはある。普通の日常を送っている普通の登場人物達が、すべて得体の知れない生物のように見えてくる。そして彼らは奥歯に物が挟まったまま、語るべきことを語らずに舞台から降りてしまうのだ。何が不可思議なのかもわからないという程の不可思議さを味わった。
北嶋 美由紀
評価:B
読み終えたのにまだ読み終わってないような、ボンヤリとした読後感である。かと言って、スッキリしないことに苛立ちを覚えるわけでもない。そもそも主人公にあまり存在感がない。自己主張が少なく、自分の身体におこる重大事にも大した危機感がなく、流れに逆らわずフワフワと生きているようで、好きにもなれないが、嫌うほどでもなく、個性がない。それが原因だろうか。
まるで刑事が逃亡中の犯人を追うごとく失踪した夫を追い、行く先々で不思議なくらい着々と情報が集まってゆく。しかし、やがて事件解決ーなどということはない。動機も真相も犯人もわからず終わる推理小説のようだ。登場人物がみんな胡散臭いのも珍しい。もしかしてこの人は本当のことを知っているのでは? この二人はグルなのでは?という疑問はすべて肩透かしをくらう。夫さがしは自分さがしだったのか。すべてが「虚」であり「実」は読者がさがせということか。 それにしても松尾由実は書くたびに印象のちがう不思議さを覚える作品を生み出す作家である。
久保田 泉
評価:B
読了後、胸がざわざわと落ち着かなくなる小説だ。四年の結婚生活を共に静かに過ごしていた夫が、妻の加奈子に何も告げず、突然消えた。“ピピネラ”という不思議な言葉を残して。実はその1年半前から、加奈子の身体には、あるとんでもない変調が起きていた。しかしその事実さえも夫は、真綿でくるむように受け入れていた。そもそも、この夫の行動が不可解で、不安にさえなるのだが。目撃した夫の同僚掘井によると、夫は上野発の夜行列車で北へ向かったらしい。加奈子は身体の秘密という爆弾を抱えたまま、偶然の再会で同行する事になった友人の千紗と、夫を追う旅に出る。
展開はミステリー仕立てではある。登場人物もみな、どこかに謎を秘めている。だが、明快な答えはどこにもない。それなのに、読みながら、頭がフルに回転する。あなたは誰?あなたの隣の人は?そしてあなたの秘密とは?と作品が執拗に聞いてくるのだ。
この作風で驚くなかれ、松尾由美は本当に一冊毎に違った面白さを提供してくれる作家だ。ぜひぜひ他の作品も、手に取って読んで欲しい。
林 あゆ美
評価:C
「ピピネラ」このきれいな響きをもった言葉に、何かピンとくる人は児童書が好きな人。この小説全体に流れる寓話のような雰囲気が、タイトルによくあっている。話の中では、不可思議な言葉として、忽然と消えた夫を捜す妻のキーワードになっている「ピピネラ」。人がひとり急にいなくなるのだから、残された者には何もかもが謎につつまれてしまうそれだけでなく、妻の体に起きた変調は夫がいなくなる前からずっと続いている。何かの瞬間、それを引き起こすタイミングは本人さえもつかんだようで、はっきりしない時に起こる。身体がすーっと小さくなるのだ。それも豆粒のように極端な小ささではなく、小さい子どもの身長くらいの中途半端なものに。夫を捜しながら、自分探しもしているような〈わたし〉の旅につきあっていると、通り過ぎた過去をみているようだった。人生はどこかで辻褄があうと思っているので、結婚してからはじまった、〈わたし〉の自分探しがセンチメンタルにみえたのかもしれない。
山田 絵理
評価:A
主婦が主人公でしかもその立場をテーマにしているところは、『おいしい水』と同じだ。でも『おいしい水』が主題を直接的に扱っているのに対し、『ピピネラ』はその主題を最後まで明らかにしない。
優しい夫が突然失踪し、妻が夫を探す旅に出ることから話は始まる。ありがちな出だしだが、彼女と共に旅を進めるにつれて、著者の強いメッセージが明らかになってくる。その問いは主婦だけに向けられたようでいて、実は読者一人一人に問いかけている。自分を客観的に捉えたことがありますか?自分の気持ちに向き合っていますか?周りの人の苦しみに目をそむけていませんか?と。結末は解決に結びつかないものの、著者の問いかけが深く余韻に残る。
読後は、自分のまわりに鳥かごがぼんやりと目に見えてくるような気がして、本書に書かれているような居心地の悪さを感じた。私も自分を安全な場所に閉じ込めて安心し、幸せであるかのような錯覚に陥っていて、自分の気持ちに目をつぶっているのだろうか。
吉田 崇
評価:D
どうだろう、肩すかし。この手の茫洋とした物語には、もっと鮮烈なイメージが欲しい気がする。鳥籠だとかカナリアのイメージでは弱い。贅沢な注文だろうか? 出だしが個人的につぼにはまってしまったので、全体的な評価は低くなってしまったのだが、タイトルの奇妙さをこらえて読む価値は十分にあります。
主人公の加奈子が鳥籠を買った頃に、自分の生活のことを、どこにも「通う」ということのない日々がつづいたと表現するくだりがあるのですが、昔は学校に通い、今では職場に通い、おまけに最近では腰を痛めたせいで接骨院に通っている僕からすると、ホント、うらやましい限りで、主婦に対する表現の中で「どこにも通わない日々」というのはかなり秀逸だと感じました。目覚めてから眠りにつくまで、何かに強制されることなく暮らしたいと常々考えている僕にとって、通わないというのは、通うことよりも意識的だと思えます。通わない生活は籠の中の生活とは必ずしもイコールではないということを、社会参加という言葉ばかりを口にする主婦の方に考えて頂きたいと考えました。ま、余計なお世話ですけどね。