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勝手に目利き
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しかたのない水
しかたのない水
【新潮社】
井上荒野
定価 1,575円(税込)
2005/1
ISBN-4104731013

 
  朝山 実
  評価:A
   こんな毎日はうんざりだ。お膳をひっくり返したくてたまらない。キレる寸前で、止まっている。フィットネスクラブの男女6人のチェーンストーリー。リストラを機に古書店をはじめた中年男の章。娘くらいの年の受付嬢と肉体関係ができて、夢のように浮かれていた。女房は夫に関心はなく、日々の出来事を聞いてくれるだけで女がいとおしくてたまらない。男はジーパンひとつ自分で選べない。まわりが見えていない男はじきに商売に失敗するだろうし、女との関係も破綻するに決まっている。そんな他人にはわかりすぎていることが男には見えていない。哀れでもあるし喜劇でもある。後の彼女の章では、意外な事情が……。露悪な遊び人ふうの若者も登場するが、さえない中年男や発散しきれない女たちの話が、グロテスクさともに興味をひきつけてしまう。抉るというか「ふつうの人」がまとっている心の鎧を剥がしていく感じがすごい。

 
  安藤 梢
  評価:A
   フィットネスクラブに通う人々のそれぞれの人生が、ほんの束の間重なり合う。表面上何の意味もないように見えるありふれた交流の中で、静かに、しかし濃厚に重なり合う時間。その時間の中で、もぞもぞとうごめく感情に執拗に迫っている。微妙な心の襞を丁寧に描いているあたり、かなり巧い。登場人物たちのべったりとではない、触れ合う程度の交流がリアルで絶妙である。一編ごとに主人公が変わっていくことで、観察する者とされる者、その視点の移り変わりが鮮やかで恐くもある。自分が人からどう見られているかを知らされているような恐怖である。全体的に荒涼としたイメージが漂う。登場人物それぞれの荒れた心象風景が全体を殺伐としたものに染めている。読み終えて、思わずぶるっと身震いしてしまった。

 
  磯部 智子
  評価:A
   男と女という市場からどうしても戦線離脱したくない人々の物語。舞台は肉体が躍動するフィットネスクラブ。自分の市場価値を決定付けるのは異性の目と同性との争い、常にランク付けしながら生きている実感を味わう。一度は結婚という勇気ある撤退を選んだ人達まで再び参戦し、話はいよいよややこしい。かといって恋愛至上主義や、人を想う気持ちだけを描いているわけではない。恋愛を通して見据えているのは自分自身の孤独。前作の影の薄い脇役が主役になった途端、全く違った表情をみせる連作短編集であり、それは主観と客観の埋めがたい隙間とも言えるが、誰も彼もが隅に置けない、とは文字通りこのことだと思わず笑いが先に立つ。登場人物達は感受性が強く、傷ついた過去を背負う。昨日まで獲物だった自分が狩人に変身して…それで何かが埋まるのか。見つめる作家の眼はどこまでも冷徹。いや、しかたのない人たちだなぁ、とため息をついているような気がする。それにしてもこの作家は良く知っているなぁ、男の事や女の事、そして人間の事を。

 
  小嶋 新一
  評価:B
   東京郊外のとあるフィットネスクラブ。そこに集まる、さまざまな人々。男もいれば女もいる。独身男、人妻、受付嬢、インストラクター…。平然と女を乗り換え続ける男、中絶費用を騙し取るために次々男と関係を持つ女、出会い系サイトで知り合った男をすっぽかすのが趣味の女…。そんな6人が、入れ替わり立ち代り主人公となる連作短編集。
 みんながみんな、すました顔をしていて、それでいて複雑な私生活を抱えこんでいる。表の顔の裏側に、屈折した欲望をいっぱい隠してる。
 はたして人間って、みんなこんなに秘密を抱えてるんでしょうか?みんなこんなに、嫌なヤツばっかりなんですか?みんなセックスのことばっかり考えているんでしょうか?…そんなことないやろ〜!なんて思いながらも、話の中に引き込まれていってしまう。いやあ、面白い。それは、人間の心の底、心の裏側があからさまに浮き彫りにされているからなんでしょう。僕はこんなひとたちとは違うはず、と一応言ってはおきますが。

 
  三枝 貴代
  評価:A
   井上荒野の作品を読むのは4冊目だ。ああ、井上荒野が好きだ。たまらなく好きだ。こんな気分になったのは、恩田陸の1作目と2作目を読み終わった時以来だ。井上荒野がいっしょにいこうと言ってくれるなら、存在しない妻子を捨てて共に逃げたいくらい好きだ。
 しかし、いったいどこがそんなによいのだろうか。この連作短編集にしても、登場する人物は全員ろくでなしだし、物語は底意地が悪い。
 恩田陸は、今でも巧い作家だと思うし、気になる作家なのだが、3作目を読んだ頃、熱狂的な愛は少しさめた。なんだか手の内が見えてしまったような気がしたのだ。とたんに冷静になった。
 そうだ。井上荒野は得体が知れないのだ。平明で癖のない誤解しようのない文体のその向こうに、なんだか正体の知れないものがひそんでいる。手の内が読めない。鍾乳洞の奥にある水を覗くのに似ている。透明で底が伺えそうに思えて、なのにあまりの深さにどうしても正確には見えない。あのくらくらする気分。引き込まれるような目眩。1文字1文字嘗めるように読む。
 井上荒野が好きだ。大通りのど真ん中で愛を叫びたいくらい好きだ。

 
  寺岡 理帆
  評価:B+
   捩れた恋を描いた連作短篇集。 出てくる人物出てくる人物イヤなヤツばっかりで(笑)、感情移入できるかというとほとんどできないのだけれど、なぜか惹きつけられてしまう。そしてなんだかさっぱりしない読後感を味わう。
 収録作のどれもがなんだかイヤ〜〜な話なんだけれど、読み進める気をそがれないのは上手いからなのか、それとも自分の中を覗き込むような怖いもの見たさなのか。
 考えてみればひとつのフィットネスクラブでこれだけ人間関係がドロドロしているのってどうよ?と思わないでもないけれど、面白いのはそれが傍目からはそれほど突飛には見えないこと。本人の視点に立って初めて実情がわかる。現実も結構そういうものじゃないだろうか。
「クラプトンと骨壺」はかなり衝撃的だった。ズキズキと胸が痛む。
 それにしても井上氏はダメダメな男を書くのがうまいなー。

 
  福山 亜希
  評価:C
   面白い本だったけど、この本を読んでバリバリと元気・やる気が湧いてくるということはなかったので、評価は「C」止まりになってしまった。ある意味、赤裸々な人間模様を描いていて、それは非常にうまく描かれているとは思うのだが、どこか昼ドラの域を出ない小説のような感じがした。登場人物に可愛げがなくて、せせこましくて、それをリアリティがある人間描写と言ってしまえばそれまでなのだけど、物語自体に愛着が湧いてこないのは、読者としては如何ともし難い。友人と世間話をしているような感じでこの本を手にとって読んでいけば良いのかもしれないが、じっくり椅子に座って活字として読んでいくには、もう少し重みが欲しかった。「活字には重みを」という、こういう私の意見は古臭いものかもしれないけれども、やっぱり本は、面白くて更にためになるのがベストだと思うのだが。